青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

名にし負う 讃岐の水城 ひとめぐり。

2021年11月16日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(お茶電と、電車祭りHM@高松築港駅)

瓦町でレトロを見送った後は、仏生山の撮影会に向かおうかなとも思ったのですけど、そのまま琴平線の電車に乗って築港駅まで出て来ました。ホームで電話をしていたマニアが「(現地は)撮影会の並びが凄くて、これからでは間に合わないかも」みたいな事を聞いてしまったんよね。それと、朝からどこへ行っても目を血走らせてレトロを追っ掛ける同業者だらけってのに疲れたというのもある。曲がりなりにもラストランを撮影出来たという個人的な満足感もあり・・・。やっぱり地方私鉄は、気ままに好きなように撮るのが自分の信条。

築港駅を出て、玉藻公園を散歩とかしてみる。前回は、高松に二泊したにも関わらず、駅の隣にある玉藻公園には入る事すらしなかったので・・・(笑)。勿論、子供のやってる「日本100名城」のスタンプ集めってのもありますが。天正年間に、生駒親正の築城により完成した高松城。天守こそ現存しませんが、本丸跡の石垣は堂々とその姿を残しています。

二の丸から天守に繋がる一本橋・鞘(さや)橋からの眺め。有事の際は、この一本橋を落とす事で完全に天守は籠城の体制に入ったと言います。高松城はお堀に海水を巡らした水城で、堀を巡る船が観光客を乗せてのんびりと櫂を漕いでいました。鞘橋が跨ぐ堀は、そのまま高松築港駅のホームに面していて、琴平線の電車が入線して来たのが見えます。ここからの風景、もうちょっと電車がハッキリ見えればなかなかの撮影地なのかな・・・と思うんですけど、ホーム屋根の陰に入ってしまって上手く見えませんね。

堀の水は青々と秋の高松の空と雲を写し、流れのない水の中ではチヌの群れが泳いでいました。竿と餌でも持って来ればいくらでも釣れそうですが、もちろん釣りは禁止です。本丸の石垣の上からなら、築港駅と絡めたいい写真が撮れそう・・・なんて思ってしまったのだけど、残念ながら高い石垣の上は立ち入り禁止。

玉藻公園を東門から出て、艮櫓を眺めるいつもの撮影地に。ことでんと言えばやっぱりココ、玉藻城下のお堀端を往く電車の姿を撮影しないと何となく収まりが悪いですな。琴平線と長尾線の電車がひっきりなしに行き交うこの区間、待たずとも色々な電車がポンポンと来てくれるのでシャッター数も弾みます。琴平線組では大所帯の京急組に隠れて控えめな存在の元京王5000系。何故か貫通路幕をLEDに交換して、尾灯が埋められてしまった1107Fが来ました。

長尾線は元京急1000形の1305F。同僚の京急700形が前照灯をオデコに埋め込んだ4ドアスタイルというスマートな雰囲気の車両なのに比べて、渡り板のベロや幌周り、屋根上に潜望鏡の様に突き出た一灯ライトが武骨で勇ましいです。水の上に落ち葉やらゴミやらなんやら乗っかって汚かったのだけど、側面が潰れるのを承知でイン側に寄ったのは、この日の高松の青空がことのほかキレイで、お堀の水に青空を溶かしたかったから。ちょーっと風が吹いて水面が揺らめいてしまったけど、長尾線のエメラルドグリーンが爽やかな秋の空にマッチして、カラッとした一枚になりました。

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讃岐っ子 思い出詰めて 瓦町。

2021年11月14日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(オールドファンに見守られ・・・@瓦町駅)

新川橋梁周りでレトロ長尾線の往復を撮影し終えた後は、急ぎ平木駅に戻って続行の築港行きに乗り込みます。この日の午前中のレトロの行程は、瓦町→長尾→築港→仏生山というルートになっており、続行電に乗れば瓦町にてギリギリ築港で折り返して来るレトロをもう一回撮影出来るのです。前回みたいにレンタカーでも借りてしまえば先回りしてもう何発か撮れたのかもしれないけど、途中でバカ停を挟むわけでもないので、電車追っ掛けだとやれて3回でしたね。続行電は各駅で撮影を終えた同業者を乗せて超満員、各駅での乗降に時間が掛かり、じわじわと遅れを出して行く状況・・・果たしてレトロに間に合うか、とヤキモキしたのだけど、ホームで人垣を作るファンの間から何とか、瓦町のホームに滑り込んで来るレトロを撮影する事が出来たのでした。「佛生山」のカンがいいよね。旧字体って言うんですか。

レトロ電車は、仏生山の車両工場で日中は有料の撮影会に供されることになっており、この便で会場入りするファンも多かったようです。自分の乗って来た長尾線から乗り換える人や、最後の姿を収めようとする人でホームはごった返していました。レトロ電車を取り囲むファンの面々を見ていると、若い人と言うよりは流石に自分より年配の世代が多かったですね。平成の初めごろまでは、こういったオールドスタイルの小さな木造車両や他の私鉄から集められた種々雑多な旧型電車が大量に跋扈していたのが琴電ですから、地元の讃岐っ子の皆さんも、小さな頃の思い出に浸っていたんでしょうか。

小さな車両の座席はおろか吊り革まで塞がり、運転台の近くまで立錐の余地のないレトロ仏生山行き。一瞬、ここでレトロを撮らずに乗り換えて仏生山の撮影会へ参加しようという気持ちも生まれたんだけど、まあ乗ったら撮れないのが撮り鉄の業。満員の車内で押し合いへし合いしてもしょうがないかってのもあって。荷物も大きかったしね。長尾線のホームから、ささやかに最後の姿を収める事に致します。120号と300号の小さな車体たった2両で収めるには多過ぎる乗客を乗せて、大盛況のまま瓦町を出て行きました。

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古希行かば ああ惜別の 青雲に。

2021年11月12日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(開業当時の面影を残して@学園通り~平木間 新川橋梁)

ことでんレトロの運行は、通常ダイヤの間を縫って行われているため、レトロ電車は終点の長尾ですぐに折り返してきます。先ほどの平木のストレートから振り返って、新川の橋で返しのレトロを狙います。一枚目の撮影地がもっと瓦町に近かったら、場面転換して新アングルを狙いに行けたんだけどね。とてもじゃないけど場所を動いている時間はないので・・・アングルを決められる時間は僅か15分程度。ファーストショットをオーソドックスな形で撮影したので、何かひと捻り加えたいという事で、橋の下に降りてみました。高松電気軌道時代に、将来の複線化を見越してL字の長靴型で作られた新川橋梁の橋脚。何度となく渡ったこの歴史ある石積みの橋を、堂々と渡り納めて行くレトロコンビ。

そして、メイン機材では広角のレンズを思いっ切り引っ張って下から煽り倒すことに。この時期は太陽の高度が低いので、イコライザー台車と床下機器までガッツリと光が回るのがいいですねえ・・・古風な車両らしく、リベットで丁寧に鋳造された300号の車体。大正レトロの風情を残す戸袋の丸窓も美しい。何度も何度も延期され、全国のことでんファンが待ちに待ったレトロの走行イベント、そして、全世界のことでんファンが来て欲しくなかったレトロのラストランは、抜けるような讃州の青空の下で挙行されたこと。そして、そんな晴れの日の末席にカメラを持って参戦する事が出来たこと。先々までも良い思い出となる、ことでんレトロ古希の旅立ちでした。

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レトロ往く 讃岐の空は 澄み渡り。

2021年11月10日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(在りし日の120号@仏生山車庫)

さて、今回ラストランを迎える、いわゆる「ことでんレトロ」と呼ばれていた旧車両群。京急・京王・名古屋市交の車両が投入され、通常の営業から外れた後も4両が大事に保存され、イベント列車として都度運行が続けられてきました。どの車両も大正時代に製造された車両ですが、国の産業遺産に認定されたのもあって、90年経てもなお動態で(稼働出来る状態で)保存されていたというのが特筆すべき事ですよね。これは去年の1月末に訪問した際、仏生山の工場で普通に道路脇の側線に置かれてた120号。貴重な車両なのにこんなところに置いておくの?って驚くような扱いだったのだけど、そういうものらしい(笑)。

さて、そんなことでんレトロラストランの撮影場所に選んだのは、平木~学園通り間にあるストレート(赤丸位置)。長尾線をレトロが往復するのは朝8時~9時台。長尾線は平木の駅の手前辺りから南東~東南東へ進路を変えるため、朝の順光で列車を捉えるにはこの辺りが好都合と踏んだからです。そして、この駅の間には常満寺と妙徳寺という比較的大きなお寺がありましてね、この寺町的な風景を入れ込んで写真を撮りたかったってのもある。

これは個人的なお話になっちゃうんですけど、ことでんの三路線をパッとイメージすると、琴平線は讃岐平野に聳える甘食型の山だし、志度線はそれこそ塩屋あたりの海の碧さで、そして長尾線は寺町を往くイメージがあったんですよ。なので、レトロを長尾線らしく撮るには、ここでお寺の大伽藍を入れての一枚ってのがいいんじゃないかなあって。惜しむらくは、山門の前に立つ大銀杏の木がまだ色付きが早かった事かな。これが染まってたらまたひとしお風情があったと思うのですが。

本命機とサブ機のセッティングを済ませ、とりあえず前走りの電車で練習を何本か。ハローブリッジ号が一生懸命走って高松に早着してくれたおかげで、本番までに十分なピント合わせと構図の確認が出来たのはありがたかった。長尾線の電車は基本的に京急の旧1000形と700形で運用されていますが、行き交うどの電車を見ても撮影地へ向かう撮り鉄の皆様で盛況な模様・・・この日のフリーきっぷの売上高はどんなもんだったかいな。それこそコロナ不況を吹き飛ばす景気のいい売り上げである事を望みますが。

私が陣取った場所の後ろに、これまた長尾線の名撮影地の一つである新川の鉄橋があります。こちらにも川沿いにカメラを持ったファンがズラリと集まっておりまして、目算ざっと40人程度。最終的にはこの平木~学園通りで約100人程度が集まりました。おそらく長尾線で一番人が出たのがこっからもう少し先の白山バックだろうけど、ここも相当な人出だった事が分かります。ホント最近自分以外はいても2~3人の撮影地にしか行かないので、壮観ですわなあ。

列車の通過する時間が近付くに連れて、何とはなしに高まって来る緊張感。賑やかに喋っていた隣のおじさんたちも、急に黙って各々の配置に着きます。平木の駅に進入するレトロのタイフォンが「フォォン!」と聞こえると、誰からともなく「来たぞ~!」の声がかかる。新川の鉄橋のたもとの踏切が鳴ると、全員臨戦態勢に。こちらもファインダーを覗く目とレリーズを握る手に力が籠ります。

ことでんレトロのラストを飾るに相応しい、素晴らしい讃州の秋の青空。満員の乗客を乗せて、平木のストレートに現れた120号+300号の特別編成。ツリカケ音も高らかに、艶めくブラウンとアイボリーの車体を光らせて走り去って行く古豪コンビ。迎えた撮影者たちも、長年の労いの拍手の代わりに、嵐のようなシャッター音でその功労を称えました。

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高松へ はやる気持ちは 三千里。

2021年11月08日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(一夜の宿を頼む@西東京バス・ハローブリッジ号)

ことでん&伊予鉄を撮影しに四国に行く事を決めたのはひと月前くらいの話なんですが、それもこれもまずは11月3日に開催される「ことでん電車祭り」にて、開業当時からの旧型車両がとうとうラストランを迎える事になりましてね。あ、実際は去年のGW(だったかな)で引退の予定だったんですわ。でも、コロナ禍の中でイベントが開催出来ませんでね。高松琴平電気鉄道の開業以来の人気のある車両たちだったんで、ことでんもイベントの延期を繰り返して引退を先延ばしにした結果、ようやく今回開催の段取りが組めまして。4両残っていたうちの最後の2両が長尾線・琴平線を午前と午後、それぞれ運行して引退するという情報が出た瞬間、「行ってみようかなあ」という運びになったんですね。旅の始まりは前回同様、横浜駅西口から西東京バスのハローブリッジ号高松・丸亀行き。横浜駅2215ってのがいい。バスタ新宿まで行くのは面倒くさいでなあ。

久々の夜行高速バスで寝れたか・・・と言われればうつらうつらしてただけであまり眠れなかったのだけど、一晩中運転して富山に行くよりは他人にハンドルを任せていた方が全然楽だし、体の疲れ方も違うもの。ハローブリッジ号は特段のアクシデントもなく、新東名-伊勢湾岸-新名神-山陽道-神戸淡路鳴門道-徳島道-高松道を順調に走行。所定0745高松駅前を大幅に早着しての0715到着はお見事。青空の高松駅前、本当ならまずはゆっくり駅前でうどんでも啜ってから沿線に展開したいところだけど、SNSを覘けば、各地からこのラストランを目当てに多くのファンが高松に集結しているようで、長尾線に展開するのに早いに越したことはないみたい。取り急ぎショバを確保しに、築港駅に急ぎます。

大急ぎで窓口にてフリー切符を買い、築港駅から長尾行きに飛び乗る。普段なら、おそらく休日朝の長尾線の下りなんて2両編成に10人も乗ってればいい方なんじゃないかと思うんだけど、まあこの日はいるわいるわの同業者(笑)。この列車だけで70~80人くらいはいたんじゃないかというね。どいつもこいつもゴッツいバッグと三脚と長玉付けたカメラを抱え持って、既に臨戦態勢に入っておりました。偶然隣り合わせた隣の先輩、お話すると昨日の夕方に会社を定時で引けて、最終の飛行機で高松に飛んで来たらしく気合が満ち満ちている。前の吊り革に掴まっていた御仁も、有給取って高松に前日入りしているそうで、最近こういう鉄火場みたいなネタ系撮り鉄の舞台にとんとご無沙汰しているアタシにはヒリヒリするようなトークが続きます(笑)。

そんなヒリ付くトークを繰り広げながら、元京急の長尾行き電車は三木町の平木(ひらぎ)駅に到着しました。ここで10人くらいの同業者が下車・・・だいたいの目の付け所は同じなんだろうな。あとは立ち位置への陣取りが早いか遅いか。通過の一時間以上前とは言え、出足の早さは異常なほどで気遅れしてしまう。いやあ、フィーバーしてますねえ・・・みんな小走りに撮影地に向かって行くもんだから、流石に自分も早足で歩いちゃったけど(笑)。前回の訪問とこの日の光線から、どこらへんで撮るかのアタリはだいたい付けては来たんですけど、果たして自分の好みの立ち位置が残っているのか・・・

住宅街の路地を抜け、撮影地が見えてくる。おお、やっとるやっとるという感じで先客を数えてみると、ざっと20人程度。ま、関東とかJR系の大物ネタとかでもないので、50人とか100人とかいる訳じゃなかったのだけど、でもことでんで考えたらメチャクチャ多いんじゃないでしょうか。二年前のGW(だっけ?)に先に引退したレトロの2両を含めた4連での引退興行の時も凄かったらしいけどさあ。てゆうか、踏切際のいいところは先人によって既に抑えられていた。これ以上早く来ることも出来ないのでもうどうしようもないのだけど。今さら場所を移るのも電車の本数的に難しいので、予定通りここで三脚を出す事にしましょう。

天気だけは申し分ない、抜けるような讃岐の国の秋晴れ。先客さんに軽くご挨拶をしてセッティング。
この時だけのためにわざわざ持って来た三脚を据え、二丁態勢でお目当ての列車の登場を待ちます。

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