青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

湖国の一夜

2016年07月30日 23時04分25秒 | 京阪電鉄

(湖国夕照@ホテルの部屋から)

ホテルの部屋から眺める湖国の夕暮れ。先週の浜松~京都ツアーは伝票が向こう持ちでしたんで(笑)、正直テメーのカネだったら泊まらないプリン〇ホテルとかに泊まってしまいました。滋賀県は西武グループの創業者である堤康次郎の出生の地ですから西武&コクドの影響力は強く、鉄道で言うと近江鉄道は西武の車両ばっかだし、近江鉄道バスは黄金期のライオンズカラーだし、プリ〇スホテルだけでも大津、彦根、マキノと3つもありましたからねえ…堤義明の総会屋絡みで彦根、マキノは売却されてしまいましたけども。


最上階37Fから眼下に広がる大津の夜景を。ホテルも高けりゃ値段も高いという首尾一貫としたバブリーな思想を平成の世に伝える〇リンスホテル。この辺りは大津一番の繁華街っぽいが、西武デパートもPARCOもあったりするのがさすが西武王国だなあ。湖岸にはホテルに続いて公園や県立武道館や県立芸術劇場(びわ湖ホール)が立ち並び、県庁所在地らしい文教地区としての側面もあります。


翌朝にぶらっと浜大津の旧市街に出てみたのだが、去年のGWに京津・石山坂本線を乗り潰した時にちょこちょこと歩いてみたので勝手知ったる所。路地に味わいがあるよね。ちょっと錆びれてはいるけれども…この辺りは寺町でもあるので、路地裏から大きな伽藍がちらりと見えたりして、余計そう感じるのかもしれない。


早朝、人気のない西近江路を、逢坂越えに向かう京津線。板塀の旧い店舗には「螺細三寶堂」と書かれていますが、仏壇や欄間の装飾をする店らしい。そんな店が普通に通りにあるのも、この辺りが寺町なのか、京の都に近いが故か。


交差点の大カーブを右に回り込んで浜大津の駅に進入するお決まりの構図。定番だがカッコいい。去年に引き続いてまた撮ってしまった。交差点の脇にある「三井寺の力餅」はよくあるシンプルな棒きなこ餅ですけど、トロリとして美味しいですよ。日持ちがしないのであんまり土産には向きませんが…

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波止の停車場 汽笛にむせぶ

2015年05月16日 00時00分28秒 | 京阪電鉄

(夜の帳降りて@浜大津駅前交差点)

石山寺から浜大津の駅に引き返し、上栄町の「小町湯」でのんびり風呂を楽しんでいたらいつの間にかとっぷりと日も暮れてしまいました。銭湯らしい熱い風呂に入ったので、湯上りに生ビールでもカーッ!とやりたい気分ですが、一応これからハンドルを握る身なのでこれを自重。駅の周りには大して食事するところもなかったので、値段だけはそれなりの、美味くも不味くもないようなラーメンを啜って歩道橋に上がってみる。夜になっても特段人通りに変化のない浜大津の交差点を、坂本行きの電車が行く。

 

人通りは増えずともさすがにGW、琵琶湖周辺からの行楽帰りのクルマで、電車通りの京都方面は渋滞が激しく。浜大津交差点には夕方から交通誘導員の方が立って、交差点への無理な進入を止めています。このマイカー行楽客のいくらかでも京津線で京都に帰ってくれればいいのにねえ。

 

渋滞する車列の横を静々と浜大津駅へ進入する800形。夜間の軌道走行時の視認対策として、車両下部に付けられた車幅灯が光っているのがお分かりいただけますでしょうか。京津・石坂線を走る列車は警笛の音が高低2種類あるようなのだが、信号が青に変わって列車が交差点に入る時の合図のような低い警笛は、ボォ~~ン、ボォ~~ンとまるで琵琶湖を行く船の汽笛のように聞こえる。夜の少し湿ったような空気の中に響く警笛は何とも哀愁があって耳触りよく、波止場に近い浜大津の停車場に情緒を添えてくれるようです。


夜の浜大津駅を守る誘導員さんの灯火。そーいや新しくなったカメラで夜間撮影するのは初めてだな。一応感度結構上げて撮ってるんだが、以前のD90に比べればさすがに画像のザラツキが少ない。前はISO400から上でもう結構ザラザラになっちゃってたから…この日一日でかなりの枚数を撮ったので、それなりに手に馴染んできたかなと。本当ならば一泊して、明日は京都に出て叡山電鉄辺りの新緑でもと行きたいところなのだけど、ああ、かぐや姫的な刹那の日帰り旅が恨めしい。そろそろ家に帰らなければいけません(笑)。


帰りは浜大津から石山坂本線で京阪膳所へ出て、JR乗換で再び米原を目指す。帰りの新幹線は米原停車&静岡停車のひかり536号…ってこれ去年福井鉄道行った時も帰りに乗ったな(笑)。米原に停車するひかり号では東京行きの最終です。まあ静岡からはクルマ運転して自力で帰らなきゃいけないんだけど、静岡までの1時間ちょっと、疲れた目と体を休められるのはありがたい事です。

何年か前から意識して地方の中小私鉄を訪問する旅を続けて来ましたが、今回のお相手は一応京阪電鉄という大手私鉄。京阪電鉄の中でも元々京津線が京津電気軌道、石山坂本線が大津電気軌道という独立した会社であって、大正時代に京阪と合併したと言う出自からも色濃い独自性は窺い知る事が出来る訳ですけど、京津線・石山坂本線の多彩さと味わいは中小私鉄のそれに近く十分に魅力的で乗り応えがある路線でしたね。特に短い間に目まぐるしく性格の変わる京津線は面白かったので、機会あらば是非お乗りいただいてその味わいを楽しんでいただきたいと思いますね。
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ノスタルジック特急色

2015年05月12日 05時45分14秒 | 京阪電鉄

(昔日の賑わいいずこ@浜大津駅前交差点)

浜大津駅前交差点を石山坂本線の電車が行き交う…ものの、GWの日曜日の昼下がりにもかかわらずまるで人通りのない浜大津の駅前。交差点に面した「明日都浜大津」は、以前は京津線の浜大津駅があった位置に建てられた商業ビルですが、相次ぐ商業施設の撤退によりテナントが埋まらず、公共施設にてテナントを埋める厳しい状態が続いているそうな。大津市自体は京都・大阪方面のベッドタウンとして人口増加傾向にあるようなんですが、人口増は西大津バイパスによって京都と直結した湖西線方面や瀬田川を渡った東部の地区に限られ、JRの大津や浜大津周辺のかつての都市部は空洞化してしまっている様子。昔日の賑わいを取り戻すための「旧市街の復活と活性化」は、そのまま京津線と石山坂本線にリンクした課題でもあります。

 

石山坂本線の北の終点・坂本駅から折り返しの電車に乗って滋賀里駅へ。この辺り、石山坂本線の沿線にしては田園風景が広がっているロケーションが気になって降りてみたのだが、あいにく天気は下り坂。駅近くの田んぼにて比叡山に続く山並みをバックに撮ってみたのだがパッとせず(笑)。線路際の倉庫に貼ってあった懐かしの金鳥&キンチョールの看板でごまかしてみますw

  

駅前のタバコ屋に味がある滋賀里駅。駅に並行する道路信号の表記は「滋賀里電停」。電停と言うのは厳密に言えば併用軌道上の安全地帯に設けられる駅なんですが、まあ周辺住民にとっては石山坂本線は路面電車みたいな扱いなのかもしれません。運転間隔が長く、ちょっと待ち時間を持て余すお客さんたち。


時刻も16時を回ったところで浜大津の駅まで戻って一服していると、昼間は錦織車庫にてお休みしていた京阪特急色の603編成が出て来ました。この編成は京阪電車100周年を記念してこの塗装になったそうですが、今や京阪本線でもこの伝統のカラーリング(旧特急色)を纏う編成はいなくなってしまったので、ある意味貴重(って富山行けば一応見れるのか)。この編成に乗ってとりあえず石山坂本線を完乗してみる事にします。

 

少し疲れが出て来たのか(朝早かったからね)、部活帰りの高校生に囲まれながらうつらうつらと石山寺方面へ。浜大津から石山寺へ向かっては、大津の旧市街を右に左にカーブして、こまごまとした駅で乗客を丹念に拾いながら走ります。膳所本町から京阪石山にかけては細路地に古い長屋が軒を連ねる風景が続いていて、乗って来るお客さんも高齢者ばかり…特に瓦ヶ浜の駅の周辺は何とも言えないノスタルジックなモノトーンの空間が広がっていましたが、ここいらへんの街の再開発のしようがない雰囲気には、やや閉塞感が漂います(写真は帰り道に撮ったものです)。

  

JRの乗換駅である京阪石山で大抵の乗客が下車し、軽くなった電車は南に進路を変えて終点の石山寺駅に到着しました。石山寺はおよそ8世紀に建立された真言宗のお寺で、紫式部が「源氏物語」をしたためる際に着想を得た場所っつー伝承もある由緒正しきお寺です。もうちょっと駅に近いところにお寺があれば参拝しても良かったんだが、石山寺へは駅から約15分ほど離れた場所にあるようで。頭端型の3面2線のホームは多客時対応で乗降分離型に出来るようになっていて、何となく以前訪れた多賀大社前駅(近江鉄道)を思い出します。

 

駅は瀬田川のほとりに位置しており、道路を挟んで河原に降りてみれば、その悠々とした流れを眺める事が出来ます。流れが緩く川幅も広いせいか、カヌーを楽しむ人が多い。この辺りは近江八景に「瀬田の夕照」として名を連ねた景観の地であり、なるほど広い川面を夕日が染める風景はなかなか絵になりそうだ。惜しむらくは天気の崩れが予報以上に早くて夕日どころかポツポツ雨が降って来たと言う事実だがw

 

石山寺駅に入線する605編成と603編成の並び。正調京阪普通色と特急色のコラボレーション。子供の頃に本で見た京阪電車ってのはこの色で、鳩のヘッドマークがついていて、テレビカーで、特急淀屋橋行きって感じでしたよね。当時、本でしか見る事が出来なかった関西の私鉄で一番好きだったのが阪急の6300系で、2番手が京阪の3000形。ともに大阪梅田・淀屋橋から京都河原町・三条まで、京阪間を結ぶ2大花形車両。これに阪神電車のジェットカー、南海電車のズームカーまで押さえておけばガキ鉄としては完璧な知識だったかな(笑)。


島ノ関付近を行く特急色編成。阪急6300系とかは今でも嵐山線で走っているそうだし、機会があれば見に行ってみたいものだ。そう思うと一回泊まりがけで関西大手私鉄総ざらえの旅ってのもやってみたくなるなあ。「スルッとKANSAI」と言う便利なキップも売っていることだし…
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淡海を眺めつつ

2015年05月11日 05時55分50秒 | 京阪電鉄

(お達者世代のカブリツキ@石山坂本線車内)

石山坂本線を走る車両は、それぞれ運転台側のスペースが優先座席になっております。本来であれば初めて乗る路線はガッツリと前でカブリツキたいところではあるのですが、よっぽど空いている状況でもないとこのスペースに若輩者が足を踏み入れるのはハードルが高い(笑)。よってカブリツキゾーンは妙に平均年齢の高い様相を呈するわけでありますが、別にマニア風でもない地元のジイちゃんバアちゃん連中も、何となくみんな前の方を向いてポーっと流れる景色を見ている。そんなお達者世代のカブリツキ。

  

三井寺から乗った電車が途中の近江神宮前行きだったので、強制的に近江神宮前駅にて電車を降ろされる。日中は2本に1本が近江神宮前行きなので、ここから終点の坂本までは約15分ヘッドとちょっと列車頻度が下がります。近江神宮前止まりはホームにて乗客を降ろした後、引き上げ線がないので下り本線上で上りの石山寺行きの通過を待ち、先行電車が駅を出るとやおら片渡り線を使って折り返して来ます。近江神宮前駅は京津線・石山坂本線全車両のメンテナンスを行う錦織車庫(錦織工場)を併設しており、大津線全体の運転上のキーポイントとなる駅です。以前は電車の改造や製造もここでやっていたそうだが。

 

狭いスペースに目いっぱいの留置線を詰め込んだようなせせこましい錦織車庫。大半の電車は出払っておりますが、そんな現役車両の留守を預かるように車庫の片隅には地上時代の京津線の雄・80形が静態保存されております。塗装が剥がれてあまり良い保存状態とは思えませんが、裾絞りの曲線も優美なヨーロピアンスタイルのボディは未だに存在感十分。

 

名前の通り駅の北西には近江神宮があり正月などは参拝客でかなり混雑するようですが、見た感じ駅前に何がある訳でもなさそうなので自販機で買ったコーラを飲みながら後続の電車を待つ。皇子山の駅から坂を上り、「紀の国わかやま国体」ラッピングの707編成が到着。なんで大津でわかやま国体なんだ?と思うのですが、カヌーは琵琶湖を会場にしてやるんだって。へえ。


近江神宮前を出た電車は、琵琶湖の北岸をやや高度を上げ、比叡山の山裾を北へ向かって走ります。この辺りに来るとやや駅間距離も長くなり、大津市街に比べるとずいぶんとスピードの乗った走りを見せてくれるのでありますが、車窓右側には水田の向こうに琵琶湖と、遠く鈴鹿山脈が眺められます。そーいや去年のGWは遠州鉄道に乗りに行った事を思い出す。去年はとほつあわうみ、今年はあわうみの旅。

  

近江神宮前から約10分で終点の坂本駅。何だかデザイナーズ風のおしゃれな外観の駅です。ここからは坂本ケーブルで比叡山延暦寺へ登る事が出来ます。そして坂本駅と言えば高校野球ファンにはおなじみの比叡山高校!村西哲幸を擁して春夏連続出場と言うのが記憶に新しいですが、オッサンパヲタとしては1981年シーズンに15勝0敗と言う驚異的な記録を残し、田中のマーくん以前の元祖無敗男として名を馳せた日本ハムの間柴茂有だね。ヘビみたいな顔してて、当時の大沢監督、江夏と並ぶとまあカタギに見えなかったw


坂本は古くからの比叡山の門前町で、「穴太衆(あのうしゅう)」と言われた石工の集団によって築かれた石積みの家並みが続く。穴太衆は近江国を中心に城郭の建築に多く携わり、坂本の2つ前にその名も「穴太」と言う駅があって、その辺りの出身らしい。そういや琵琶湖から鈴鹿山地を越えた三岐鉄道の北勢線にも同じ読みで「穴太」駅(三重県いなべ市)があるんだが、なんか関係があるのだろうか。さらに考えを膨らますと、三重県の旧県名「安濃津(あのつ)県」との関係は…?と思いは尽きないのであるが、良く分からないので誰かまとめて下さいw
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湖畔の路地裏物語

2015年05月10日 00時21分06秒 | 京阪電鉄

(祭りの日@浜大津~三井寺間)

京津線の探索を終え、電車で浜大津の駅に戻って来ました。お次は浜大津から湖岸を走る石山坂本線へ。石山坂本線も浜大津駅から三井寺駅までの約500mが併用軌道となっておりますが、国道上を走る京津線の併用軌道と比べると車通りも少なく静かな雰囲気。今日は三井寺の近くにある三尾神社の祭礼らしく、お神輿が併用軌道区間に出て来ました。三尾神社はウサギを勧進する珍しい神社で、卯年生まれの守護神だそうな。よく見ると神輿の後ろにはウサギを担ぐ若い衆の姿があったり…残念ながら自分の干支とは一つズレてるんだよなあ。惜しい(笑)。

 

三井寺からの併用軌道を、浜大津の交差点へ出て行く600形607編成。以前は地上時代の京津線の主力車両として、浜大津までの準急(京阪三条~御陵間通過)に充当されていた形式です。準急専用だったのは、単純に併用軌道の低いホームだった通過区間の電停に降りられる装備(ステップ)を付けていなかったからだそうですが。浜大津側では信号待ちの615編成、同じ600形でも1次~4次までの製造時期があって、微妙にスタイルが異なっていたりします。一番の違いは前面が1次車だけは平面2枚窓だっつー事かな(2次車以降はパノラミックウインド採用)。


浜大津の交差点から、Sカーブを抜けて三井寺の併用軌道へ進入する700形701編成。きかんしゃトーマスラッピング。各線でトーマスラッピングの車両を走らせている京阪電車、本線は8000系、交野線では10000系が走っている。トーマス関係では他に富士急のトーマスランド号と大井川鉄道のリアルきかんしゃトーマスが有名ですが、京阪は3編成も走らせていると結構それなりに版権が高いんじゃないかと余計な心配をしてみる(笑)。


浜大津から三井寺に向かう併用軌道区間は、浜大津の裏路地に飲み屋さんだったり長屋だったりが連なる生活感あふれるシチュエーション。藤の花咲くビジネス旅館「松竹」の前を、ゴロゴロと車輪の音を響かせて613編成が通り過ぎて行きます。それにしても浜大津の中心街とも言えるこの辺りですが、GWにも関わらず人出もなく閑散としているのが気掛かり。朝来たときは時間も早いからこんなもんかなあと思っていたのだけど。


三尾神社の祭礼の列は電車の来ない時間を見計らって行ってしまいましたが、小さな神輿がリヤカーに乗せられて氏子衆に引かれて行きます。本当なら担がれてこその神輿と言うものなんだろうけど、担ぎ手がいないのかもしれません。そんな風景も浜大津近辺の空洞化を物語っているような…並走するは大津市社会福祉協議会ラッピングの700形705編成。途中の近江神宮前まで参ります。


氏子の休憩所になっている公民館に、ささやかなしめ飾り。三井寺駅を出て併用軌道区間に入る703編成。京津線の車両同様横幅の狭い車体ですが、地下鉄に入る事はないので車体高だけは通常の電車のそれ。よって非常に面長に見えます。前パンががっちり上がっているそのフォルムも余計に面長に見せてしまうのかもしれませんが…現在石山坂本線を走る600・700形は、以前京津線で走っていた旧型車両(300・350形)の車体を叩き直し新造部品を付け足してリメイクしたもので、純然たる新造車ではありません。

  

併用軌道区間の終端部にある三井寺駅。駅名にある三井寺は、ここから南に歩いて10分ほどの場所にある天台宗の総本山で、7世紀に開山された古刹ですが、そんな駅にやって来たのは609編成@中二病でも恋がしたい・戀ラッピング。まあ、色々と石山坂本線のラッピングが萌え系で痛いのは知ってましたけど、間近で見るとなあ(笑)。こんなのに乗ってる乗客の大半が地元のオバチャンやじーさんばーさんな訳で、いったいどこを目指そうとしているのか良く分からないw


三井寺駅の横に流れる琵琶湖疏水に車体を映して、石山寺行きの電車が行く。京都市街へ琵琶湖の水を引き込むため、逢坂山、東山を水路トンネルで貫く大工事の末明治23年に完成した水路ですが、疏水の傾斜がきつく船が運行できない場所にはインクライン(船のケーブルカーみたいなもんです)を作るなど、水利だけでなく舟運を利用した物資の搬送にも期待が込められた一大事業でもありました。世界遺産ブームに乗っかってもおかしくない貴重な明治の産業遺産ですが、一度完全に撤去されてしまったのが惜しい(現在は復元されたものが保存されているそうです)。

 

石山坂本線が琵琶湖疏水を渡る北側に、浜大津駅へ通じる遊歩道の橋があります。これが大正10年(京津線開業と同年ですね)から昭和44年まで走っていた江若鉄道の線路跡で、遊歩道の橋台にその痕跡が見て取れます。江若鉄道は、浜大津を起点として琵琶湖北岸を近江今津までの約50kmを結んでいた非電化私鉄でしたが、ほぼ同じルートを国鉄の湖西線が通る事となり、「今後の鉄道の存続が見込めない」と言う事で廃止になってしまいました。現在は滋賀県内でバス会社を運営していて(江若交通)、浜大津のバスターミナルでも頻繁にその姿を見る事が出来ますが、江若鉄道は「東の関鉄・西の江若」と言われたほどの私鉄には珍しい規模のディーゼル王国でした。

なんか最後はあんまり京阪と関係ない話になってしまいましたが、江若交通は鉄道事業から撤退する少し前に京阪グループの傘下に入っております。鉄道撤退後を見越しての先見の明と言う事なんでしょうか。江若鉄道自体も、湖西線の建設計画が持ち上がった当時から実質は営業補償と言っても差支えない鉄建公団への路盤の買取り請求や、社員の国鉄への再就職を求めるなど、なかなかしたたかな企業だったようです。
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