青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

終列車 夢の世界へ 続く道。

2022年01月29日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(ひかりのくにへのいざない@小佐越駅)

小佐越の駅舎に輝くイルミネーション、定時よりやや遅れて、6050系リバイバルカラーの東武日光行き最終電車が到着しました。現在はずばりそのもの「東武ワールドスクウェア」駅が隣に出来ているのですが、かつてはここ小佐越駅が最寄り駅。少々歩くには遠かったもんだから、園内へは駅前からバスで接続してたんですよね。観光施設へのアクセス駅の立場は譲ってしまったものの、夕方からのSL大樹の運行などもあり、鬼怒川線の駅はどこも小ぎれいに飾り付けられています。

ここは楽しい楽しい光の国 世界の歴史を物語る
花と古城と 伝説の旅へ出よう 美しい世界の旅へ
東武ワールドスクウェア そこには暮らしを楽しむリズムがある
東武ワールドスクウェア ここは愉快なおもちゃ箱

リバイバルカラーのボディに、イルミネーションがキラキラと輝いて美しい。海外にはなかなか行けないご時世だからこそ、鬼怒川で一日でめぐる世界旅行はいかがだろうか。ミニチュアの世界で遥かに遠くなった海外に思いを馳せるのも、海外が好きな人にとってはかえってフラストレーションが溜まってしまうか・・・。まあ、私のような基本的にドメスティックな人間は、東武6050系のボックスシートに揺られながら、静かに一献傾けるような旅こそが宝石箱の様に思えてしまうのですがね。冷え込んだ鬼怒川の夜、窓に映る暖かなベージュのモケットに今すぐ包まれたい衝動に駆られながら、列車へそっとシャッターを切りました。

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リバイバル 再び開く 玉手箱。

2022年01月27日 22時00分00秒 | 東武鉄道

(こちらも懐かしリバイバル・・・@鬼怒川温泉駅前)

夜の山王峠を抜け、コンビニも何もない国道121号をひたすら走る。暗がりの中、道のど真ん中でシカに遭遇する事複数回。夜の山中の走行はこれがあるから怖い。新藤原を抜け、ようやく灯りの見えて来た鬼怒川温泉の駅前でホッと一息。もう駅前には宿泊客も観光客も誰もいない時間でしたが、律儀に転車台のイルミネーションは点灯されていて、そこに最終の特急「きぬ143号」が入線して来ました。東武特急スペーシア、100系の旧DRC色・リバイバルカラーです。

東武鉄道、SL・DLや14系客車の導入や、積極的リバイバルカラーの導入など割と鉄道ファン向け(特に中高年のマニア向け)の施策を色々と繰り出しているのですけど、この1720系DRC塗装の復活というのもその一環なのでしょうか。実は子供の頃、家にある鉄道の図鑑を見るにつけ、「東武鉄道の特急って、小田急のロマンスカーと比べてもなんか変な格好してるし、色合いがジジ臭くて地味だよな!」と思っていたことを告白しておきます(笑)。あのDRCの縦型グリルの美しさと、しっとりと落ち着いたマルーンの色合いをディスってごめんなさい、という気分だ。

同じマルーンの一族の6050系が2連で入線。6050系の足回りにも使われている先代の6000系と1720系DRCが昭和の日光・鬼怒川系統の代表的な優等コンビだとしたら、平成の日光線系統を守ったのがこのスペーシアと6050系だったと言えるでしょう。スペーシアもリバイバルカラーの発表と同時に後継車両の投入が公表されていたり。もうこの組み合わせでの並びも、ほぼ過去帳入りか。

灯りを消し、翌朝まで暫しの眠りに就くDRCリバイバル。構内の水銀灯に照らされたボディが美しい。シックなベージュ&マルーンの塗色に、東武鉄道の矜持とも言える板バネ2枚のミンデンドイツ式台車が鈍色に輝いて・・・おお、もう匂い立つような東武トラディショナル。思えばスペーシアが投入された1990年代前半は、1993年の東武ワールドスクウェア開業と相俟って、鬼怒川周辺のレジャー開発がバブルによって勃興した黄金期。目を閉じると、思わず小田茜が歌い出してしまいそうな光景が広がっていた鬼怒川地域ですが、バブル崩壊からの足利銀行破綻、リーマンショック、そして東日本大震災と、華麗な玉手箱で夢を見ていられた時代は非常に短かったんですよね・・・

ちなみに東武ワールドスクウェアのCMソングは「夢のワールドスクウェア」というタイトルで小田茜が歌っていた。関東の人であれば必ず口ずさめるであろうこの曲、全編を聞いたことがある人はなかなか少ないのではと思われるのだが、普通に世界観の高い名曲なのでぜひ聞いてみて欲しい。オスカーの金看板を背負った国民的美少女こと小田茜、ゴクミの妹の触れ込みで結構好きだったんだが、いつの間にかCMは栗原小巻になっててガッカリしたぞ。小田茜って足銀と東武ワールドスクウェアのCMでバリバリの栃木イメージがあって、栃木では小田茜だったらすべて許されそうな無双感があったよな・・・生まれは真岡らしいが。

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照らし出せ 闇の向こうの そのレール。

2022年01月24日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪の夜@会津荒海駅)

雪の夜、交換駅にやって来た6050系野岩車。撮影したのは会津荒海。朝も立ち寄った場所なのでとてもヒネリがないのですが、残念ながら夜の会津鉄道、駅間でどうにかなるほど明るい場所などありません(笑)。最近の一眼は高感度に強いですから、明るい単焦点でも付けてめちゃくちゃ感度上げれば写るかもしれませんが・・・そういう「機材の力の暴力」で撮れるほどのモノは持ち合わせておりません。オーソドックスに雪レフを使った駅撮り。ホームに腰の高さまで積もった雪が、構内の水銀灯に照らされて眩しい。

もうこの時間になると車内に人の姿は少なく、僅かな乗客が、暖色の温かいモケットに包まれたボックスシートで手持無沙汰そうに交換列車を待っています。ほどなく構内踏切のブザーが鳴って、下今市行きの電車が入線して来ました。少し立っているだけで、足元から冷気這い上がってくるような雪の夜。淡々と南会津の小さな停車場で行われる交換シーン。カウントダウンを感じさせない力強い光跡が、交換駅のレールを照らします。

現在の野岩線内の6050系列は2連が4運用で回転していますが、夜7時台の田島行きは終点の会津田島でそのまま滞泊し、明日の9時台の区間快速に。そして下今市行きは、折り返して鬼怒川温泉に向かい、そこで滞泊となります。お互い、今日の仕業はもう少し。エールの交換を終えて、それぞれの目的地へ向かう僚友。運転士が6050の箱型の前照灯をハイビームに切り替えると、雪の中に続く二条の進路が現れました。

日光会津の険を担って30有余年。道を照らせ、暗闇の中の、その先へ。

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冬会津 遠き日 晴れ着 成人式。

2022年01月22日 12時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪の街を見下ろして@鶴ヶ城天守閣)

あっという間にコロナ変異株は日本中を席巻しておりますし、先週はトンガ噴火による全国的な津波災禍、そして今朝は日向灘を震源とするマグニチュード6を超える強い地震と、2022年が始まってからまだ20日しか経っていないのに今年も日本は年明けからハードモードであります。感染もこうも急拡大してしまうと、さすがに今回は「そう重症化しないよ!」と言われても、またなかなか外出のしにくい時期になって参りました。子供はワクチン打ってませんし、職場でも部署によってはちらほら感染者が出始めているような状況ですから、こないだの三連休に会津まで行って来られたのがまあ良かったかな、という感じですね。そろそろ手元に1月末の支払関係、年末年始の出費、ちょこちょことしたお出掛けのカード代金やらなんやらの精算が回って来て少し予算オーバーもしているので、このオミクロン期を良き財布の骨休めだと思う事にする。写真は鶴ヶ城の天守閣から、雪の会津若松の街を見下ろした一枚。深々と雪の降る冬の会津、街の雑踏も、クルマの音も、雪に包まれて聞こえて来ない。物音のない静寂に。

雪の天守閣。成人の日を控えた週末という事もあって、城の回りには晴れ着を着て成人式の前撮りに励む会津の若い女性が非常に多かった。会津若松の市民にとって、鶴ヶ城というのが特別なものであることが良く分かる。成人式など自分にとってはとうに昔の事で、もう忘却の彼方のこと。今年の新成人が平成13年~14年世代と言われるとつい最近じゃない、という感じもする。今年の新成人は全国で120万人だとか。自分らの世代だと200万人くらいいたような覚えがあるのだけど、この事実が人口減少社会の日本って事なのかもしれない。

会津若松では息子と一緒に鶴ヶ城の他、県立博物館や白虎隊の墓を詣でたり。家族へのお土産には定番の「赤べこ」と「ままどおる」。福島の菓子と言えば、柏屋の薄皮饅頭かままどおるって相場が決まってるところあるよな。本当であれば東山温泉にでも宿を取って一泊して行きたいところですが、こんな状況下ではなかなか外泊という訳にも行かず・・・田島の街で温泉と食事。子供はロースカツのソースカツ丼に夢中。宿泊しない分、メシにはカネをかけた遠征であった。夕方の会津田島発の下今市行きはリバイバルカラー。普段はリバイバル2編成で4連を組んでいる事の多いコンビがこの日はバラ運用。夕暮れの田島の街を、野岩国境に向けて発進して行きました。

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西街道 郷土の味に 温まり。

2022年01月19日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(郷土の味に舌鼓@会津ラーメン)

寒い中で撮影をした後は、温かいものが食べたくなるもの。会津地方は、喜多方ラーメンを始めとしてラーメン屋が非常に多い。そんな会津の、国道121号沿いのとあるラーメン屋さん。会津地方は、朝にラーメンを食う「朝ラー」なんて言う習慣もあると聞いたのだが、この店も朝9時からやっているのは嬉しい。真夜中から動いていて、息子も自分も結構腹が減っていた。昼メシには少し早いかな?という時間に暖簾をくぐると、意外や意外のほぼ満席。地元のそれなりの有名店らしい。会津らしい醤油ラーメンの上にはチャーシューがどっさり。別にチャーシューメン頼んでないのにこの肉盛りの良さ。まあ自分なんかはラーメンは麺とスープが美味しければ・・・というタイプなんだけど、息子は大喜びでした。

ここは別にラーメンブログではありませんが、久し振りの本場の会津ラーメン。すっきりした醤油スープと、モチモチ、ピロピロした自家製の手打ち麺。ああ、この味この味という感じ。意外なほど太い麵が吉田うどんのようで面白かったのだけど、最初に訪問する一食目なら普通の麺の方が良かったか。東北方面のラーメンは、佐野・白河・会津・喜多方と、基本的にはオーソドックスな澄んだ醤油スープにモッチリ系の手打ち麺という組み合わせが多いと思うのですけど、やれ豚骨だ背脂だとならない分スッキリしていて食べやすくて好きです。小さい頃、千葉の祖父母の家に行くと必ず行くラーメン屋があったのだけど、そこのラーメンが確か白河ラーメンの流れのお店だったんですよね。なので、この南東北系に分布するラーメンの味は美味しさと同時に懐かしさを感じてしまいます。このお店のスープは、少し煮干しで酸味が効いているような感じでした。ごちそうさまでした。

お腹も満たされ、体も温まった中で訪れた芦ノ牧温泉駅。そうそう、4年前にも湯野上温泉に泊まってここまで会津鉄道に乗って来たんだった。あの時はここまで雪はなかったかなあ。会津荒海のおばあちゃんも言ってたけど、やはり今年は雪が多いのかもしれない。まがりなりにも会津若松市と南会津町は、一部地域が国の特別豪雪地帯に含まれる場所でもある。

芦ノ牧温泉駅を出て行く会津鉄道のNDC。阿賀野川の上流部である阿賀川(大川)に沿って、会津滝ノ原(現:会津高原尾瀬口)までを結んでいた元・国鉄会津線。本州では最後まで蒸気機関車(C11)による貨物列車の牽引が行われていた路線でもあります。米沢から喜多方~会津若松を経由して鬼怒川に向かう鉄道の計画(国鉄野岩羽線計画)は古く、明治時代から長年に亘って計画されていたもの。従来の郡山回りとは別に、日光から会津若松への裏街道を鉄道で結ぶルートでした。雪深い山王峠を境に分かれる下野と岩代、そして会津へと繋がる道は、江戸と会津を結ぶもう一つの重要な交易路。そして、新政府軍が幕府と奥州列藩同盟を会津に追い詰めた、戊辰戦争の戦いの道でもあります。

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