青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

第20回蛭子バス

2015年06月21日 10時04分06秒 | 日常

(首都圏大回り乗車の旅@上野東京ライン)

昨日は梅雨の貴重な晴れ間、という事で子供と大回り乗車の旅をして来ました。ただしメインのレンズが全検中のためカメラのやる気はない(笑)。上野東京ラインとやらにも初めて乗って来ました。すっかり様変わった品川駅の長距離旅客ホーム、E657が停車して常陸の風が城南地区にも吹き込んで来た感じ。

さてさて昨日は記念すべき蛭子バスの第20回大会でしたね。今回は洞爺湖から羅臼ってのもさすがに回を重ねてルート選定が難しくなって来たなあと思わせますけど。北海道の地域性からして、細かくバスを乗り継ぐと言うよりは都市間移動の長時間コースになりがちで、場所を言われてもどこなのか分からないような集落内での乗換とか末端のコミュバス使ってグルグル乗り継いで行くとかのテクニカルな話にはなりにくいのでそこらへんが好きなアタクシとしてはちと物足りなかったりはしたのだけど。

今回はチキウ岬・襟裳岬・納沙布岬のチェックポイント制(四国以来か?)だったので成功するかどうかの危惧はあったんだが、終わってみたら4日目の午前中にゴールの羅臼に到着してしまうと言う拍子抜け(笑)。襟裳岬周辺が昔っからJRバス北海道の管内でしっかり本数がケアされていたのと、広尾~帯広、帯広~北見でしっかり鉄道廃線後の転換バスを使えているのが大きかった。帯広駅19:50~陸別22:40の十勝バスと、陸別5:52~北見7:30の北海道北見バス、人口と流動から見たら見合わない時間まで運行しているのもおそらくふるさと銀河線時代のダイヤを踏襲しているであろう転換バスならではだよなあ。それにしても陸別の宿があって良かったし、それを教えてくれた帯広の窓口のおっちゃんはナイスでした。
あと、基本的に北海道は特に道東方面になると高速自動車道がほとんどないので何を選んでも路線バス扱いになると言うのもラッキーなのかもしれません。本州で北見~釧路の150kmレベルのバスなんかまず高速使うだろうから。余談ですが様似のシーンでの日高本線の紹介キャプションで「苫小牧と様似を結んでい『た』」って書かれてたのだが過去形にすんなと。確かに今は高潮被害で長期運行停止中だしJR北海道もカネないから廃線にする気満々だけど…そんな様似の町を挙げた蛭子組歓迎にほっこり(笑)。機会があればぜひエンルム岬は行ってみたい。とりあえずエンルム岬を眺める波打ち際で盛大にコケる蛭子の唐突な競艇場取っ払いのヤミ営業告白ワロタw

そして全編に亘って愛嬌を振りまいた今回のマドンナ・森尾由美(49)推せるわと言っておきます(笑)。さすが森高千里・森口博子・森尾由美と40代になっても推せる日本三大フォレストの一角だわ。2日目の後ろ編み込みヘアとかいつまでもかわいらしくてどストライクですよまったく。ちなみに森尾由美と言えばアニメ陽当たり良好!のかすみちゃん役ですよね、と無駄に対象不明の同意を求めてみる。
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よつくじら、信州の青空の下

2015年06月11日 23時10分51秒 | 長野電鉄

(手と手、携えて@小布施駅)

今回催行された団臨、普段は2両編成(たまに3両)の3500系を2編成併結して走らせると言うのもポイント。収容人員の多い東急8500の3連が入ってからはなおさらなのですが、営業運転で4連は須坂より向こうを走る事はなかなかありません。小布施駅の停車中に撮影したワンカット。2連+2連が仲良く手を携えて走る初夏の信州路、繋がれたジャンパ線と連結器がその証。


さて、撮影会が終わるとフォトラン。あ、別に乗っててもいい訳なんですけど(笑)、ヘッドマーク付きの4連で走るとなれば走行中の姿もぜひ押さえておきたいところ。運行ダイヤもフォトランに相応しく、撮影ポイントでは45km/h徐行対応と言う特典付き。まずはその徐行ポイントである北須坂から小布施にかけての「松川橋梁駆け上がり」。正式名称は知らん。ココは春は八重桜が咲き乱れるスポットでもありますが、花の時期でなくてもさすがは名撮影地らしいカッチカチの構図が決まります。

 

小布施の停車時間を使って先回りし、お次は延徳駅の進入。行き先表示は「湯田中」を出していますけど、実際は信州中野折り返し。湯田中まで行ってくれたらアツいのだが、湯田中のホームが4連が入れるほど長くないと言う…ならば中野で分割して2連だけ山登りは?出来ない事もないんだろうけど、湯田中が1線しかないので臨時を入れるほどのダイヤが組めないそうで。もし湯田中が昔のままだったら、旧ホームに付けて折り返してくることも可能だったのかも。「この列車は前2両が湯田中行き、後ろ2両は信州中野止まりです」なんて分割アナウンス聞いてみたかったぜw


構図的に地味な延徳駅進入にこだわったのは、ここで8A特急ゆけむりと交換するから。あくまで自分の中では主役はHiSEだったのかもしれません(笑)。延徳で薄曇りになってしまったけど、前面角があるHiSEはトップライトで光線に当てられると撮り辛くなっちゃうからまあこれで良し。思い思いにホームに出て撮影を楽しまれる参加の皆様方。


延徳駅を出発する4連。時間的にどっちから撮っても逆光ベースでサイドに光は回らないと言う難条件ですが、光が夏っぽいのをいいことに夏草にまみれて撮影してみました(笑)。延徳で止まっている間に幕を回して正規(?)の信州中野行きへ変身。特急かさだけ号、志賀高原へは信州中野から長電バスへお乗り換えか。


お次は定番の桜沢リンゴ畑俯瞰か、と思いきや、意外に折り返してくる時間が短く桜沢~都住の田園地帯へ。個人的に伸びやかな風景が撮影出来るので好きなポイントでもあります。志賀高原へ続く山並みをバックに、こんもりとした森の切通しを抜けて雁田山に続く山すそを回って来る4連。こちらサイドはヘッドマークなしのすっぴんね。

  

返しも小布施駅で撮影を兼ねた長時間停車。観光客で賑わう休日の小布施駅、善光寺ご開帳とセットで小布施観光を楽しまれたお客さんも多かったかと思いますが、鉄道マニアが一斉に団臨に向かってカメラを向けている光景にはビックリなされたのではなかろうか(笑)。かく言う私も湯田中入線対策として床下に増設された抵抗器の放熱管に萌えていたりしているので、何を言っても詮無い事ではあるのですが…w

  

「ながでん電車の広場」に佇むかつての主役であった2000系リンゴ編成、今日は特製のヘッドマークを付けておめかし。カメラの放列を見て在りし日の自分の姿を重ね合わせていたりして。いやいや、お前さんがまだ走ってくれていたら、今日の比じゃなく人が集まったと思いますよ。車体自体は屋根に守られていてさほど引退時と変わってないように見えますが、実際通電してないと電装品の傷みは進むらしいですからねえ。復活するとなったら再整備にいくらかかるんだろうか。もし復活するんだったら須坂のOSカーと一緒に復活させて欲しいけどw

  

須坂に停車中の団臨に飛び乗り、長野へ向けての一往復をお客さんとして味わう。千曲川を渡り、北陸新幹線の下をくぐって長野の街中を走って行く3500系、別に長野市民でも何でもないが、何故だか定番化した風景に思えるのはなぜだろう。クジラのザラザラした昔っぽいモケットの座席に座って、うつらうつらしながら本郷の先で地下へ潜ると、薄暗い地下駅が何だか昔の小伝馬町とか入谷三ノ輪あたりのイメージに重なってくる不思議。

催行に向けご尽力頂きました皆様、お疲れ様でした。
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今なお現役

2015年06月07日 08時46分37秒 | 長野電鉄

(飼い犬に手を噛まれる@長野電鉄3500系)

昔の営団車って何故かドアのところの扉が高い位置に付いてて、子供の時とか外が見えなくて嫌だったのを思い出しました。どうせ外は地下で暗いんだから見えなくたっていいじゃん、というのは大人の論理で、地下を走るからこそ駅に着いた時に蛍光灯に照らし出された駅名票を確認しないとどこを走ってるのかが分からないのが嫌でした(笑)。そんなドア部高窓の「昔の営団車」である日比谷線3000系こと長野電鉄3500系、今回はこの車両を使用した団臨&撮影会。そういやドア部に「指はさんじゃった子供が大泣き」的な直接感性に危険を訴えるステッカーってのも最近見なくなりましたよね。この場合は何故か「飼い犬に手を噛まれる」体に見える不思議。

  

撮影会までの待合室を兼ねて須坂駅の5番線ホームに留置された1000系「ゆけむり」。平成17年に長野の地を踏み、今年で早くも10年の歳月を迎える事になりました。本家小田急でVSEが10周年とかやってますけど、あの時のVSE2本新造で弾かれたのがこのHiSEなんですね。ワインレッドから長電レッドに塗装は微妙に変わりましたが、そのスマートなロマンスカーらしいフォルムは健在です。

  

前面展望だけでなく、ご好意で運転台まで上がらせて貰えるのがテンション上がる。正直これを楽しみに来たと言っても…(笑)。運転席のスペースが狭いのはそりゃ知ってたけど、機器類も凄くシンプルですね。そしてこんな座椅子で足を投げ出すみたいな窮屈なポジションで運転しなきゃならんのかと改めて。腰痛くなりそ。東芝製のマスコン周りに表示された「B特急停車駅注意(そりゃそうだよね)」「善光寺下停車(御開帳中だからね)」「中野松川停車(バラ祭りだからね)」の指示が時節柄ですねえ。

  

5番線と4番線の間に、ゆけむり・撮影会用のL2編成・団臨用のN8+N3編成を並べての撮影会。元東急5000系(青ガエル)を一斉淘汰するために導入された日比谷線3500系車両も、木島線・屋代線の廃止による2両編成の運用減や、東急8500系の導入に伴って徐々に数を減らしておりますが、この日はファンの方お手製の「かさだけ」「まるいけ」のヘッドマークを付けて久しぶりの晴れ姿。長野電鉄が2000系を導入し、志賀高原へ向けて特急を走らせ始めた当時の愛称らしいが、どこをどうやったらこんなヘッドマークが作れるのか。趣味の世界と言うのは突き詰めるとこういうものも生み出す活力となるのだなあ。


山ノ内線内の40パーミル連続登坂は、元々連接車でただでさえ台枠に非常に負担がかかる華奢な車両にはツライ事と思います。加えて展望席のため前面開口部が大きいだけにそんなに車体の強度もありそうには思えない。比較的きれいに使われているとは思うのですが、それでもよーく見ると車体の接合面には経年劣化による歪みや割れがあったりして…何か大がかりな不具合が出たとしたら、おそらく長電では修復不能なレベルのものになってしまうのではないかと。

それでも、NSE(小田急3100系)からの伝統を引き継ぐロマンスカーらしいロマンスカーとして今なお現役でいてくれる事にしみじみ感謝。小田急電鉄の平成時代の幕開けを飾ったこの華やかなる名車がいる限り、そしてこの車両が走り続けている限り、また信州に会いに来る事でしょう。
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朝のレトロウォーク

2015年06月04日 23時24分01秒 | 長野電鉄

(静かな湯の里@角間温泉)

木曽路でロクヨンを追い掛けた後は、塩尻から一気に高速で長野市内へ移動。同好の氏とメシを食いながら翌日のお話なんぞを…実は今回、事前の宿泊場所を何にも決めてなかったんだけど、当日も当日ギリギリで空いていた宿を押さえてチェックイン。宿泊したのは湯田中温泉郷の中でも一番外れにある角間温泉と言う場所でした。鄙びた湯治宿と共同浴場が路地に建ち並ぶ、つつましく静かな温泉街。画像は朝ですが到着した時は真っ暗で宿がどこにあるのか分からなかったと言う(笑)。見た目よりはこぎれいな部屋で、質の良いさらさらスベスベするたっぷりの温泉付きで素泊まり4,500円。ビジネスホテルよりよっぽどいいね。

  

ちょっと熱めの温泉に入り、翌朝。コンビニで朝メシを買いがてら、信濃竹原の駅へ。何度か訪れた事のある駅ですけど、湯田中に続く扇状地の集落の中に、漆喰壁の小駅舎がぽつんと佇む風景が好ましい。おそらく昭和2年に鉄道が湯田中(当時は平穏)まで開通した時に作られたまま、時は流れ今に至る。屋代線が廃止され、長電からこの手の味わいのある駅舎もだいぶ少なくなっているように思う。

  

そこかしこに残る時代を感じさせるアイテム。駅舎の中の運賃表はいったいいつのものなのだろうか…日野駅(昭和62年復活)と付属中学前駅(昭和60年開業)が後付けで足されている事を考えると、それより前のものなんでしょう。さすがに運賃は張り替えられてるんで最近のなんでしょうけど、それでも木島方面があるから平成14年よりは前の運賃表ってことね。湯田中駅から草津や万座を通って長野原までのバス路線が引かれているあたり、まだ志賀高原周遊ルートをバスで直通出来た時代の話なのかな。

 

駅の湯田中寄りに残る貨物ホームの遺構。信濃竹原からは木材(パルプチップ)や農作物が積み出されていたようですが、駅の湯田中側には朽ち果ててはいるものの貨物上屋が残っており、褪せた看板が読み取れます。えーと、「車扱貨物の積卸時間に付いて」…車扱貨物=しゃあつかいかもつ、と言うのは貨車1両を単位とする輸送方式で、今の車扱貨物はA駅からB駅まで一括発送するもの(それこそ昨日のタキ貨物とか)が大半なんですが、昔は貨車1両ごとそれぞれの行き先に応じて、途中で貨車を繋ぎ替えてたんですよね。これがめんどくさくて時間がかかるってんで鉄道貨物の衰退の原因になったんだけど。それにしても火薬類は分かるが「第一種放射性物質」って何だよw


右側通行の信濃竹原駅で交換するマッコウクジラこと3500系、信州中野行きに乗り込む地元の方が1人。日中は運転間隔が1時間半近く開くこともあり、今や末端のローカル区間に成り下がってしまった信州中野~湯田中間。ちょっと前までは朝夕のB特急(2000系ですよ)がこの区間は各駅停車になって長野市内と直通してくれてたんですけどねえ。

やっぱ直通がない、ってのは心理的に鉄道利用を遠ざける一因になったりはしてないだろうか。
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追っ掛けは抜きつ抜かれつ

2015年06月03日 23時33分42秒 | JR(貨物)

(旧き佳き停車場風情@須原駅)

西線のロクヨン貨物を追っ掛けていると必ずウロウロするポイントの一つである須原駅。国道19号から一本隔てた駅前の旧中山道は情緒ある宿場町の雰囲気で、正直観光地化された妻籠なんかよりもよっぽど趣がある。そんな宿場町の入口にある須原駅は、木製の駅名板が落ち着いた雰囲気を醸し出す旧き佳き停車場の風情。木製ラッチも残ってたりして、時間があればゆっくり見て行きたかった物件です。


恵那まで追いかけた挙句に3084レを取り逃したら腹が減っている事に気が付き、コンビニのおにぎりを頬張りながら今度は稲沢からの81レをどこで迎え撃とうかの算段。81レは南木曽・十二兼・奈良井で退避を含めた長時間停車(バカ停ってヤツですね)をかますので、南木曽の手前で一発、十二兼から先でもう一発、単線を出る倉本の先で捕まえられたらもう一発くらいのカット数でしょうか。あまり深追いするのは先ほどで懲りたので、一発目は南木曽に近い落合川~坂下間へ。田んぼの中にちょっとインカーブしているポイントがあったので、ここで構えてみます。


線路は北西に向かってインカーブを取っているので、午後の81レではサイドへの光の回りがいいんじゃないかと言う読みは当たった。ただし、結構コンテナを牽いて来る81レではケツが切れる(トンネルの中に入っちゃうみたいですね)。そう思えばもうちっと引いた立ち位置で線路に寄って、もうちょっと列車を引っ張ってアタマっから抑えた方が良かったのかもしれない。ここらへんが西線初心者っぽさなんだろうがw


南木曽で81レを追い抜いて、木曽谷に入ると急に日が陰りはじめてしまった。お次は中央西線ロクヨン貨物最大の定番である伊奈川の鉄橋。坂下で撮ってから伊奈川の通過が1時間20分くらい開いているので、ひょっとしたら南木曽~十二兼で一発やってからでも間に合うのかもしれない。鉄橋の奥で叩くもよし、中俯瞰気味に編成をまとめるもよし、広角でうねらせてもよしとどう撮っても楽しめる伊奈川鉄橋ですが、広角うねらせで撮ってみました。圧縮するか画角を広げるか悩む時、自分は広角側を選択する事が多いですね。

 

須原の駅で追い抜いたので、お次は単線区間の出口である倉本駅で。相対式ホームの真ん中にタイガーロープが引かれちゃってるのが気になりますが、こっから先は列車が複線区間に入ってしまうのでまた逃げられちゃうだろうからねえ。日暮れの木曽谷にライトを灯して、EF641002+1020。今日は2本ともJR貨物色だったけど、きっちりエンド揃いで混色もなく、統一感のあるコンビだったので良かった。


半径400mのカーブを上松に向かって走る81レ。この後奈良井のバカ停を使って追い抜けるかな?と思ったんだけど、奈良井で追いついたはいいが急に土砂降りのにわか雨に遭ってしまいリタイア。そんないいアングルも見当たらなかったしね。ちょうどこの辺りで翌日お会いする友人から夕飯のお誘いを受けたので、これにて抜きつ抜かれつのロクヨン追っ掛けはお開き。

それにしても追っ掛けすると距離が伸びるもので、この日だけで600kmも走ってしまった。こんなに走ったのは久々だが、感覚も掴めたので次はスタッドレス履いて冬に来てみんべえかねえ。そんときゃいっぱい列車の設定あるだろうし。
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