青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

大変な年の年の暮れ

2011年12月31日 20時16分27秒 | 日常
遅ればせながら昨日仕事納め、今日は年末年始の買い出しと去年のコピペのような大晦日なので特筆すべき事は何もありませんが、思えば2011年は大変な年でした。とは言え今日を持って全て清算とはいかず、大震災の被害も原発事故も何一つ解決せず持ち越された感じはしますね。

震災のあの日、そう言えば私は仕事で小田原市役所にいたんですが、窓口で書類を申請していたら揺れ始めてねえ。最初はおや?程度の揺れがしまいには窓口のテーブルに掴まらないと立ってられないくらい揺れた。市役所のエレベーターは止まり、職員が「階段から外に出てください!」って大声で誘導されて外に出てみれば、市役所の屋上から鳴り響くサイレンとスピーカーから流れる津波警報のアナウンス。ロビーにあったテレビの緊迫感にただならぬ事態の発生を感じて、まず心配したのは家族の安否でありました。携帯は繋がらず、車を動かそうにもR1も西湘BPも津波警報にて全面通行止め。迂回しようと大井松田に抜けるR255に出てはみたものの、破裂した水道管が道を塞ぎ、やっと見つけた下曽我のサンクスの前にあった公衆電話で自宅と職場の安否を確認したんだっけ。

思えばあれから日本の全ては変わってしまったし、日本人の心は全て変わってしまったのかなと。
津波で飲み込まれる街の映像は衝撃過ぎて最近はあまり流されなくなっているようで、何も収束していない原発事故といい、なんとなく世の中は悲惨過ぎた今年をあえて振り返らずになかった事にして前に進もうとしているようで、それがどうにもやり切れない年の暮れ。

来年は今年よりは少しでも明るい年になってほしい、と。
守るものの大事さが分かって来た年頃のオヤジは、子供の顔を見てそう思うのでありました。
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分かりやすさもほどほどに

2011年12月26日 22時24分37秒 | 日常
三連休は三連休でしっかり休めたのだけれども、何やら親戚筋の行事やら買い物やらであまり大した事も出来なかった。時間の合間に有馬記念やら賞金王はしっかり見ましたけどね。傍観者となってずいぶん経ちますが。特にレース自体には感想ありませんが、ただスローにすりゃイイってもんじゃないぞ佐藤哲三(笑)。タップダンスシチーだったら余裕で逃げ切ってただろうなあ。目で見て分かるスローペースだったもの。道中の1000m通過ラップでどよめいたのが何よりの証拠か。賞金王は平穏無事な終わり方だったですけど、ハギーさんの既報通り来年の春から持ちペラ制廃止でオーナーペラ制に戻すそうですね。今は有力選手になるとかなりの金額払ってペラを外注に出したりしてるみたいなんで、ちょっと本末転倒になって来たって事なんでしょうか。私はオーナーペラの時代は知りませんけど、技術があってもペラが下手くそな選手って結構いましたからねえ。その当時で言えば市川哲也とかね。いっつもペラに悩んでて、展示の気配がいっつもウンコだった記憶が(笑)。

それはともかく、決定戦の番組で司会の青島健太が「これでファンの皆様にはより分かりやすくなります」みたいな事を言ってたのだが、大本営番組だからそう言えって書いてあったんだろうけどすっごい違和感を感じたのね。分かりやすいって何なんだと。まあボートの場合はその都度進入固定競走であるとかスタート展示であるとか推理を簡便化する策を弄して一般ファンの拡大を図って来たと言う歴史はあるにせよ、ギャンブルって推理がなくなっちゃったら何にも面白くないんじゃないかと思うのですけどね。うん。やり始めで分かんないっきりでカネ取られて、それがムカつくからいろいろ研究してのめり込んで行くもんなんじゃないですかね。競馬の展開、競輪のライン、競艇の進入、思い通りに行く事なんかないからこそ、頭で想像した通りのシナリオが目の前に実現した時にカタルシスを感じるものでないかと思うのだが。そんな事を思いつつちょっと職場の同僚に話を振ったら「競馬とか考えるのめんどくさいじゃないですか」だってwうーん。景気が悪いと言うのもあるのでしょうが、ワンクリックで答えが出る時代に、レジャーの一環にも関わらず色々考えなきゃならんのはそれはそれは面倒な事なのでしょう。売り上げも下がるのが分かるような。

全然話は変わりますが、今は廃止されてずいぶんになる中津競馬で競馬新聞買うと、前走の成績すら載ってませんでしたからね(笑)。なんかあれはあれで推理以前の問題だったなあ。まあ中津競馬の場合は1開催2走制度ってのがあって、下級条件の馬は開催の前半の土日月・後半の土日月でそれぞれ1回ずつ走らなければいけなかったんですよ。出走馬確保のための苦肉の策なんでしょうけど。で、後半の土日月の開催に行っちゃうと、新聞買っても前半の土日月の結果が出走表に乗ってなくてねえ。しょうがないから主催者の事務所に置いてある今開催の成績表を貰って来て競馬新聞に書き写して予想してたんですが、馬名の後ろに書いてある「・②・」とかの謎の記号が「前半開催の2日目に②着になってるんですよ」って事を理解するのにずいぶんと時間をかけてしまった。当然紙面上に何の説明もなし。誤植もひどくて、新聞見つつパドック眺めてたら何かおかしい。よくよく見たら出走表の馬の名前が間違ってたなんて事もあった(笑)。これで500円もカネ取るんだから普通に考えたらそりゃもう詐欺もいいトコですが、その新聞にはレース毎1頭の馬に赤鉛筆でレ点のチェックが打たれてまして、本誌予想オススメの馬かな?なんて思ってたら、何の事はないその馬は基本的に1着でゴールインするんですよ(笑)。要するに成績とか出走馬のなんたるかとかどうでも良くて、その500円は素敵なインサイダー情報を購入するための費用だったんですね。考えて考え抜いた末に、考えなくてもいい事に気付いた中津競馬でしたw

そう言う事もひっくるめて、推理を楽しむ事をもっとウリにしないといかんでしょ!>公営ギャンブル

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田辺に何があった

2011年12月23日 23時05分11秒 | 小田急電鉄

(画像:ちょこっと富士@鶴巻温泉~伊勢原)

先々週の写真なんだが、イセツルの鈴川鉄橋下にてLSEのクラシック塗装を。先日の小田原帰りに乗りたかったんだけど、新塗装の方だったんで残念。今でこそバリエーション豊かなロマンスカーの塗色ですが、やはりロマンスカーと言えばこの色を思い出す人も多いのではないでしょーか。

さて、三連休となりましたが年末なんで色々と忙しく、年賀状の宛名書きを始めたり弟夫婦が初仔と一緒に家に来たりと慌ただしい週末です。子供にクリスマスプレゼントを買ってやったりしなければいけないのだが、スポニチを見たら早くも有馬記念の枠が出てたりして。思えば2年前ドリジャニが捲り勝ちをした横で身重のヨメさんと病院に入院する準備とかしてたんだなあとしみじみ。全国リーディングは今年は岩田と福永の熾烈な争いらしいが、リーディング10位にも入れなくなった武豊の凋落っぷりに悲しくなってしまうな。俺の知ってる武豊ってのはもっとこう敵役的なにっくき部分ってのがあったと思うのだが…と思って色々と情報を漁ってみたら、なんか最近はエージェントってのの善し悪しでいい乗り馬が集まるかどうかが左右されてしまうようで。武豊の不調も、本人の衰えもあるようだがひと抱えのエージェントが有力馬をたらい回しにしてる関係でお鉢が回らないってのもあるんだとさ。何だかねえ。そう思ってリーディング上位を50人ばっかし見てみると、厩舎所属の騎手ってのが殆どいないのね。20年前は新人でデビューして7~8年くらいは厩舎所属で、勝てて飯を食える奴からフリーになってったような気がする。岡部こそフリーだったが、柴田政=高松だし、的場=柄崎義であり、武豊=武田作であった。そう言う意味でフリーってのは文字通りの一本立ちであったのだが、まああんだけ外人騎手が来て好き放題とっかえひっかえ強い馬乗り回している現状では、厩舎なんかに所属している意味はないのかもしれません。

それと田辺に何があったのだろう(笑)。
今年重賞3つも取ってるし関西馬ばっか乗ってるし。
でも田辺って小西一男センセの所属のままなんだよなあ。
悪いクスリでもやってなきゃいいんだがw
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突発的HiSEお名残り乗車の巻

2011年12月18日 20時57分51秒 | 小田急電鉄

(画像@いずれ去り行く者たちへ)

小田急のダイヤ改正の詳細をつぶさに見つつ、ふとロマンスカーの空席予約照会なんぞ叩いてみたら、なんか今日の午前のHiSE運用で1席前展望が空いているではないか(笑)。寝ているヨメさんと子供を叩き起こしてコトの次第を説明したら、双方乗り気でOKの返事を賜りましたので、ひとっ走り地元の駅に走って行ってさっそく特急券をゲット。いつも撮ってるばかりだから、たまには乗り鉄もいいでしょう!って事で今日は無目的ロマンスカーHiSEお名残り記念乗車の巻。町田の駅のホームに張られたHiSEを示す乗車位置シール。これもあと90日のカウントダウン。


町田駅に滑り込む10:00発「はこね11号」。譲渡、廃車にて最後の1編成となった10001編成。


座間駅付近を快走。最前列では年輩グループが絶賛酒盛り中w


相模川橋梁を通過。町田から15分。いつも使ってる新宿~町田間とはスピード感が違うね。


定番撮影地・秦野の大カーブも今日は展望席から。撮影者1名確認。


秦野~渋沢のストレートで、富士山が大きく前面に広がります。


菖蒲トンネルを抜け、枯れススキ揺れる四十八瀬の渓谷へ。渋沢5号踏切、撮影者複数名確認。


酒匂川橋梁通過。ここまで町田から30分ちょい。子供が膝に乗ってるので写真が撮り辛いw


冬晴れの足柄平野を爆走し、新幹線のガードをくぐったらあっという間に小田原駅。子供を膝の上に乗せつつ2列目から展望席を楽しんでたら、酒盛りしてた前のおっちゃん連中から声掛けられてすっかり意気投合(笑)。「次のカーブ抜けたら真正面に富士山が見えますよォ」なんて沿線案内をしつつ、子供にお菓子とか貰っちゃった。自分の孫くらいの年代なんだろうか。このロマンスカー10000系が来年3月をもって引退するなんて話はさすがに知らない様子で、そんな話をしたら「へえ!まだ新しいのにもったいねえな!」と白角水割りをグビリと飲りながら答えるのでありました。どこへ行くか聞かなかったけど、小田原で降りてったところを見ると今晩は熱海か伊東あたりで忘年会って感じでしょうか(笑)。

 

小田原駅で半数の乗客が下車。最前列のおっちゃん飲み助グループに席を譲ってもらい前へ移動(笑)。
風祭で上りのVSEと交換し、まだ箱根にも紅葉が残ってるんだなあと思いつつ入生田から三線軌条に入ると…


おなじみのアーチ型の壁囲いが見えて来て、終点箱根湯本に到着です。


飲み助のおっちゃんに「まだ新しい」と言われてはいたけれど、この車両はデビューが1987年ですからもう25年になるんですね。1987年って後楽園球場最後の年じゃねーか。そんな昔なんだなあ。有馬記念で勝ったのがメジロデュレンの年ですか。折しも世の中バブル真っ盛り、サロンバスのような高床式のハイデッカー構造と、とんがったシャープなマスクが昭和の香りでしょうか。平成になって特急車ってどこも流体力学を意識しているというか曲線的になりましたですもんね。まあ前にも書きましたけど、デザインの飛躍し過ぎたきらいのあるVSEや、青いウミヘビのようなMSEに比べて、一番ロマンスカーらしいロマンスカーだと思いますけど。

箱根湯本の折り返しは慌しく、トレッキング帰りと思しき山ガールを乗せて、颯爽と箱根の山を下りて行きました。
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別れの予感、現実に。

2011年12月17日 00時32分27秒 | 小田急電鉄

(画像:さらば20000系RSE)

金曜日に全国のJR線のダイヤ改正およびそれに付随した私鉄各社のダイヤ改正が発表されましたが、全国的に見れば寝台特急日本海(大阪~青森)の廃止+急行きたぐに(大阪~新潟)の定期列車廃止→臨時格下げ化を大きなトピックスにして、最近の撮りものである「特急あさぎり」(新宿~沼津)も新宿~御殿場間に営業を短縮した上でJR371系と20000系RSEが引退し、60000系MSEの半切れ6連運行に変わると言う大改造となりました。ちなみにMSE6連は新宿方が残念な顔になっているので、これが狩屋なんか走ったらドッチラケもいいとこだ!と言う撮り鉄の怨嗟の声が聞こえてきそうであります(笑)。


小田急線では10000系HiSEも同時引退、通勤型5000系もとうとう引退と言う事で、さっそく公式に特設ページを開設し引退記念ツアーを組むなど商売っ気満々の対応となっております。最近は基本的にコスト削減と効率化以外に鉄道会社は動かないので、聞かされたらああそうですかと納得するだけであまり驚かなくなったが、RSEまで退役するとは思いませんでしたねえ。普通に本線のはこね運用とかに入ってたんで、土休日のロマンスカー足りなくなるだろうと思っていたのだが、土休日は減便で対応するらしい。思い当たるフシのあるものはみんななくなっちゃうんだなと(まあそんな気配があったんで最近撮ってたつーのもある)。HiSEは細切れにされて長野に嫁入りしたけど、RSEあたりも2階建て外した上でどっかで第二の人生があればいいな、なんて思っているのですが。

と言う訳で今日は子供と実家の近くの踏切でHiSEをお見送り。
肩に担いでいたので写真はありませんw
来年の3月まで、葬式で結構大変な事になりそうだなあ>小田急沿線
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