青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

野岩の魅力と聖地化と。

2023年12月19日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(野岩国境を往く@中三依温泉~上三依塩原温泉口間)

会津西街道の山里に日暮れの訪れは早く、既に藍を流したような夕暮れが迫っていました。鬼怒川の上流に当たる男鹿川の源流部の河原に三脚を立て、列車の登場を待つ。寒いのと、クマでも出てきたらたまらないので、通過までは安全を期して車内にて待つことに。列車が湯西川温泉の駅を出た頃合い、時計を見計らって外へ出る。男鹿川を斜め一直線に渡って行くリバティ会津。車内の明かりに河原のススキが光る。

新藤原駅の静かな夜に、野岩鉄道・61102Fを眺める。東武6050系、首都圏と会津のリレーランナーとして、平成時代を駆け抜けた会津快速の最後の末裔であります。野岩鉄道サイドも、この車両の今後の活用方法を模索する中で、クラウドファンディングを募って現在休車になっている61101Fの復活を目論んでいると聞きました。正直、野岩鉄道で改めて自前の車両を導入するような資金の捻出はなかなか厳しいところですし、東武にも適当な2両編成の後継車両は今のところ見当たらないんですよね。20400系は4連だし、舘林の工場では10000系列の2連改造を一生懸命行っていますけども、そこらへんはまず舘林以北の路線に残っている800系を淘汰することが優先になっているようなので・・・

そういう意味で、野岩鉄道における6050系の運用体制は暫くのうちは確保されるのかなと。年末年始には元6050系の改造車であるスカイツリートレイン634を東武から借り受け通常運用に投入するそうで、社長さんのSNSでのプロモーションも積極的なんですよね。今後は東武で全廃された6050系の聖地化を図るのであれば、それも生き残り方の一つなのかなとも。

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法衣、三依の帰依。

2023年12月17日 11時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(歴史の碑、秋に眠る@中三依温泉駅前)

既に初冬の雰囲気のある、冷たい風の中三依温泉駅前。人跡未踏の山岳地帯を往く野岩鉄道の駅の中では比較的集落の中にある駅なんですが、駅前のロータリーの片隅に、ひっそりと植え込みに覆われた石碑がありました。「野岩鉄道会津鬼怒川線開通記念碑 昭和六十一年十月九日 中三依駅祝賀行事実行委員会」とある。当時は「温泉」はついてなくて、中三依温泉駅は中三依駅、お隣の上三依塩原温泉口駅は下野上三依駅という名前でした。野岩鉄道開通当時の時刻表を見ると、新藤原始発はなく、新栃木発や下今市で分割された東武電車がそのまま野岩鉄道まで乗り入れてくるダイヤだったようです。そして、中三依折り返しが一日3本。この辺りまでは沿線住民の乗車需要が高かったということなのだろうか。ただこんな石碑を残すくらいだから、当時の中三依に暮らす人々にとって、鉄道の開通がどれほど待ち焦がれていたものだったかというのは想像に難くない。祝賀行事をおこなうくらいの慶事は、今から37年前の、秋の日のこと。

中三依温泉駅は、集落を見下ろす築堤の上に島式のホーム1面2線の設備。野岩鉄道の中間駅の中で、交換設備があるのはここと川治温泉・上三依塩原温泉口の3ヶ所だけなので、線内では比較的交換シーンの多い駅です。駅舎は小さなプレハブ小屋のような造りになっていて、既に長い間シャッターが閉じられていますが、ここに昔は出札窓口でもあったのだろうか。それとも、余りに小さすぎるから自動券売機の設備のみがあったのだろうか。おそらくもう今後一切開くことはないのだろうけど・・・中三依の集落には未だに郵便局や交番、小学校と中学校(日光市立中三依小・中学校)があって、会津西街道の栃木側では最後の集落らしい集落でもある。駅の近くには、行政が観光振興のために掘削した温泉(中三依温泉男鹿の湯)とキャンプ場があるのだが、泉温が低いため通年営業しておらず、冬場になると営業をやめてしまうのがネック。以前、子供と南会津の旅に出かけた時に立ち寄ったことがあって、優しく清澄な湯であったのを覚えている。

色鮮やかな紅葉を横目に、中三依温泉駅に滑り込む6050系。かつては、6時台から20時台まで上下で毎時1本の本数は確保されていて、それなりに沿線の通学や移動の需要などもあったのだろう。今は特急リバティを含めて6時台から20時台までの有効本数は10本。日中では2時間程度列車のスジが開くタイミングもあったりして、沿線を乗り撮りして回るのはなかなかしんどいものがある。周辺には「クマ出没注意」の看板がたくさん置かれていたのだが、日本の山里は最近人よりクマの方が住みやすくなってしまった感じもあって。現在の中三依温泉駅の利用客数は日に10人~20人程度というデータがあるが、コロナの前の話だから、今ではどんなものなのだか。

地名の由来にもなった三依山への稜線を眺める中三依温泉の駅前。カラマツ林の向こう、標高の高い場所では既に葉が落ちていて冬山の気配があった。駅前には宝蔵院という大きなお寺さんがあって、そこの大銀杏も見事なものだ。中三依、上三依の「ミヨリ」という地名、会津西街道沿いにはもっと北の方に上三寄(かみみより)という場所もあったりして、この辺り特有の地名の特徴な気がします。上三寄は、現在の会津鉄道の芦ノ牧温泉駅周辺の地名なんですが、そう言えば、国鉄時代は同駅の駅名も「上三寄」でしたね。地名の由来は、「三つの川の寄り合わさるところ=三依・三寄(ミヨリ)」ということなのだそうです。

駅前で徒然なる時間を過ごしていると、お寺の扉ががらりと開いて法要を終えた一家が出て来た。お務めを終えたお坊さんに丁寧に礼を言って駅前の道を帰って行く三世代の家族の背中と、見送る六地蔵。そして野岩鉄道の列車。会津西街道の小さな小さな集落に続く山里の暮らし。家族の未来に、三依の未来が続いていますように。

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陰と陽。

2023年12月15日 23時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(山影に沈む@川治温泉~川治湯元間)

午前中に撮影した川治湯元駅手前の第一鬼怒川橋梁。川治ダムの展望台から望む大俯瞰の構図。三年前の秋に訪れた際、素晴らしい紅葉の大パノラマを手中に収めたとてもいい思い出があり期待をしていた場所。しかしながら、秋の日は釣瓶落としとも言いますが、午後のそんな遅い時間ではないものの早くも山影に沈みかけていた。日の短い時期の山間部での撮影、晴れていた方が当然紅葉は映えるのでありますが、そうなるとどうしても本当に狙った光線で撮れる時間は短くなる。割と撮影の際は色々な場所で手数を出して行きたいタイプなので、こういうシチュエーションはいっそのこと曇ってしまった方が楽。

いっそのこと、な川治ダム俯瞰。山の端から差す光線は紅葉の山々には届かず、僅かに橋の天板を照らすのみ。陰と陽のコントラストが違い過ぎるという撮影には極めて難儀する構図となりましたが、列車の通過時間は近付いていていまさら撮影場所を変えるわけにもいかない。どうするかなとない頭を一捻りしてこんな構図。どうせ紅葉の山並みが写らないのであれば、いっそそこは山影に沈めてしまおう。めったに使わない400mmの望遠レンズを三脚に取り付け、スポットライトの中を往く6050系を切り取りました。

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柚子の香ほのか、藤原の町。

2023年12月11日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(野岩の拠点・野岩の要衝@新藤原駅)

野岩鉄道、秋の臨電が新藤原のホームに憩う。一往復目の中三依温泉への行路が終了した61102Fが、今度は会津高原尾瀬口行きの二往復目の出発待ち。閑散としたホームに人影はなく、たまに起動するコンプレッサーの音だけが、昼下がりの駅に響いています。そうそう、そもそも野岩鉄道の車両って今までは野岩・会津持ちの6050系をひっくるめて東武の新栃木検車区でメンテの面倒を見てたはずなんだが、今後はどうするのだろう?日常の検査は新藤原でやって、重要部検査だけは新栃木とか南栗橋まで行ってやるのだろうか。もともと、野岩鉄道は運行や車両整備については東武と一心同体の会社なので、そこら辺の機能をほとんどアウトソースしてしまっているんですよね。

駅舎に近い行き止まりのホームと、上下線がそれぞれの方向に出発可能な島式ホームが1面の変則2面3線の配線。新藤原は、東武鬼怒川線の終点でもありますが、野岩鉄道にとっても本社だったり検修庫があったりする運転上の要衝です。平成の大合併にて現在は日光市に属していますが、藤原町と言えば、元々は鬼怒川・川治の両温泉を含む地域を中心とした自治体でした。駅は「しんふじわら」なんですけど、町名は「ふじはら」町でしたね・・・。そもそも、新藤原駅があって、藤原駅はないの?って思ったりもするのだが、かつてこの地までレールを伸ばした下野軌道には「藤原駅」があったらしい。その跡地がどこらへんなのかを探した記事があるかと思って探してみたのだが、あまり情報がなかった。結構鉄道廃線系の話って探せばなんか知ら情報出てくるもんなんだけどね。

下野軌道は、東武日光線よりもはるか昔の大正年間に今市~藤原間に開通した鉄道で、鬼怒川沿いの電源開発や林野業のために作られた軽規格の産業路線。下野軌道は昭和になると東武鉄道に買収され同社の東武鬼怒川線となりますが、鬼怒川線が日光線の極めてストレートなルート取りと違って実にクネクネと曲がりくねった隘路を進むのは、もちろん地形の違いもありますが、建設時期による土木技術の違いもありそうです。かつての会津快速も、下今市で東武日光行きの車両を落とし、新藤原までえっちらおっちらとカーブを走って来て新藤原でさらに2両を落とし、野岩鉄道に入ると身軽になった体で高規格のレールの上を実にのびのびと走り始めたのを思い出しますね。

会津高原尾瀬口に向けて、藤原の町を出発していく61102F。藤原の町の民家の軒先に、たわわに実った柚子の果実。
ほんのり漂う爽やかな香りを風に乗せて、颯爽と走り抜けて行きました。

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龍王鬼怒の流れに遊ぶ。

2023年12月09日 14時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(シャンパンゴールドの競演・・・@龍王峡駅)

秋の龍王峡にて。名もなき沢のせせらぎポイントでもう少し頑張ってみる。このせせらぎの横を通るハイキングコースは、紅葉狩りをする多くのハイカーがたくさん。沢に降りて三脚を構えている自分のことを、ちょっと興味本位で眺める人、私も撮ってみようかなんて、同じようにスマホを取り出し撮影をしていく人。お昼になって、トップライトに近づいて行く光線が明るく森を彩る。苔生す岩の間を流れる清冽な水と、小網トンネルを抜けて来た特急リバティ。どちらもシャンパンゴールドの色を成して流れて行きます。

小網トンネルからひょっこりと顔を出す野岩鉄道の6050系。先ほどせせらぎで見送った中三依温泉行きが折り返してきたようだ。国鉄の新線計画の中で開業するはずだった野岩線は、鉄建公団の建設により福島県と栃木県の第三セクターとして設立された野岩鉄道に無償で移管されたものですが、移管に伴い国鉄再建法によってキロ当たり1,000万円もの転換交付金が受けられたのだそうです。国鉄末期からJR発足までの昭和~平成にかけての時代は、国鉄再建の真っただ中で積極的な投資は理解を得にくかったこともあり、「国鉄で計画していた路線を鉄建公団に建設させ、地元に設立させた第三セクターへ卸す」みたいな経緯で新線開業を果たした三セク路線がたくさんありましたよね。

ただ、国鉄分割民営化から約40年が経過し、当時設立された第三セクターも地方の過疎化により厳しい経営を強いられているところも少なくありません。ご多分に漏れず、野岩鉄道も2年前に一日の運行本数を18往復から10往復へ大きく減便したまま、未だに回復する見通しがなく・・・。日光方面は海外のインバウンド需要が順調に回復しているようですが、野岩鉄道までなかなか波及してこないのですかねえ。個人的に好きな路線なんで、何かしらの機会があったら乗車したいんですが。上三依塩原温泉口駅から塩原温泉方面へバス(那須塩原市市営バス)も出ていたりするんで、新しい回遊ルートの一つに加えてみてはいかがでしょうか・・・

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