青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

旅の空 湯に戯れて 古狸。

2023年09月29日 23時00分00秒 | 温泉

(開湯のいわれ@温泉津温泉・泉薬湯)

旅の朝は無駄に早く起きるもの。昨夜は薬師湯に浸かったので、朝は温泉津温泉の元湯でもある泉薬湯へ。朝5時半からやってるってんで、一番風呂を狙いに行ったのだが、既に先客の漁師さんと思しき二人連れ。泉薬湯の前でこの日の開湯(?)を待ちながら、温泉津温泉の開湯の謂れを読む。古くからの歴史ある温泉が発見された由来というものは、だいたいが1.行基とか弘法大師みたいな高僧の教えとか、2.誰かの夢枕にお告げがあったとか、3.鶴や白鷺みたいな動物が傷付いた羽を癒していたとか、だいたいその三つなんですけど、ここは「3」の動物パターンであった。「一夜の枕を求めた旅の僧が、傷付いた古狸を追いかけて発見した」とあるので、1と3の複合パターンかもしれないけど。

温泉津温泉元湯・泉薬湯。昨日入浴した薬師湯とは目と鼻の先にある。目と鼻の先にあるがれっきとした別源泉で、「元湯」を標榜するように、温泉津温泉の開湯起源はここ。男女で分かれた入口の間に番台があって、10畳程度の小さめの脱衣場があった。浴場は、脱衣場の先から階段を下がった半地下のような位置にあり、熱い湯とぬるい湯、そして浴場の片隅に「初心者向け」と書かれた本当にぬるいため湯の、合計三つの湯舟があります。朝一の訪問だったので、湯面にはカルシウムの幕みたいなのが張ってて、薄い飴細工のようにシャリシャリと割れた。お湯は薬師湯と同様、炭酸味と鉄サビくささのある茶褐色の温泉ですが、薬師湯より投入量が絞られているのか源泉の温度が低いのか、お湯はこなれていてトロリとしたまろやかさがあった。

泉薬湯の前にあった「湯治の宿・長命館」。1922年開業。温泉津温泉と言えばここ!という伝統の湯治宿で、ぜひ泊まってみたかった雰囲気抜群の木造三階建ての宿だったのだが、既に商売をやめて久しいと見え、板壁が剥がれて土がむき出しになった姿は哀愁を誘う。この長命館、館内に内湯を持たず、それこそ泉薬湯をそのまま宿の外湯に利用するというプリミティブな湯治スタイルを堅持する宿であった。というか、泉薬湯のオーナーが経営するのが長命館だったので、泉薬湯の湯治部、というポジションだったんですね。宿を畳んでも、温泉だけは続けているあたり、そこは温泉津温泉の湯元たる矜持かもしれない。

漁師のおじさん二人とのんびりと同浴。おじさんの話題は、暑すぎて魚が獲れねえということと、自分の健康の話。今日は月曜日で漁はお休みなのだそうで、痛めている腰の治療で市民病院に行くということだった。泉薬湯に浸かっていても、必要なのは現代医学。この辺りで市民病院ってーと大田市の市民病院か。日本の地方都市、新しくて立派なのはだいたい市民病院かイオンってとこあるよな。

泉薬湯の先にあった雑貨店。温泉津の開湯の由来からか、「たぬきや」という屋号が付いており、店口に大きな狸の置物があった。朝早い温泉津の街角、大伽藍のあるお寺の鐘がゴーンと鳴って、今日も夏の日が始まります。

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ステンドグラスの色揺れて。

2023年09月27日 17時00分00秒 | 温泉

(夜に輝く歴史建築@温泉津温泉・薬師湯)

温泉津温泉に宿を取り、夕飯を簡単に済ませ、さっそく温泉へ。温泉津温泉には、大浴場を持っている宿もありますが、基本的には温泉街にある薬師湯と元湯・泉薬湯(せんやくとう)のどちらかに入りに行く、俗にいう「外湯文化」の街でもあります。すっかり暮れた温泉街を歩けば、ああこれが!という三階建てのコンクリートモルタルとタイルで作られた湯屋。これが温泉津温泉のシンボル的存在である「薬師湯」。現在共同湯として使われている新館は昭和29年の建築だそうで、ステンドグラスで彩られた入口と、二階のデッキの優美なアールが特徴。灯火に輝く夜の薬師湯の美しさは、また格別なものがあります。

世界遺産に指定された石見銀山の積み出し港として、江戸時代に開湯された温泉津温泉。元湯としては泉薬湯が古い存在ですが、明治5年(1872年)3月に発生した浜田地震によって噴出した新しい源泉により作られたのがこの薬師湯。源泉名は、その起源をなぞって「震湯(しんゆ)」と言われていて、この建物の裏手の地下2~3m程度の場所から湧出しているのだとか。

明治年間の新源泉によって開かれた薬師湯。こちら側が大正年間に作られた元々の旧館。一階は今はカフェ的な扱いで営業してるそうですが、当然夜はやってなくて入れんかった。二階のアーチ形の窓や柱、そこかしこに付けられた凝った意匠には、当時の流行である西洋のモダニズムみたいなものをたくさん詰め込んだ建築様式を見ることが出来ます。明治末期に建てられた南海電車の浜寺公園駅とか、ああいう雰囲気に近いですね。あっちはハーフティンバーだったけど。

薬師湯のお湯。写真は撮影禁止なのでHPから拝借。湯銭は600円と外湯文化の温泉にしてはまあまあ高め。文化財の維持管理費用と世界遺産プレミアム上乗せが半分くらい入っているような気がする。元々この薬師湯、「藤の湯」という名前の町営温泉として管理されていたそうで、その時の湯銭は200円との記述があった。現在は民間に運営が任されているようなので、その辺りは仕方のないことなのかもしれない。こってりとカルシウムと石膏の析出物の盛り上がった浴室、湯温は高めの43~44度。同浴の湯客のおじさん、「熱い熱い」と言って足だけつけて退散。まあ一応湯慣れた方なので、これ以上熱い湯にも浸かったことはありますが、肩までどっぷり浸かると久し振りにジンジンする温度。ちょっと鉄サビ&炭酸味がある含土類系の食塩泉。いかにも武骨な男らしいガツンと来る浴感である。婦人病、高血圧、生活習慣病に卓効。古くは広島から被爆者なども療養に訪れていたというから、その効能は推して知るべし日本の名湯である。

温泉地としては全国初の重要伝統的建築物群に指定されている温泉津の温泉街。湯上りの体を撫でる風はまだまだ蒸し暑くスッキリとはいかないまでも、しんと静まった路地から眺める街並みは趣がある。まだ開いている古民家バルの明かりがアスファルトに映って、「氷」の旗がサワサワと夜風に揺れていました。

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憧れの街、温泉津へ。

2023年09月25日 17時00分00秒 | 温泉

(いい日旅立ち、西へ@大田市五十猛町)

小田のアウトカーブで珍しくJRの特急列車なんかを撮影した後は、国道9号線を日本海に沿ってさらに西へ西へ。夏の夕日は光線が強すぎて太陽がその像を結ばないけれど、雰囲気だけは日本海の海岸線沿いらしいトワイライト。山側には大田朝山道路など、ゆくゆくは山陰道になる地域高規格道路の無料供用区間はあるのだけど、この日本海に沈む夕日の雰囲気を眺めていたく、地道に国道を進んで行く。もとより渋滞などは考えられない人口稀薄地の山陰西部であり、そこそこの速度で流れて行くのでそうストレスはない。

レンタカーのハンドルを握りながら出雲市街から約一時間、国道9号線を看板の指示に沿って右に折れると、JAと同居した山陰本線の駅と駅前通りに「いらっしゃいませ 温泉津(ゆのつ)温泉」の看板がかかっていた。ここが私のアナザースカイ、じゃなくって(笑)、ここが長年「来たいなあ」と思っていた温泉地なんですよね。温泉津温泉。出来ればサンライズ出雲と気動車の普通列車で来たかったけど。

夕暮れ迫る温泉津温泉の駅前通り。なんつうか、「山陽」に対する「山陰」というのがすごくよく分かる。陰と陽の分かれ目なんて、中国山地に対してどっちにあるかだけじゃないかと思うのだけど、瀬戸内海と日本海、表日本と裏日本という俗称の例えを持ち出すこともなく、山陽と山陰は文字通りきっぱりと陽と陰に分かれている。陽光輝く山陽に対して、夕暮れにじっと押し黙るような人影薄い山陰の温泉地の街並み。仕出し屋、お宿、喫茶店。なんとも心の襞に染み込んでくるような街並みは、情緒と郷愁の坩堝のようでもある。

港へ向かう道すがらの造り酒屋と温泉街の路地。車を止めて見事な装飾の看板に見惚れていると、港の向こうに日本海の夕日が沈んでいく。そろそろ宿のチェックインの最終時間が近づいているというのに、なかなかに何もかもが趣深い温泉津の魅力に惹かれて進めないでいる。そこまでこの土地に憧れがあったのか・・・というのが自分でも驚くべきことで。

温泉津の温泉街のメインストリート。大きな伽藍のお寺の前にある、築150年の古民家を改装した宿が今夜のお宿。部屋の広さで言えば4.5畳もあるかないか、藍染めの布団が板の間の上に敷かれているだけのシンプルイズベストなお部屋。テレビもなく、荷をほどいて一息。窓の下の温泉街を眺めながら、ぼんやりと無聊をかこつような時間もたまにはいいものである。元々素泊まりしかやっていない宿ですし、食事も前もって調べたところ温泉津の街にはそう多くの大衆的な店がある訳でもなさそうだったので、夕飯は出雲市のスーパーで購入した和風弁当に地アジの刺身。プシュリとレモンサワーを開けながら、温泉津の街に夜の帳が降りて行きます。

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西日差す、夏の山陰海きらり。

2023年09月23日 14時00分00秒 | JR

(島根半島を望む@出雲市多岐町)

いつもは旅に出かけても、駅前の安い地元のビジネスホテルであったり、自分の車であったなら、どこかの道の駅の片隅にでも車を止めて、後部のトランクにでも入れてある毛布にくるまって寝てしまう。どうせ朝早くから夜遅くまでカメラを握っているのだから、宿に対する意識というか役割はどうしても薄くなる。ただし今回の旅は、かねてから泊まってみたい街があったので宿を取っている。そのため、夕方前に一畑電車の沿線を離脱することになるのであった。大社の街を一瞥し、日本海沿いの道に出た。風力発電の風車が立ち並ぶシーサイドロード、レンタカーを駆ってすいすいと走ると、太陽が次第に黄色味を帯びてくる。

大社の街から日本海を西へ西へ。夏だし、西の国だし、夕日が沈むのはまだまだ先の時間。それでも、日本海の夕景を見ながら、どこかでなにか一枚持って帰りたい思いはあるもの。国道9号線は山陰本線を右に左に見ながら日本海の海岸線を行く。中国地方の「陰」の部分を担う日本の偉大なローカル線とも言える山陰本線、小田駅の先で海に面したアウトカーブがあったので、路側帯に車を止めて列車の通過を待ってみることに。

昔々はキハ181系の気動車特急おき・いそかぜ・くにびき、急行さんべ、そして寝台特急出雲、普通列車もDD51が旧客を引いて走っていた山陰本線。それこそ小学生時代にモノの本で見たあの時代にこのカメラを持って帰りたいけれど、甘美な山陰本線の黄金時代に思いを馳せながら列車を待つ。現在のこの区間の主役はスーパーまつかぜ、振り子式気動車キハ187系での運用。特急列車といえども、たった2両で済んでしまうのが現在の山陰本線西部の流動ということか。

時刻は午後6時の15分前、まだまだ日の高い島根県日本海沿岸。漁火には早過ぎる風景の中、ジョイントの音がしたと思ったら瞬く間に目の前を通過して行ったスーパーまつかぜ。大田市と出雲市間を22分で走り抜けているのですが、かつての特急まつかぜが同区間を30分くらいかかっていたことを考えると驚異のスピード。キララの海をバックに、パリダカみたいにかっ飛んで行きました。

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100円あれば大富豪。

2023年09月21日 22時00分00秒 | 一畑電車

(昔懐かし、駅前商店@武志駅)

電鉄出雲市と川跡の間、田園地帯の集落の片隅に、ちんまりと佇む武志(たけし)の駅。大社へ向かう線路が分かれるお隣の川跡の駅に比べると、片面単式のホームに小さな待合室があるだけの何の変哲もない駅だが、駅横の踏切の袂に、いい感じの昭和の雰囲気が満ち満ちた駅前個人商店があった。子供のころ、学校や路地にあった駄菓子屋混じりのこういう感じの店は、私たち子供のカラーバットでやる野球の合間のブレイクタイムであったり、学校帰りに雨宿りをするカラーの日よけであったり、入荷してきた少年ジャンプを誰が最初に読むかを競ったり、コーラの空き瓶を三つ拾っては30円の二つ棒付きのソーダアイスと交換してもらったり・・・そういう地域の子供たちの仲を取り持つ生活のオアシスでもあった。

勇気を出してお店に入り、中の雰囲気を写真に撮らせてもらおうかな・・・?などと逡巡してしまったが、そんな不躾なことを言うのも野暮だなという思いもあり。店内の雰囲気は、思った通りの小学校時代の駄菓子屋のそれで、ビールケースを逆さに重ねた陳列棚に、色とりどりの駄菓子が雑然と置かれていた。その他にも生活雑貨やパンやコーヒー、お酒にジュースにカワキモノ。そりゃあ品ぞろえはセブンやローソンなどのコンビニなんかにゃ負けるのであるが、それでもこの時代にここまで残っているのが奇跡のような駅前商店。地域のインフラを静かに支えているのでありました。

物静かな老店主から駄菓子を買い、外の自販機で缶コーヒーを購入して電車が来るのを待つ。蒲焼きさん太郎とか20年ぶりに食ったぜ。電鉄出雲市行きの急行電車が、武志の駅を通過。店の軒先の鉢植えが、風で揺らめきました。

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