青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

泉州の 観音様の 小私鉄。

2022年05月30日 17時00分00秒 | 水間鉄道

(雨の紀阪行路@特急サザン)

和歌山港から、なんば行きの特急サザンの先頭車両に陣取り、雨に濡れる和歌山の街を出る。紀ノ川を渡り、新緑の孝子峠を越えて行くと、多奈川から先、淡輪から鳥取ノ荘辺りにかけては雨に煙る大阪湾が見えた。南海本線で和歌山からなんばに向かうのは初めてだったのだけど(関西空港からはアリ)、晴れていれば風光明媚な景色が見られたんではなかろうか。

次のお目当ての駅は特急サザンは停車しないので、泉佐野で空港急行にお乗り換え。岸和田市の南にある貝塚市の中心駅・貝塚で空港急行を降りる。二色浜・貝塚・蛸地蔵と海系の駅名が並ぶこの辺りは大阪府の南部、いわゆる「泉州」と呼ばれる地域。大阪と言えども摂津・河内・泉州(和泉)の三地域では土地柄も雰囲気も全く違うというのはよく言われますが、摂津の人に言わすと一番タチの悪いのは泉州だという説もあるとか(笑)。車のナンバーでも「和泉」は気を付けろとかよく言いますもんねえ。そう言えば、大阪のこの三地域の総称として「摂河泉(せっかせん)」って言葉がありますけど、私はこれを住之江競艇のレース名で初めて知りました。お盆シリーズで、地元大阪の選手のオールスター戦でやる「摂河泉競走」ってのがあるんですよ。どうでもいい情報だけど。

ここで乗り換えるのは水間鉄道。南海本線の貝塚から南へ向かう事6km弱、泉州の古刹として名高い水間観音を結ぶ参詣鉄道で、大正時代から地元泉州の足として愛されて来ました。規模は小さいながらバス会社なんかも運営していて、沿線の住宅地に路線を持っていたりします。昔は南海の旧型車で運行されていましたが、現在は車両を東急の旧7000系に統一。青森の弘南鉄道と同様、原型顔と中間車改造の扁平顔が混在しています。

東急7000系は、18m3扉車という手頃なサイズ感からで各地の地方私鉄に拠出されて来ましたが、譲渡先で乗るのは弘南に続いて二社目。あ、東急自社で機器類を更新し、池多摩線系統で使用していた7700系も譲渡先の養老鉄道で乗ってるから三社目か。あと北陸鉄道と福島交通、秩父鉄道に譲渡されてるけど、北鉄は乗った事ないし福島と秩父は既に廃車済みなんだよなあ。弘南同様、吊り革周りには東横線で使われていた当時の広告がそのまま残っており、「SHIBUYA109」なんて文字が見えたりする。貝塚駅の改札で一日フリーきっぷを購入。天気が悪いので、どこまで沿線を撮り歩けるか分かりませんが、ひとまず出掛けてみましょうか。

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昔日の 四国航路や 今いかに。

2022年05月29日 10時00分00秒 | 南海電鉄

(さらなる南海を目指して@特急サザン)

篠突く雨を突いて、和歌山港行きの特急サザンがホームに入線して来た。三連休の最終日、なんばを朝7時台に出て来る特急電車の乗車率はお世辞にも良いとは言えないのだが、そんな車内からパラパラとさらに半数程度の乗客が降りた。ここから終点の和歌山港までは僅か一駅なので、特急車の後ろにくっついた普通車に乗って、誰もいないロングシートに体を預けました。

和歌山市から和歌山港の間は、和歌山港線と言う独立した路線名称を与えられておりますが、見た目上は和歌山市からの南海本線の続きっぽく見えます。以前は終点の和歌山港駅までの間に久保町・築地橋・築港町の三つの駅があり、そして和歌山港の先に線路が伸びて、水軒と言う駅が和歌山港線の終点でした。いずれも和歌山市街の港湾部に片面ホームだけの小さな無人駅がありましたが、利用者の少なさか平成中期に廃止され現在に至ります。

港湾部らしいやや荒涼と雑然が入り混じるような風景の中を走り、運河を渡って築堤に上がると、電車はものの5分ほどで終点の和歌山港駅に到着。大きく左にカーブしたホーム、荷物を抱えた乗客たちが、雨の中を足早に出口へ向かって行きます。ここ和歌山港からは、徳島行きの南海フェリーが出ていて、特急サザンの和歌山港行きは基本的にフェリーへの乗り換えに合わせた連絡ダイヤ。8:15に到着したサザンは、8:30に和歌山港を出る徳島行き4便に接続。徳島までは2時間半の船旅です。

かつての南海電車にとって、和歌山港からの四国へのアクセスルートは高野線の高野山参詣と並び立つ流動の二枚看板でした。なんばから、和歌山~徳島航路に接続する特急には「四国連絡」という大看板が付き、関西~四国間の大動脈として大いに栄えました。しかしながら、昭和63年の瀬戸大橋の開通や、平成10年の明石海峡大橋の開通により、関西~四国(特に徳島方面)間の移動の主流は自動車や高速バスによる淡路島経由に遷移。時間的にも距離的にも大回りを強いられる南海電車と南海フェリーによる四国連絡は、衰退の一途を辿っています。乗り換え客が引けると、僅かな乗客が車内に佇むほかはない静かな和歌山港駅のホーム。

乗客が減少し、航路廃止の噂が絶えない南海フェリーですが、南海電車と共通した割引切符なんかで利用促進を促してはいます。「とくしま好きっぷ」という割引切符では、なんば~徳島港が2,200円というお値打ち価格ですしねえ。徳島バスの徳島駅前~梅田・なんば・USJ行きが3,800円という事を考えると相当に安い。時間は・・・どうなんだろ?高速バスが所定で3時間だけど、鉄道+フェリーはなんばから徳島港まで接続にもよるけど3時間半くらい。そして、徳島駅から徳島港が結構離れていてバスで30分かかるのでさすがに分が悪い。繁忙期の渋滞とかの不確定要素を加味すればどっこいどっこいかもだが。少し古びた木製の上屋、ホームのくず物入れの陰から、黒猫が顔を出した。駅に居着きの猫なのか、閑散としたホームが猫の通り道になっているのか。

かつては北海道と本州の間の青函連絡船、そして四国と本州の間の宇高連絡船。鉄道に連絡する鉄道会社が運営する航路、いわゆる鉄道連絡船というものは全国各地にありましたが、南海電鉄×南海フェリーのコラボレーションにより続いている四国航路は、日本最後の鉄道連絡船という事になります。和歌山港線は、和歌山港を中心とした市の港湾地区へのアクセスや物流ルートとして県が昭和30年代に建設。県の所有物を南海が運営する形態となっていますが、水軒地区に開設された貯木場への貨物輸送に関しては一度も行われる事なく頓挫するなど、何とも中途半端な活用状況となっている。和歌山港の利用状況も定期のフェリーは南海フェリーのみであり、時の流れと産業構造の変化によって、やや斜陽化しているのは疑いないところなんでしょうね。

雨の中、出発待ちの7100系なんば行きサザンはガラガラ。この特急に接続するのは、徳島5:35発の3便なので、さすがにこの時間帯では徳島から公共交通機関利用で渡って来る乗客はおらず、自動車かトラックの航走が中心みたいです。早朝だと徳島駅からタクシーでも乗らんと徳島港へは行けませんので、徒歩+鉄道利用者にとっては条件が厳しいんですよね・・・もうちょっと港の位置が駅に近ければ、このルートも活性化もするのかもしれないけど。

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春しとど 濡れて和歌山 雨の朝。

2022年05月26日 22時00分00秒 | 南海電鉄

(物凄い析出物でした@花山温泉)

和歌山の夜は、駅前のビジホに荷物を投げ込んだ後、和歌山と言えばこの一湯って事で日前宮駅から歩いて花山温泉薬師の湯」へ行ったり、駅前の安居酒屋で酒飲んだりして過ごす。26℃の源泉から41℃の加温浴まで、成分濃厚なオレンジ色の鉄サビ臭強い含鉄強炭酸塩泉がドバドバだし、浴槽は石灰華で鍾乳洞みたいになってるし、人気あるのが分かる濃厚な湯でしたね。

翌朝。天気予報通りの雨。逆転での晴れ間を期待していたのだがそうはならなかった。ビジネスホテルのありきたりなバイキングの朝食を済ませ、飛び出した休日の雨の和歌山駅前は人も疎ら。とりあえず何しよう?ってのも天気が悪いのでノープランになっちまった。天気が良ければ、紀勢線でそのまま白浜~紀伊勝浦回りで名古屋に抜けて帰ろうかなとかアホな事まで考えておったのだが。

ひとまず悪天候でJRに用はなくなってしまったので、また紀勢本線ローカルで和歌山市駅に戻る。こうなるのであれば市駅の方に宿を取るべきであった。雨の朝の南海・和歌山市駅。加太行きの角ズームと、特急サザンなんば行きの7100系。分散冷房キセ、下枠交差前パン、そして幌付きの精悍な顔が実に凛々しい。昭和30~40年代に作られた私鉄車両ってのはどうしてこうも魅力的であるのか。そして、南海は全線に亘ってこの手の車両が未だに大手を振って跋扈している。高野線の6000系と本線の7100系は模型で飾っておきたいくらいだ。

GWながら、雨のせいで出鼻をくじかれたか、静かな和歌山市の朝。新旧のサザンを見送る。幌で繋がる一般車と特急車の境目は、格差社会の境目と言ったら大袈裟か。南海本線の優等列車、現在は関西国際空港へ向かう空港特急はラピート、そして和歌山市へ向かうのがサザン。「Southern」の名前の通り南の海を目指す列車ですが、その昔は南海も自社で気動車を仕立てて、和歌山市から国鉄に乗り入れ和歌山で天王寺発の「急行きのくに」と併結、南紀は白浜や新宮まで向かう列車もありましたね。

基本的にはなんばと和歌山市を結ぶ都市間特急である現行の「サザン」ではありますが、その中の何便かはここ和歌山市から先、和歌山港まで足を伸ばす列車があります。和歌山市の駅でManacaを通してから、どこに行こうか決まらずに駅でぼんやり時間を潰してしまったのだけど、何となくやって来たこの列車に乗って、本当の南海の終点の駅に行ってみようと思います。

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黄昏の 貴志の窓辺に 日が暮れて。

2022年05月23日 17時00分00秒 | 和歌山電鐵

(黄昏終着駅@貴志駅)

夕暮れ迫る貴志駅。現在は合併して紀の川市となっておりますが、旧貴志川町の中心市街にある駅。そう言えばお隣の大阪にも同じ読み方の喜志駅ってのがありますね。「喜志駅周辺何にもない」の喜志駅ですが、こちら和歌山の貴志駅も既に夕方となってはめぼしいものが何かある訳ではなく、一緒に乗って来た乗客たちはそそくさと迎えの自家用車に乗って帰宅してしまった。そんな駅にポツンと一人取り残される、どこの地方ローカル私鉄でもよくある光景。

猫の目と耳をモチーフにした貴志駅舎。本当であれば、貴志駅には猫のたま駅長をモチーフにした猫カフェだったりグッズショップだったりがあるはずだったのですが、既に午後4時に店を閉めており暗がりの中。待合室に掲示された歴代の猫駅長たちのご尊顔を眺めながら帰りの電車を待つ静かな時間。まあもとよりそんなに動物に興味がある訳でもないので、大勢の観光客に巻かれながら過ごさなくて良いのはありがたいか。

終点の貴志駅に到着する折り返しの電車。既に行先は和歌山に変えられております。合併するまでの貴志川町は、いちごを始めとする農業や水田を主産業にした人口2万人程度の小さな町。町の名前の由来である貴志川は、遥か高野山を源流とする紀ノ川の支流ですが、この貴志川町から一つ山を越えた上流部を野上電鉄というローカル私鉄が走っていました。南海本線で使い古された旧型の車両がトコトコ走っていた貴志川線と同様、関西私鉄の旧型車両を集めた最強にレトロな雰囲気の鉄道でしたが、貴志川線と違い地元の独立資本だったこともあり、欠損補助の打ち切りにより1994年に廃止となっています。

車庫は途中の伊太祁曽駅にありましたが、終点の貴志駅には機回し用の側線があって、線路の突っ込みの場所に小さな保線基地が置かれていました。保線用車両の隣に停車するたま電車。和歌山電鐵は朝の和歌山~伊太祁曽間に区間運転があるものの、伊太祁曽~貴志間は基本的にラッシュでも日中でも30分に1本の運行。

日中は観光客でごった返していた車内も喧噪が引け、これからは地元利用の時間帯・・・のはずですが、この時間から和歌山の街に向かう人はおらず、傾きかけた夕陽に照らされた紀州路を戻る。茫洋とした田園と農村の風景が次第に街並みに変わって行くと、和歌山駅に戻った頃にはすっかり日が暮れて青い時間。南海電車らしい尾灯一灯点けで折り返しを待つ電車を見送って、駅の近くの安いビジネスホテルに転がり込むのでありました。

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緑濃き 大池遊園 深春や。 

2022年05月21日 09時00分00秒 | 和歌山電鐵

(走れ、たまでん@和歌山電鐵貴志川線)

通勤・通学客を乗せるだけなら決して必要ではない設えが並ぶ「たま電車」の車内。いわゆる水戸岡デザインでは木工用具とアルファベットを中心としたレタリングのデザインってのはある意味定番化していて、一部界隈からは食傷気味・・・などと言われたりもしますけども、まあ鉄道車両という制約の中で要件を満たすデザインというものも大変なんでしょうね。あと、デザインや調度品の製造メソッドがあることで設計料も安く済むとか、そういうのもあるでしょうしね。どっかの本で読んだんだけど、「観光列車を作りたいんだけど、この予算内で収めて欲しい」っていう要望の中で最大限のデザインが出来るのってやっぱり水戸岡氏率いるドーンデザイン研究所ってのが一日の長があるのだそうで。

伊太祁曽を過ぎて、列車は紀ノ川流域から支流の貴志川流域へ。夕方が迫って来ましたけど、西の国は日が長い。もうちょっと途中下車が出来るでしょうって事で、大池遊園駅で下車。駅の入口になかなか年代物の筆致の看板。「おおいけ」ではなくて「おいけ」遊園。意外な難読駅名。

大池遊園は、和歌山市・紀の川市・海南市の3市にまたがる周囲約4kmの大きな農業用のため池。「遊園」と言っても遊具や遊園地がある訳ではありませんが、池の周りにはたくさんの桜が植えられていて、春は桜の名所。池のほとりには古い料理屋さんなんかもあったりして、近郷近在昔からの憩いの場だった事が伺えます。池のほとりの貸しボート、流石にこの時間では借り出している人はおらず。

ちなみに大池遊園、真ん中を横断するように貴志川線の線路が通っていて、低い橋脚で二回大池を渡ります。貴志川線は「桜の時期の大池遊園」ってのが一番フォトジェニックなシチュエーションで、貴志川線でちょっと画像を検索するとそういう写真が一杯出て来るからぜひご覧になって欲しい(笑)。大池遊園まで乗って来た「たま電車」が帰って来ました。もうとっくに桜の時期は終わってましたけども、新緑もそれなりに清々しく。

二本目は、アングルを変えて街道沿いの高台から大池全体を俯瞰気味に。背後に見える建物は大池荘と言って、ここも歴史のある湖畔の料亭旅館だそうな。見た目に少々黄昏感があるのだけど、それなりに宿泊需要もあるのだろうか。やって来たのはチャギントン列車。運営会社の岡山電気軌道が権利を買って、岡山市電で「チャギントン列車」ってのを走らせているのでその関連なのでしょうね。大井川のトーマス列車みたいなキャラクターもの。個人的には派手なラッピングよりもノーマルな車両が好ましい人なんですけど、この路線にはその「ノーマル」がないのでそこはしょうがないのかなあ。

池の周りをぐるりと回りつつ、大池遊園の駅に戻って来た。終点の貴志方面に向かう列車は岡崎前で出会った動物愛護ラッピング。系統板を吊り下げる場所に飾られているのはいわゆるウクライナカラーというヤツか。現在進行中の事象だけに何とも言えないけど、こういうのも、時期を経て見ればいずれは歴史の記憶の一ページになるのだろうか・・・

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