青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ハワイアンブルーの系譜

2014年02月22日 05時22分04秒 | 伊東線・伊豆急行

(新・伊豆の顔 8000系@伊豆高原電車区)

今週は年休消化ウィークと言う事で、家族サービスを兼ねて伊豆に行って来ました。つーか家族サービスってほとんど伊豆だな…いや、スタッドレス履いてれば山方面に向かっても良かったんだけど、山梨埼玉群馬方面とか先週の大雪が残ってるからアウトっしょ。家族サービスと言うものは基本的にヨメさんを家事から解放してあげれば良いものなんであって、場所は二の次なんじゃないかと(笑)。オトーサン的には連れてった先で多少お鉄が出来ればそれで満足。今回は伊豆高原に宿を取ってクルマと鉄道を上手に併用してみました。春の風を僅かに感じる伊豆高原電車区に憩う8000系、東横筋のバリバリの通勤車が観光色の強い伊豆には合わないんじゃないの~?と言う意見が根強いのは承知しておりますが、さすがに10年近く走っていると馴染んで来たよーな気も。

  

当初は4連と2連で導入された8000系、現在はオール3連に組み替えられて運用に就いとりますが、季節で変動する観光需要と時間で変動する通勤通学需要にフィックスさせるため、先代の普通車である伊豆急100系の時代から増解結は積極的に行われてますね。増解結する場合は熱海~伊豆高原が3連+3連、伊豆高原~伊豆急下田が3連単独と言うスタイルが基本。もちろん熱海~下田を3+3で通し運転する運用もあります。
東急時代にはなかった8000系の増解結シーンを眺めていると、左側の車両に比べ右側の車両は中間車に運転台を新設した車両なので運転席横のコルゲートがなかったり、前照灯上のラインがなかったり、オデコの急行灯(通過表示灯)がなかったりと差異があります。左側の原型っぽく見える車両もシングルアームのパンタが増設された上でクハ→クモハ化されており、モデラー的な視点で見るとのめり込む要素はあるのかなあと(笑)。伊豆高原の増解結は例えば京急の金沢文庫に比べると実にのんびりしたもんで、係の人が落とされる車両に乗っていたおっちゃんを前車両に誘導したりしながら、身軽になった下田行きが5分咲きの河津桜を横目に発車して行きました。


ところ変わって夜の城ヶ崎海岸駅。家族サービス中のお鉄は、子供が寝てからが基本です(笑)。最終の伊東行きは3連、ワンマン札を出しての運行です。社内完結の列車は列車番号の末尾にMが付かないのですね。朝から日中の列車はほとんど熱海まで乗り入れちゃうので気が付きませんでした。大きなログハウスのような城ヶ崎海岸の駅舎に8000系が浮かび上がってよござんす。つーか伊豆でも夜は冷えますねえ。


駅を跨ぐスロープから最終の下田行きを。おばちゃんが一人降りて来て、旦那さんと思しき迎えの車に乗って行ってしまった。東京駅を20時に出る普通電車に乗って来ると熱海・伊東乗り継ぎで最終の下田行に間に合うようです(笑)。真正面から写すとバルブでも行き先表示が見えるもんなんですねえ。城ヶ崎海岸の駅は周辺を別荘地に囲まれていて恐ろしく静かなのだが、つかの間の静寂を切り裂いて8000系が光跡を引いて消えて行く。


翌朝は、富戸駅で下り始発の621レと上り2番列車626レの交換風景から。原型顔と「いとうぷらんぽ」ラッピングの更新顔が並びました。この伊豆急のイメージカラーであるハワイアンブルーの色味と言うのがアタクシはとても好きです。ハワイアンブルーと言ってもその色は例えて言うならかき氷のブルーハワイの色であって、「日本人が抱くハワイの海の色」のようなある意味「和」のイメージが入っているように思うのだよね。伊豆急の初代普通車100系は上下のハワイアンブルーの間をグレーの帯で締めていたのだけど、元々ステンレスの8000系にはこの塗色が意外なほどにしっくり来ているように思う。


これが初代ハワイアンブルー塗装の伊豆急100系クモハ103。100系は平成14年に本線営業を終了してしまったものの、両運転台でモーター付きと使い勝手が良かったものだからこの車両だけ構内入換用として残っていました。伊豆高原電車区で日がな雑務に従事していた老兵を、伊豆急開業50周年事業の一環としてフルレストア。現在は貸し切り用車両として皆様のオーダーをお待ちしている、と言った次第です。片開き2ドアの間にびっしり並ぶ小窓、貫通扉にある差し込み用のサボ受け、ちょっと昔の阪神ジェットカーを思わせるつぶらな瞳が特徴的。


東急グループの肝いりの事業として設立された伊豆急行。伊豆東海岸の険しい地形を縫って僅か1年10ヶ月の突貫工事で開通させた事からもその意欲が分かろうと言うものですが、伊豆急行開通に際し投入されたこの100系も、もちろん東急車輛製。東急の看板に恥をかかせちゃなんないと言う意気込みで作られたその車両は、当時「現代の黒船」と言われたほど地元の期待を一身に集めたそうな。ディアゴスティーニが「日本の地方鉄道名車シリーズ」とか出すんだったら間違いなく入って来るだろうなあ(笑)。


その後継の任を負った8000系が、朝の柔らかい日射しに包まれて赤入洞橋梁を渡ります。この橋は国道沿いのみかん農園俯瞰が有名ですが、今日はほころび始めた河津桜の間からイメージ写真風に。写真を撮っていたら地元のおっちゃんが散歩に歩いて来て「二日前だったら雪があって良かったのにねえ~」との由、聞けば先週は温暖な伊豆でもかなりの積雪があった模様。道はだいぶ雪が解けたみたいだけど、伊豆高原のランドマークである大室山も雪で真っ白だったもんね。


増結を終え、出発待ちの8255F(TB5編成)。東急時代の8000系ってのは後進の8500系の剛性で男っぽいイメージに比べるとなんつーか女性的な感じがしたものだが、伊豆急には運転台上にシングルアームパンタを装着した編成があって見た目はちょっと勇ましくなりました。沿線は海沿いを走る場面も多く塩害で鋼製車輛は持ちが悪い事、JR伊東線乗り入れで熱海~伊豆高原にはそこそこの通勤通学需要がある事、ハイシーズンには観光客も多く混雑する事、以上から収容人員の多いステンレス製の都会の通勤車はそれなりに伊豆急のニーズにフィットしているようです。昭和40年代後半から50年代前半に製造された車両ですが、むしろ後発デビューのリゾート21(鋼製車)のほうが傷みが激しい感じもするしねえ。

ハワイアンブルーの系譜を継ぐ8000系の活躍は、まだしばらく続きそうです。
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関東、雪に沈む

2014年02月15日 23時34分12秒 | 日常

(ここはどこぞの雪国か@神奈川県県央地区)

「いつも関東はちょこっとの雪が降るだけで大騒ぎしやがってヨォ」と雪国の人々はせせら笑うのでありましょうが、この2週連続の雪は凄かった。そして私が住んでいる神奈川県県央地区では先週よりモアザン今週の方がひどかったのであります。金曜日はさすがに早期退社命令が下ったのだが、家に近付くに連れて深さを増していく雪の量に恐れおののく。そして雪は土曜日の未明に雨には変わったものの、相当の湿気を含んだ重たい雪として今現在も残っております。目算で積雪量は30cmは行ったんではないか。表題写真は土曜日に日付が変わるくらいの時間帯の我が家周辺でありますが、暴風を伴った雪は乗用車のタイヤが隠れるまで降り続けたのであります。先週の雪は京成線がヤラれましたが、今週は県内ではモトスミで東急が田無事故を思い出させる雪によるブレーキ不良を原因とした追突事故、こどもの国線こどもの国駅が雪によりホーム上屋倒壊など東急関連に被害続出。もっとひどいのは山梨県方面で八王子から向こうの交通網はズタズタで中央本線・中央道・甲州街道と山梨県の生命線が全滅し遭難に近い状況なのは報道の通りですが、甲府と河口湖で積雪100cm超えって…富士急のHP見たら「沿線の積雪が130cm超えてましてどうにもなりません」との記述があってさらにビックリ。山梨県では自衛隊に災害出動要請を行う状況とか。


今日はどうしても出かけなきゃならん所用があったんで昼からちょこっと外出したのだが、さすがにクルマは使えず。ああ、こんな冬になるのなら無理してもスタッドレスを買っておくんだったと自らの詰めの甘さを恥じる。長靴をしっかり履き込み行って来るからね!と子供に伝えたら上の息子が自分も連れて行けと大泣きして駄々をこねやがる(笑)。この状況で子連れはちょっと…と思い説得を試みたのだが、我が子とっても強情(笑)。道行く道にうず高く積もった雪、交差点の横断歩道は溶け始めた雪で大冠水祭り、トラックが通れば激しいスプラッシュマウンテン。そして沿道の一軒家では2軒に1軒の割合で駐車場のカーポートが雪の重さでぶっつぶれ、かわいそうだったのは自宅の屋根の雪が落っこちて直撃したらしくフロントガラスが割れちゃったクルマとかも見た。泣くに泣けないわなあ。
こんな状況の中子連れで歩いていくのも凄く気を遣うんだけど、住宅街の路地に入ればほとんどの家の人が総出で雪かきをしていて、歩いていると「気を付けてね」とか「お疲れさまです」なんてお互いに声掛けあったり人情が身に沁みる場面もあったりして。画像は住宅街の中でスタックした郵便屋の車をみんなで脱出させるの図。なんでも昨日の集配中に雪に巻かれて住宅街の中で身動き取れなくなったらしい。同様の車が何十台と管内にあるらしく順次局員がサルベージに向かっているそうだが、圧倒的にチェーンが足りないらしく。


雪の中でも何とか動いていた神奈川県央の大動脈・相鉄本線。本当であれば大和から先は日中は急行のみですが、今日は全線各駅停車の間引き運転。相模大塚の側線に退避していた6編成が雪に埋まって出せず、保線区と運転区が総出で側線の雪かきをしていたのが印象的。昨日の帰宅時も小田急では各踏切に保線区の人間を出す厳戒態勢だったのだが、かしわ台の駅から電車に乗ったら乗客より保線区の人間の方が多かったと言う…。

ともかく、皆さんお疲れさまです。
明日の朝は凍結しそうだなあ。
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凸撃冬の四日市DD祭り ファイナル

2014年02月09日 04時45分32秒 | 関西本線

(藍色の空の下で@塩浜駅)

富田に戻って時刻は4時を回り、そろそろ日の入りの時刻が近付いて来た。夕日、と言うには厚い雲が空を覆い、走行写真は厳しい雰囲気。それでも飽くなき執念でDDを追いかける今回の四日市DD祭り、今度は夕方の塩浜駅で重連タンカートレインを狙う事にします。四日市駅発着のタンカートレインが積むのはコスモ石油四日市製油所の製品ですが、この塩浜駅まで下って来る列車は昭和シェル石油のグループ会社である昭和四日市石油四日市製油所の製品を運んで行きます。四日市発着に比べて塩浜発着は数が少ないようですが、かつては石油貨物のほかにも三菱化学の鹿島事業所(茨城)からお隣の海山道にある四日市事業所へ酸化エチレンの輸送があって、その独特のタンクコンテナは地味にファンの多い鹿島貨物の名物と言える存在でした。ただ、東日本大震災の前日に成田線内でエチレンコキが脱線転覆事故を起こしてしまい、その後の震災による鹿島事業所の操業停止などの混乱の中でそのまま廃止されてしまったのよね。


夕暮れ迫る塩浜の貨物駅。貨物駅は近鉄の塩浜駅の隣にありまして、一見すると近鉄の車庫のように見えなくもない。構内を渡る大きなアーチ橋が塩浜のシンボルですか。さてさて狙いの列車は走るかどうか…まあ冬場の需要期だから走るでしょ、とのんびり待っていたら、橋の向こうの詰所から名臨の操車係の方々が歩いて来た。どうやら運転確定の模様です。日が暮れて急に寒くなって来たのでさすが手持ちでは辛く三脚を出しますが、三脚出すとなると停車位置がどの辺りなのかのアタリを付けなくてはいけない。これは名臨の係の方がどこで待っているのかを見ていれば一目瞭然、待っている場所にDDが止まるはずです。

  

時刻17:42はほぼ下調べしていたダイヤ通り、アーチ橋の向こうにDDのヘッドライトが輝いて、塩浜行き貨物列車75レが予想通り名臨の操車係の方の前に到着しました。DD511801+DD51890。更新色ですが、1801はスノープロウを履いているので立ち姿もビシッと決まってますなあ。藍色の空の下、アーチ橋の水銀灯に照らされながら入換作業が開始されます。


牽いて来た14両のタキを開放し、今度は大きく四日市方に向かって機回し。側線に止めてあった8両のタキ、3両のタキをごちゃごちゃと入換しつつ返しの編成を仕立てて行きます。入換のたびにタキのボディがガッシャーン!ドッシャーン!と結構な音を立てるので間近に見ているこっちはビックリしてしまうのでありますが、近所に住んでいる住民とか気にならないのかしら。まあ一日中ガシャガシャやってる訳ではないとは言え…


何回かの入換を経て返しの組成完了。返しは少し短い11両編成となりましたが、傾向からして積載のタキは11両が基本なんですかね。すっかり日も暮れて夜の帳の中で静かに出発の刻を待つ6286レDD重連、信州内陸の寒冷地へ燃料を届ける大事な大事な仕事です。石油を輸入に頼る我が国日本では、港に荷揚げした油を内陸部に届けるにはいずれにしろ何らかの輸送手段を必要としますのでねえ。一編成でタンクローリー何十台分もの油を運べる鉄道輸送の利点はここにあるんじゃないかと。


水銀灯が煌々と構内を照らす塩浜の夜。遠くにコンビナートの灯りと白煙を眺めながら、跨線橋の踊り場で出発前のDD重連を眺める。今回は朝から晩まで一日関西本線のDD51と四日市周辺の貨物列車を眺めていたのですけど、今や日本最後のDD51の聖地となった四日市界隈を回ってみて、気付いた事をぼんやりとまとめてみます。

1.関西本線は亀山まで電化されていても、四日市駅の入換線や荷役線には架線の張られていない区域がまだまだ多い事
2.また、近辺の工場群への専用線も同様な事
3.コスモ石油、太平洋セメントを中心とした物量はそれなりにある事
4.かと言って、鉄道貨物の先行きを考えるに後継の機関車を投入するほどでもなさそうな事
5.更新機を中心に機関車は整備されている事

以上のような理由で、しばらくは更新機を中心としたDD51で貨物輸送を続けて行くんだろうな、と言う感じがしましたね。
但し、東藤原からのセメント輸送は1日3~5往復程度とやや心許なく、荷主の太平洋セメントが抱える三岐鉄道の機関車も老朽化している事から、三岐側で貨物を続けられなくなる事情が発生すれば局面は変わって来るのかなと。コスモ四日市からの出荷はなくならないでしょうから、塩浜貨物を廃止かHD300化した上で四日市の入換線を電化し、そっからEF210で牽引と言う時代が来る可能性はなくはなさそうです。DD重連ってのも単機で牽ける機関車に比べたら手が掛かる話ですしねえ。


折り返しのDDが出て行くと、塩浜の駅に静けさが。
駅常備のタキ1000の向こうに、三日月とJSR四日市工場の煙が昇る。力強いDDの足音、歴史ある跳ね橋、国鉄原色機、それぞれに良かったけど、ひっくるめて産業の動脈としてしっかりと鉄道が生きているんだなあと言う事を実感出来た四日市の旅でした。今度はもうちょっとダイヤを把握してから来たいと思いますがw

さて、寒くなった体を温めに湯の山温泉でも行って来るか。
終わり。
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凸撃冬の四日市DD祭り その6

2014年02月08日 06時30分06秒 | 関西本線

(JR東海の金太郎飴@313系)

末広橋梁で2回、四日市駅の周辺で2回、クオリティはともかく(?)カット数は稼げたので、DD51の原色重連さまのお姿を堪能した後は少し四日市界隈から離れ、関西本線の中でも特に貨物列車の密度が高い富田~四日市間でどこか撮れるところはないかしら?と言う事でロケハンしつつ撮り進めて行くことに。富田の駅裏にある某大型ショッピングセンターに失礼して、ここからは徒歩鉄。JR東海管内で架線が走っていればほぼ凡てコイツがやって来ると言っても過言ではない313系、関西本線も例外ではありません。今でもどんどん増産しているみたいで、車内の近郊型の普通車を1車種で統一しそうな勢い。乗ってみるとそのスピード感やハイスペックなしつらえになるほど、と思わなくもないのだが、基本的に車種統一による効率化最優先のJR東海の考え方と言うものを趣味人としては良しとしない(笑)。新幹線はN700、在来線は313系、極端に言えばそれ以外いりませんって感じなんだものw

 

富田の街を関西本線沿いにクネクネと歩きながら、踏切と言う踏切で撮れるかな?とアングルを考えてみるのだが、なかなかいいところがない。何のアングルも見つからないまま富田浜駅。ちょっとくたびれて来たが、そろそろどっかで撮る場所見つけておかないとさっきの原色DDの返しが来るような気がして、気ばかり焦る。夜通し運転して、レンタサイクルも漕ぎ、テンションが上がっているうちは良かったけど、この辺りから普段怠けているアタクシの足腰がだんだん悲鳴を上げて来た(笑)。色々と体力の限界ッ!なのだが、それでも線路を跨ぐ陸橋があれば登ってみたり。この執念、「仕事の時になぜ出来ないのか」と言われそうだがw
結局、アングルを探し続けたあげく午前中に来てスカだった海蔵川の築堤へ出てしまった。
富田駅から約3km、1時間。もうヘトヘト。

 

田んぼのあぜにリュックサックと三脚を投げ出しとりあえず一息付く。一応ロケハンしながらつぶさに線路は見てたんで、まだ原色のDD貨物は行ってないと思うんだけど、ここまでのgdgdっぷりから考えると流れが悪い。ひょっとしたら何かの隙にもう通過してしまったのかもしれない。午後遅くになってすっかり曇りベースになってしまった四日市界隈、光線も弱くおまけに上り線側は車体横にケーブルが走っていて決して満足の行くアングルではないのだが致し方なし。とりあえず15時便の返空セメント列車が富田へ向けて戻って行く時間ではあるので、こっからジタバタ動いてもあまり良いことはなさそうだし…と思っていたら、セメント便の前走りで原色DDがやって来た。光はないし、タキも11両とやや寂しいのだが「原色のDD51の走行写真」が撮れた事をひとまず喜ぶべきなのかもしれないですね(笑)。


何とか原色DDを捕まえたんで、とりあえずクルマを置いてある富田まで戻ろう。さすがにここから歩いて戻るのは辛いので、スマホで調べたところ一番近いのが近鉄名古屋線の阿倉川駅。それでもここから1.5km程度はあるようだが、また3km歩くよりマシだし…しかしずーっと歩き詰めですが、富田界隈ってのは何だかレトロな街ですね。旧街道の宿場町的にやたら趣のある裏路地と建物があって、街だけを歩いても面白そうな感じがしましたが。

  

帰りがけの駄賃と言う訳ではないですが、阿倉川駅の近くで近鉄特急を何枚か。ここは羽津城と言う小さな城跡の下を名古屋線がくぐり抜けて行く、割と近鉄ファンには知られたスポットだそうです。ってさっきスマホで「近鉄 阿倉川 撮影地」とググってみただけなんだけど(笑)。スマホって便利だね。15分でクマンバチみたいなACE、伊勢志摩ライナーの赤、そしてアーバンライナーPlusをテキトーに。「しまかぜ」とか来ないかなあとかヨコシマな思いもありましたが来るわけないっつーの(笑)。アタクシ関東では特急車の種類が比較的多い私鉄の沿線に住んでおりますけども、さすがに近鉄サンにはかないまへんわあ、と言った感じですね。実際、近鉄の特急車って何種類あるんでしょうか?


阿倉川から普通電車に乗って近鉄富田まで戻る。やって来たのは馬蹄形の尾灯がいかにも近鉄らしいお顔をした1000型。地元の方々にはありふれた顔なんでしょうけど、ヨソモンにはこんな車両が嬉しいものです。車内は部活帰りの朝明高校サッカー部の生徒で満員でした。高校があるのは三岐鉄道線の保々駅らしいので、こっからお乗り換えですね。保々が最寄駅って事は、毎日三岐のセメント貨物見れていいなあ(違)。

いや~、夕方を迎えて相当疲れているのだが、最後の元気を振り絞って続く。
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凸撃冬の四日市DD祭り その5

2014年02月07日 23時46分35秒 | 関西本線

(魅惑のエメラルドグリーン@タキ243884)

ここ四日市界隈には、東藤原から走って来る太平洋セメントのセメント列車、名古屋方面から走って来るコンテナ列車、そして四日市や塩浜のコンビナートから運ばれて行く石油列車と大まかに言って三種類の貨物列車が集まって来ます。どの列車もそれぞれの魅力がありますけども、ひときわ目立つのはこの鮮やかなエメラルドグリーンを身に纏ったガソリン専用のタキ43000、このカラーリングが結構好きなんだよなあ。ほぼ同じ形でタキ43000をさらに高速仕様にしたタキ1000ってのもありまして、これはタキ43000の最高時速75kmに対し95kmで走る事が出来る。ほとんど見た目の差はないんだけどハキモノ(台車)が違うんで、気になった人は見てみるがよろし(笑)。


12時便の往復と跳ね橋の格納を見学した後、缶コーヒーを飲みながらチャリンコを漕いで四日市の駅に戻ると、目の前に現れたのはなんとDD51の国鉄原色機重連。まさにたった今四日市に到着したようで、タキ編成を切り離しての機回しの真っ最中。そーか、さっき海蔵川に集まっていたお鉄の面々はこの国鉄色重連狙いだったのね…と気付いても後の祭り、道理で12時便の末広橋梁に鉄の姿が少なかった訳だよ。きっと三脚畳んでチャリンコで立ち去ったアタクシは「あいつ散々待っておきながら原色も撮らないで何で帰っちゃったんだ???」と言う目で見られていたに違いない。そーだそーに違いない。ダッシュで四日市の駅に駆け込み、入場券をゲットし構内へ。


ともあれ国鉄色のDD重連ともなれば、この国鉄色原理主義ブームの中では垂涎の被写体と言っても過言ではありません。美祢線の石灰貨物、山口線のフライアッシュ輸送は終了、北海道も石北貨物が終了、大阪も城東貨物線電化により撤退と「DD51の国鉄色」が走る場所と言うのはほぼなくなってしまったと言うのが現状でしょう。この色のDD51と言えば、何と言っても寝台特急出雲を牽引して山陰本線の餘部鉄橋を渡って行く姿を真っ先に思い出します。夜明けの荒れた冬の海をバックに走るDD51の姿、あれは子供心に「夜汽車の旅」ってものに対する憧れを抱かせるには十分なものでしたなあ。ちょっと鉄道が好きな人ならきっと見た事ある写真だと思うんですがね。


四日市側がDD51852、名古屋側がDD51847の原色コンビ。悔しいのでタキを牽引している体で写してみました(笑)。どちらも三菱重工で昭和47年に製造された40年選手。やはりどちらも山口県の厚狭機関区に配属された文字通りの同期の桜コンビであります。たぶん新製当時は美祢線の大嶺や重安あたりから宇部港へ石灰貨物を引っ張っていたのではないかと思われますが、852は最後に検査を受けたのが平成19年1月(広島車セ)、847が平成19年6月(大宮車セ)との表記が見え、そろそろ次の検査期限が近付いているようで。両車ともやや色も褪せ気味で、塗装がひび割れちゃってる辺り次の検査を通して貰えるのか(または通す気があるのか)と言う懸念はありそう。ちなみにこのDD51852は、門司機関区の時代に東日本大震災に伴って開始された磐越西線経由の郡山への燃料迂回輸送の重責を担った歴戦の勇者でもあります。


名古屋側から半逆光気味に。こうして撮るとDD51の特徴である足回りの砂箱が浮かびあがって来てまた一興。惜しむらくは愛知機関区にはスノープロウを付けてるDD51がほとんどいないって事で、正面の足回りが何だかふんどしのようなT型のバンパーガードで固められちゃってる。俗に言う「暖地向け」の装備なんですが、DD51だとやっぱ旋回窓とスノープロウを装備した「寒地型」のほうがよりサマになるように思えますね。


今度は横に回って一枚。DD51の特徴であるセンターキャブと、その下部に据え付けられた軸重逃がしの補助台車。キャブを挟んだ前後にそれぞれ大型エンジンを積んでいるDD51、そのまま2つの台車では全体の重量を支え切れないので、このように無動力の小さな補助台車を付けて全体のバランスを確保しています。こうして近くで写真を撮っているだけでも、エンジンと冷却用ファンの音がダイナミックに伝わって来る。自分含めて4~5名の鉄が入れ代わり立ち代わりこの原色重連を飽きもせず眺めているのだが、隣のホームで折り返しの発車を待っている伊勢鉄道のウテシ氏が呆れたようにその光景を見ていたw


更新機と原色機を並べてみる。朱色、白帯、灰色と使っている色は同じでも、並べて見てみるとやはり落ち着きというかしっくり加減と言うのは国鉄原色機に軍配が上がる。更新機は朱色がちょっときついのと、原色ではアイラインにある白帯が腰回りに下がり上半身が単色に覆われているので、ちょっと重く見えるような気が。って言っても国鉄色じゃなくたって、更新色でもカッコイイ。それだけの魅力が、この凸型には詰まっていると思いませんか。

架線のないヤードに似合う、非電化王者のパラダイス。
十分原色を堪能したところで、四日市からちょっと離れてみます。
続く。
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