青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

切っても切れない縁だから

2019年07月31日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(ご当地イラスト駅名票@揖斐駅)

地元の名物をあしらった養老鉄道のイラスト駅名票。揖斐駅は清流・揖斐川の鮎がモチーフになっています。この「揖斐」という地名、ちょっと地名に詳しい人ならそこそこ簡単に読んでしまいますけど、実際どんな由来なのかというと、田んぼに水を通す樋である「井樋(いび)」から来たとする説が有力らしいです。揖斐川の周辺には古くから肥沃な土地に豊かな水を引き込んだ水田地帯が広がっていたんでしょうね。「いび」は「井樋」とか「衣斐」とかその時代時代によって当てられた漢字は変わったそうですが、現在は「揖斐」とするのが一般的になっています。「揖」には集める・集まるという意味もあって、この辺りで山々から流れてきた水が集まる場所との意味もあるらしい。ことに地名の謂れというものには奥深いものを感じてしまいます。

揖斐10:50発大垣行き1062レ。相変わらず車窓には西美濃の田園地帯が続く。大垣~揖斐間はラッシュだと20分間隔の高頻度運転を行っておりますが、日中は40~50分間隔になります。大垣行きの列車なので、途中駅からちょこちょこと乗客が乗って来ます。養老線は一応車内設備はワンマン運転に対応していて、運転台の後ろには運賃箱も用意されているのですが、この列車では運転士はハンドルとドア操作を行うだけ。無人駅での乗車・下車に関しては、アテンダント・・・と言うには年齢の行ったシルバーな方々が車内を巡回しており、その場で乗車駅の確認と必要であれば車内補充券を販売するシステムになっているようです。このような部門に従事しているのも近鉄のOBとかだったりするんでしょうかねえ。という訳で養老北線の往復行はそのまま大垣に戻ってはつまらないので、大垣の一つ手前にある室駅で下車。

そのまま大垣駅に戻って桑名行きの電車を待っても良かったんですが、室駅で下車したのは、大垣でスイッチバックをする養老線独特の線形を使って、西大垣の駅まで徒歩でショートカットしてみようというイタズラ心からなのでした。大垣で乗り換えに30分のインターバルがあるなら、先に西大垣の駅に行って駅舎でも眺めていようという魂胆。スマホのマップで調べたら15分くらいあれば着くみたいだしな。ただ、よく考えたらこの移動で大垣~西大垣間が未乗となる事に気が付いたのは帰宅した後でしたw

室の駅は、ちょうど揖斐方面と桑名方面に線路が分かれる場所にあって、駅前通りは連続して養老鉄道の踏切を渡るという奇妙な構造になっています。手前が桑名方面行き、奥が揖斐方面行きの踏切です。さ、先を急ごうか。と言って子供を急き立てたのだが、雨上がりの大垣の街は息を吸うのも嫌になるほどのむわっとする蒸し暑さ。思わず途中のファミマでアイスとか食って一休みしてしまった(笑)。

西大垣の駅に向かって歩くと、ひときわ目立つ立派で大きなビル。これがプリント基板やセラミックス製品の製造を中心に日本の電気化学メーカーの一角を担う株式会社イビデンの本社。東証一部上場企業で、売上高は3,000億円を超える大企業ですが、そのルーツは1900年代初頭に設立された揖斐川電力株式会社に遡ります。地元大垣の名士であった立川勇次郎は、揖斐川の豊富な水力に目を付け揖斐川電力を設立、揖斐川上流に東横山発電所を設置し、水力発電で生み出されるエネルギーで揖斐川電力(現イビデン)を中心に西濃地区の産業の発展に尽力しました。そんな地元の名士である立川翁が、揖斐川電力に先駆けて明治44年に設立していた鉄道会社が現在の養老鉄道。元々のオーナーが一緒という事で、イビデンと養老鉄道には古くからの深い関係があります。大垣ではなく西大垣の駅前に本社があるというのも、どちらの会社も根っこは同じという切っても切れない縁を感じますね。

木造平屋建ての西大垣の駅。どっしりとした存在感に、養老鉄道の主管駅たる風格があります。養老鉄道は揖斐川電力の供給する電気を使って電化され、一時は揖斐川電力をオーナー会社として運営されていた時代もあるそうです。沿線には次々にイビデン関連の工場が開かれ、従業員の通勤だけでなく、往時は鉄道を使っての原材料の輸送や製品の出荷も行われていました。大垣の街にはイビデンのみならず、揖斐川の電力と豊富な工業用水をバックに様々な業種の工場が進出。特にユニチカ、トーア紡などの紡績業は、戦後の大垣の基幹産業となりました。街には多くの企業の工場が立ち並び、沿線の工場には引き込み線が引かれ、養老鉄道は戦前戦後にかけての全盛期には貨物輸送がかなり盛業だったようです。

養老鉄道の本社が置かれている西大垣の駅。養老鉄道では唯一の車庫もあって、出入区を兼ねた西大垣~大垣間の区間運転なんかも設定されていたりする。ゆっくり車庫を見学しようと思ったんだけど、列車の発車時間前になんないと駅員氏が改札を開けてくれないという誤算。養老鉄道は基本的に駅員配置の駅は列車別改札のようですね。

西大垣11:51発桑名行き1152レ。今度は赤帯を締めた元東急の7903Fがやって来ました。東急時代には装備していなかったスカートを履いているので、前面の顔つきが精悍になった気がしますね。

 西大垣で交換の1053レ。近鉄の600系3連がやって来ました。東急車の導入でやや肩身の狭くなってきた感じもする近鉄勢ですが、やはりこの屋根に向かって丸みのある張り上げ屋根に赤茶色のべたーっとしたいい意味で野暮ったい塗装と言うのが近鉄っぽくて私は好きですねえ。あと、この顔つきだよね。電鉄会社に特有の顔つきがあるのだとしたら、このスタイルはまごうかたなき近鉄の通勤電車顔。昭和40~50年代生まれの沿線住民に「近鉄の通勤電車書いて」って言ったら、きっと100人中90人はこの顔を書くんでないかなあ。西大垣の駅は相対式ホームの間に中線があって、ここで回送された車両が留置されたりしていますけど、元々は貨物列車を中線に止めて上下線が交換するための副本線的な扱いをする線路だったのではないかな、これ。

 

近鉄顔を見てしまったら、ちょっとあちらが恋しくなった。連発で東急車では、ついこないだまで蒲田らへんで乗ってた車両ではあるだけに、養老鉄道に乗りに来た感が薄れて行くのは否めない(笑)。向こうのホームに止まっている近鉄600を見て、子供が「おとーさんはあっちの古いのがいいんでしょ?」とわりかし図星なことをおっしゃるのだが、古いか新しいかで言ったらこっちの方が古いんだよな。まあステンレスには時空をゆがめてしまう何かが宿っているのかもしれない。ここで近鉄の車両が来ないのでチェンジ!という訳にも行かないので、この列車に乗って先に進むことにいたしましょう。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステンレスは悠久の輝き

2019年07月29日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(北の終着駅@揖斐駅)

我々が乗り込んだ揖斐行きの元東急7712Fは、大垣を出ると大きく東海道線を跨ぎ越し、針路を北に向けます。とりとめもないような西美濃の郊外を走った後、北神戸あたりから段々と周囲に田園風景が開けて来て、そのまま終点の揖斐に到着しました。大垣から約25分の養老北線の旅は、取り立てての感想がないのが感想といったところ。揖斐の駅は棒線一本の終着駅で、到着列車はただ折り返すだけの仕組みになっています。

揖斐の駅は改修はされていますが、おそらくは開業当時からの古い木造駅舎。揖斐川町で唯一の鉄道駅であり、駅前からは町の中心部や谷汲山華厳寺行きのバスが出ています。町の中心部はここから揖斐川を渡った対岸にあり、かつては揖斐川町へは岐阜市内から名鉄の揖斐線に乗って本揖斐駅まで行くのがメインルートでした。あくまで養老線の揖斐駅は町外れにあるサブ的な扱いの駅だったのですが、平成13年の揖斐線の黒野~本揖斐間、谷汲線の黒野~谷汲間の廃止に伴って、揖斐川町内の交通はこの揖斐駅に集約されることになります。 

特に揖斐の駅ですることもないのですぐさま折り返しの電車に乗車しつつ、先ほどは眺められなかった車両内部をじっくりと観察してみる。東急→養老への譲渡時に、車内の改造を徹底的に行っていますので、座席や床板周りは新しいものに取り換えられているようでとてもきれいですね。改造については恩田の東急の工場で施工されたと思ってましたが、実際は近鉄の塩浜工場での整備という事だそうで(読者の方からご指摘をいただき訂正させていただきます)。そして中間車にはわずかなスペースですが、転換クロスシートが設けられていて、これが東急時代との大きな違いになっています。伊豆急に行った8000系的な改造かな。

そう言えばこの7712Fを東急時代に撮影してなかったっけかな、と思い立ってHDDを漁っていたら、平成27年頃の蒲田の駅で撮影したカットがあった。マニアの愛称的にはいわゆる「歌舞伎柄」の編成であったようだ。この時は、静かに池多摩線内でその生涯を終えるものとばかり思っていたのだが、事実は小説より奇なりである。何よりきっと7712F本人が第三の人生があるなんて思っていなかったに違いないのである。養老鉄道という名前自体が年寄りに優しそうな職場という字ヅラの雰囲気を醸し出しているのだが、もうこうなったら製造100年を目指して走るしかないと思うよね(笑)。
 

車両の隅の銘板。昭和39年東急車輛製造、平成元年改造。いずれにしろ昭和39年って東京オリンピックの年ですし、新幹線が東京から新大阪まで開通した年ですし、西暦1964年→今年2019年ですから、養老線ではニューフェイスとはいえ御年55歳の超ベテラン選手。鉄道車両として二度目の2020年東京オリンピックを迎えるクルマって、路面電車みたいな長寿車両の多いジャンルを抜かすとなかなかないんじゃないですかねえ。養老鉄道では「別に車体もしゃんとしてるし、使えたら30年くらいは使いたい」みたいな話で導入しているらしいし、真面目な話実働100年越えは狙えるのではないかと思っている。昭和に生まれ、平成を走り、令和を新天地で迎え、そして伝説へ。ドラクエか。つーか令和の先の次の時代まで走っている可能性も、ないとは言えないよな。

2064年の養老鉄道はどうなっているのだろう。あと35年か。そこまで自分が生きているかどうか?出来ればこの目で見届けてあげたいものだが、どうだろうなあ(笑)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水都大垣夏風趣

2019年07月28日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(中京圏のスタンダード@313系特別快速)

美濃太田から岐阜、そして岐阜からは東海道本線でさらに西に向かいます。やって来たのは中京圏のスタンダード、というかJR東海のスタンダード313系です。JR東海においては、新幹線はN700系、在来線は313系、ローカル線はキハ25系と基本的に車種の統一が進んでいますが、徹底的な合理化と保守管理の共通化を図る企業哲学が伺えます。趣味的には没個性かもしれんけど、313系自身は非常によく出来た車両ではあるんですよね。発車してからのトップスピードまでの加速度とかたまらん。この車両が浜松から米原まで快速電車として走っているのは、JR東海の提供する最高のサービスなのではないかと個人的には思っている。

岐阜から特別快速で10分。あっという間に電車は大垣の駅に到着。米原まで乗ってって近江鉄道と言う選択肢もあったんだけど、近江鉄道一回乗りに行ったことあるからね。大垣駅に降りてみると、朝の美濃白鳥がウソのような大都会に思えてしまう西美濃の中心都市。旧暦の七夕を祝って8月上旬に開催される「水都祭り」の飾り付けが出迎えてくれました。

大垣と言えば「水都」という言葉を頭に冠して紹介されることの多い街。伊吹山地や養老山地に源を発する揖斐川や杭瀬川の流れと、その山々に降った雨が伏流水となり、大垣の街のあちこちで湧き出している事から昔から水に恵まれた土地として栄えて来ました。どうでもいいが、大垣競輪の記念レースも水都大垣カップみたいな名前だった記憶がある。大垣と言えば平成の競輪史を彩った山田裕仁のホームバンクでもあったが、話がそれるのでここまでにしたい(笑)。大垣で途中下車したのは、乗り換えもあるけどそんな「水都」のこの時期ならではの名物を味わいたくて・・・ということで、駅前の和菓子屋「金蝶園総本家」へ。

朝もはよから店頭に並ぶ人々。皆さん何をお目当てかと申しますと、名物「水まんじゅう」を目当てに来る人波なのであります。夏の時期、この水都大垣の名物と言えばつめたい水で冷やされた水まんじゅう。お猪口に入ったまま水槽で冷やされているその販売方法も涼しげで、夏の大垣の街の風物詩ともなっています。もともと水まんじゅうとか水ようかんとか水系の和菓子って好きなんよね。ちなみに私はこしあん原理主義派です。

地元では名の通った老舗の和菓子店らしく、店内も上品な雰囲気。まだ時間は朝の10時前だというのに来る客が引きも切らない。我々親子もおこづかいをくれたじーちゃんばーちゃんと家族に、ささやかながらの和菓子のお土産。そして店の隅に作られた喫茶スペースにて、作り立ての水まんじゅうを冷えたお抹茶でいただきます。ワラビの粉と葛で作られたもちもちぷるりとした皮の部分の食感が官能的で、出来たてでまだほの温かい上品なこしあんと合わさって美味いものである。添えられた粗目の氷と一緒にガリガリと味わうのもまた趣が変わって良い。こしあん&抹茶の基本味だけでなく、季節のフルーツ味やコーヒー味なんかもあるそうで、またの機会に試してみたいですね。

さて、甘い和菓子でほっと一息ついたところで、乗り鉄の旅を再開する事にしましょうか。大垣から乗り換えるは、揖斐から大垣を通って桑名に向かう養老鉄道。言わずと知れた元近鉄の養老線ですが、路線自体の立て直しの一環として平成19年から近鉄の子会社として切り離され、地元自治体の支援を受けながら経営を続けています。今でも養老鉄道の株主はほぼ近鉄本社ですし、走っている車両も近鉄の車両なので、資本形態から見ても近鉄の路線の一部と見なしてもおかしくはないのでしょうが、たぶん自治体からの補助金の拠出とかを受けるには別会社になってた方が都合がいいとか色々あるんだろうね。いくら養老線が赤字でも、近鉄本体が黒字だったら、「養老線の単体での赤字を理由に黒字の近鉄が補助金を受ける」という構図は理解が得にくい部分がありそうだし。

 

ホームにはハローキティラッピングの近鉄600系桑名行き。なにやら我々が訪問する前日にデビューしたらしいのだが、これこそ「ご当地キティ」の新たな形なのだろうか。「養老鉄道」のイメージと「キティちゃん」というキャラクターイメージにどこまで親和性があるのか分からないが、方向板に差し込まれたイラストにちゃんと養老の滝とか書かれてて名神高速の養老SAとかで売ってそうな感じはある。養老鉄道のHPに運用が掲示されるあたりそれなりに沿線での注目度はあるようなのだが、個人的にはラビットカー塗装とかの運用を掲載して下さい(笑)。

大垣は養老鉄道の中心駅ですが、その構造は小田急線で言えば藤沢、東武野田線で言えば柏のようなスイッチバックの構造になっていますので、駅を出て行く電車は桑名・揖斐のどちら行きも同じ方向に出て行きます。乗客の流動も、大垣から桑名方面・揖斐方面にきっぱりと分かれていて、それぞれ大垣~揖斐の養老北線・大垣~桑名の養老南線と言ってもいいような路線形態になっています。以前はあったようですが、桑名~揖斐を全線を通して運行される列車もありません。

まずは大垣から北側の揖斐までを乗り潰して来ようと思います。キティ電車は桑名行きなので揖斐行きの電車を待っていたら、西大垣の車庫から回送で運ばれて来たのは・・・おお、都内城南地区の皆様にはおなじみ、元池多摩線の東急7700系7712編成。平成30年の秋に狂騒の中で池上線から引退したのは記憶に新しいところ。「東急7700系ラストラン」の発表には、「ああよく走ってくれましたね、お疲れ様でございましたね」と思ったもんですが、同時に「今後は養老鉄道に移籍します」と言われた時には、まだ走らせるのかよ的な意味で「ちょっと何言ってんだかよく分からない」ってなりましたよね(笑)。

そもそも7700系のベースである東急7000系は、昭和30年代後半の製造の車両と記憶しているのですが、この車両で「老朽化した近鉄600系を置き換えます」と言われたらそりゃ「???」ってなりますよねえ。確かに7700系に改造された時に、車体の外板以外の艤装品を大体取り換えているのですが、製造から50年・改造から30年くらい経過している車両に置き換えられる近鉄600系(平成4年改造)の気持ちやいかに。という訳で東急車の投入による養老鉄道の過渡期的なスナップを一枚。

実は置き換え対象の近鉄の600系も車体は新しいですが、足回りは1950年代の近鉄の旧型車両の流用品なども混じっていたりと、細部の保守管理に経年劣化による苦労は否めない事が今回の置き換え理由のようです。それでも、車齢で言えば50年越えの車両である東急の7700系については、池多摩線系統にいた15編成のうち過半数以上の9編成を引き取るというのだから恐れ入ります。東急7000系ってのは日本のステンレス車両の嚆矢みたいな存在だけど、よっぽどしっかりと作られていたんだなあと感心するばかり。さすが東急のステンレス、100年乗っても大丈夫ってか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝露に濡れる長良路

2019年07月27日 22時00分00秒 | 長良川鉄道

 (里山の駅を発つ@深戸駅)

瑞々しい稲がすくすく伸びる深戸の集落。山を背にした家々と水田を見晴らす様に駅があります。国道から一本入った駅に昔ながらの木造駅舎があって、毎週日曜日の午前中には「ふかど朝市」という催し物が行われるらしく、朝早くから地元の方々が準備に精を出していました。こういう地元密着の朝市みたいなの、結構掘り出しもんが安く売られていて楽しそうなんで時間があれば寄って行きたいけど、申し訳ないんですがスルーさせていただきます・・・。

大矢駅で下り北濃行き列車と交換。ここもなかなか雰囲気のあるローカル線の駅である。長良川鉄道の交換駅は、富加、関、美濃市、大矢、郡上八幡、郡上大和、美濃白鳥の7つ。全長70km超の路線で7個だから決して多いとは言えないのだが、ダイヤ的にはこのくらいで足りてしまうのだろうか。そして特徴としては、上下の列車の停車位置を挟んで、ホームの真ん中に切り欠きの構内通路があるタイプが多い。タブレット時代、駅員が上下列車の運転台を効率良く行き来して交換するための構造だったのだろうと思われます。

途中の駅からの乗客は僅かに席を埋める程度で、相変わらず日曜の朝の列車は静かなまま。郡上八幡から乗って来た女子高生も黙々と勉強を続け、車窓には長良川に育まれた森の路が続く。美濃市を過ぎて車窓はやや目線が開け、ようやっと濃尾平野に戻って来た感じ。天気予報通りに雨は小やみとなって、僅かに明るくなって来た。

関の駅で下り2番列車と交換のため、ここで5分程度の交換待ち。構内通路を通って改札に向かう僅かな乗客。関駅は長良川鉄道全体の主管駅で、ホームに駅員が常駐しています。美濃白鳥の駅でもそうだったですけど、きちんとフライ旗を持って駅員氏が列車を見送る風景。車両の進行方向にある構内踏切に遮断機がないので、その安全確認のために配置されているのでしょうね。どの駅も構内の有効長が長いのは、貨物列車を運行していた時代の名残でしょうか。

郡上八幡から乗ってきた女子高校生は、何人かの学生と一緒に関口駅で降りて行った。関口駅は関高校の最寄り駅のようだが、郡上八幡から関までの通学とはなかなかの長距離通学である。毎日1時間以上長良川鉄道に揺られているのだとしたら、その通学時間を勉強に充てるのも頷ける話であるなあ。そして関口駅はローソンが併設されている・・・どころか、ローソンが駅になっていてちょっと笑ってしまった。写真が撮れなかったのが残念だが、この記事に特集されているのでお暇な方はお読みになっては。という訳でこちらは最後の交換待ちとなった富加駅。こうして見ると越美南線開業当時からの駅舎は、ある程度共通の図面で制作されているような印象を受けますね。駅名からどっかにプラレールでも飾ってあるかと思ったけど、別にそんなことはなかった(笑)。

美濃白鳥から約2時間、美濃太田8:31着。長らくお付き合いいただいた運転士氏にお礼を述べて列車を降りる。北濃まで往復150km弱の長良川鉄道の旅であった。元々は国鉄の支線と言う出自から長良川鉄道のホームは駅の片隅に押し込まれたようになっており、起終点というには美濃太田の駅は情緒がないのが残念。高山本線への乗り換え時間が僅かなので、子供と急いで改札を抜けたのだが、朝から何も食べていないことに気付いて美濃太田の駅の売店でヤマザキのランチパックを買った。美濃太田では、今や地方の駅では珍しい駅弁の立ち売りが続けられていて、「向龍館のマツタケ釜飯弁当」って有名だったんですけどね。今年の5月いっぱいで販売を止めてしまったのだそうだ。

美濃太田8:37発、高山本線普通岐阜行き3708D。多治見から太多線を通って来た列車です。昔は太多線は太多線、高山本線は高山本線で列車の運用は独立してたと思うんだけど、どちらも美濃太田車両区の受け持ちということで、岐阜~美濃太田~多治見は朝夕を中心に一体化したダイヤが組まれているようです。東京でいうところの川越線と八高線のような関係、と言えばいいのだろうか。やって来たのはJR東海の快速用気動車キハ75。ボックス作るために転換クロスシートをバタン!と返したら、子供が「何この椅子かっこいい!」という激烈な反応を示した(笑)。確かに転クロって関東地区にはないシステムだよね。美濃太田を出ると、キハ75は濃尾平野の北端を時速120kmでかっ飛ばして行く。「快速みえ」にも使われている車両なので、さすがのハイパワーなのでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山紫水明緑に溶けて

2019年07月26日 22時00分00秒 | 長良川鉄道

(雨に煙る白鳥の街@浅野屋旅館前)

夜半の雨は激しく、トタン屋根を叩く雨音で何度か目が覚めた。スマホのアラームで目が覚めた午前5時、NHKのニュースで天気予報をチェックしたところ、夜にあらかたの雨が降ったせいで日中はやや回復するのではないかという微妙な見立てであった。もそもそと5時半に起きて来た子供と一緒に朝風呂に入って身を清め、乗り鉄二日目の準備を黙々と行う。宿の方々が朝ご飯の支度に忙しく動き回る中、女将さんに一言告げて宿を発つ。宿の前の道から見やれば、油坂峠に続く山に、低く雲の垂れこめる朝。あの山を越えた向こうが福井県大野市。鉄道が結ぼうとした越美の国境を、今は中部横断自動車道の一部となった油坂峠道路が結んでいます。

駅の規模にしてはだだっ広い美濃白鳥の駅前。地元の白鳥交通というバス会社が、郡上八幡やひるがの高原方面にバスを走らせていますが、その転回場も兼ねているのでしょう。観光地ではないのだけど、駅前には土産物屋を含めて何軒かの商店も見える。昨日は夕方の到着、今日は朝早くの出発なので、街の生きている姿をあまり見ることが出来なかった。ただ、長良川を渡った国道沿いの方に大型スーパーや飲食店が立ち並んでいて、駅ではなく高速道路のICを中心とした街になっているのは疑いないようです。

乗車するのは6:33美濃白鳥発4レ、美濃白鳥発の2番列車。美濃白鳥には夜間3両の車両が滞泊しているようで、美濃白鳥発の2レ・4レ・下りの北濃行き501レを受け持っているようです。エンジンを小気味よくアイドリングさせながら待機中の車内で発車を待っていると、駅の詰所から若い運転士さんが出て来て「おはようございます」なんて挨拶を交わしたり・・・出発準備が整って、日曜日の朝、美濃白鳥からの乗客は我々親子二人だけ。駅の助役に見送られながら、定刻に美濃白鳥を発車します。

まだ寝ぼけまなこの奥美濃の山里を、丁寧に一つずつ止まって行く列車。雨雲は相変わらず山に低く垂れこめ、ところどころの駅で、ぽつりぽつりと乗客が乗ったり、降りたり。今日はこのままこの列車を、まずは美濃太田まで乗り通す予定になっている。美濃太田まではたっぷり2時間。朝は早かったけど、うつらうつらしながら乗るにはちょうど良い。そして、あれだけ降った夜半の雨にも、一切の濁りを見せずに清き流れを保ったままの長良川が、相も変わらず車窓の下に滔々と流れている。そして瀬を速み流れる川に立つ鮎釣りの人影。

夜半からの雨に濡れるレールを滑るように走るナガラ304。ハンドルを取る若き運転士氏のキビキビとした掛け声が車内に響く。運転台の横に立って熱心に前を見ていた子供に優しく声を掛けてくれて、沿線の景色の見どころを教えてくれたり、シカやイノシシが出るポイントなどをレクチャーしてくれたそうだ(笑)。鉄道の運転士という職業はいつだって子供の憧れだけど、こんな触れ合いもローカル線らしさの一つなのかもしれない。

貴方優しい旅の人、逢うた一夜の情けを乗せて、走る列車は鵜飼い船。郡上八幡から乗って来た女子高生は、車窓に広がる景色など取るに足らないと言わんばかりに、車内の揺れに身を任せながら参考書を広げて勉強の真っ最中だ。相変わらず子供は熱心に車両の先頭で前方を見据えているので、私は最後尾で流れる景色に身を任せてみるのだが、ここから眺める景色はまさしく山紫水明である。雨粒を吸い込んで大きく繁る森の木が、水清く流るる山里が、梅雨明け切らぬ湿り気の濃い空気が、ディーゼルの排煙と共に、後ろへ後ろへ飛んで行く長良川鉄道の旅であります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする