青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

雪よいずこ、冬よいずこ。

2024年02月17日 23時00分00秒 | 長野電鉄

 (高社山雲隠れ@夜間瀬~上条間)

折角スタッドレスを履いているので、冬だし、雪のあるところでしっかりと冬らしい写真を撮りたい。ということで、急に思い立って夜中に家を抜けだした深夜1時。雪を見るなら信州に行って、久し振りに小田急HiSEこと長電1000系ゆけむり号でもサクッと摘まんでこようかなというお手軽プラン。深夜の高速は最寄りのICから下仁田まで。先日冷やかした下仁田の駅をちらりと横目に、グイグイと真夜中の内山峠。佐久。雪なし。温泉休憩で早朝の戸倉上山田。雪なし。千曲から長野市内。当然のように雪なし。中野を過ぎて、夜間瀬川の扇状地に上がったあたりでようやっとリンゴ畑にうっすらと雪が積もっているという状態。地元民に言わせれば、降らないわけではないということなんだが、とにかくの異常な暖冬で降ってもすぐ溶けて全く根雪にならないとのこと。これが2月の上旬か?と我が目を疑うばかりの上条ストレート手前、風景としては3月の半ばくらいだろうか。もう信州に通い始めてから15年くらいは経つのだろうけど、年々雪は少なくなり、そして冬が心底「寒いなあ・・・!」と思う日々は、普段の暮らしの中でも段々と減っているように思う。ああ、雪よいずこ、冬よいずこ。

高社山は雲をかぶってへそを曲げているし、雪景色と鉄道を撮影しに来たのに、この地肌の見えっぷりがつくづく残念な山ノ内界隈。遠くから踏切の鐘の音に混じって、コトン、コトン・・・カタン、カタン・・・タタン、タタン・・・と独特の連接台車のリズムを刻みながら、ゆけむり号の足音が、遠ざかったり近くなったりしながら迫って来る。多摩丘陵の高台で、子供の頃から聞いていた耳に馴染んだその音色は、何度聞いてもいいものである。本家では、VSEの完全引退により失われてしまったサウンド。全国的にも、保守が面倒な連接台車は軌道線以外では消滅の傾向にあり、非常に貴重な鉄道の奏でる「音の財産」の一つと思います。

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あんかけの 雨が降る降る 権堂に。

2023年02月08日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(郊外電車@信濃吉田駅)

村山橋を渡り、しな鉄北長野駅前の「ノルテながの」にクルマを放り込んで、ここからは暫し長野電鉄の乗客になります。北長野の駅に隣接する信濃吉田駅。長野市の副都心的な地域で、再開発された高層マンションや住宅街が立ち並ぶ様は、東京の近郊風景とそう変わりありません。こうして見ると、長野電鉄が「地方鉄道の雄」として優秀な経営基盤を持ち、意欲的な車両への投資や地下化などの近代化を進められたことが何となくでも分かる。橋上駅舎から眺める信濃吉田の駅、3000系の信州中野行きが進入して来ました。

信濃吉田から、意外にも若い男女でそこそこの混雑だった上りの長野行き3000系。善光寺下から地下鉄になる長電を、権堂の駅で降りた。権堂と言えば、善光寺の門前町として広がる長野市の中心街。正月明けのアーケード、正直開いている店は昔に比べると減ってはいるのだろうけど、そぞろ歩きの人やクラブのお姉さんが歩いてる様子に、初春の繁華街の華やかさみたいなものが感じられて・・・

久し振りに権堂に来たのは、決して長野のお姉さんのいる店が目的ではなくて、長野市民のソウルフード「いむらや」のあんかけ焼きそばで味のみちくさをキメに来たんですよね。パリパリポキポキの揚げ麺に、甘く煮たキャベツとキクラゲの餡を乗せ、錦糸卵と絹さやと焼豚をトッピング。これを酢でゆるゆるに溶いた和辛子とウスターソースをかけながら食べるという謎が謎を呼ぶ長野名物。もんじゃ焼きとちらし寿司と中華丼のハイブリッドみたいな味がする。美味いのか・・・?と言われると好みが分かれそうな味(笑)。いわゆる中華料理屋の「固焼きそば」をイメージして食べるとひっくり返る。この店はシュウマイも名物なのだが、これもやたら玉ねぎが効いていて、甘くてフヤフヤしてて肉っ気が少ない不思議なシュウマイで、崎陽軒のシウマイみたいな「肉とホタテの旨味でプリップリ!」みたいなイメージで頼むとひっくり返る。

不思議な固焼きそばとシュウマイで腹を満たし、権堂のアーケードをブラブラ。権堂と言えば長野大通りを挟んだ本社の真向いにイトーヨーカドーがあって、おそらく長野電鉄の大事な不動産収入になっていたと思うのだが、いつの間にか綿半スーパーセンターになっていた。権堂のイトーヨーカドーってそこらのデパートくらいの大きさがあったのだが、綿半になってかなり建屋が小さくなっちゃったなあ。権堂のイトーヨーカドーは「ながでん買い物きっぷ」とかやってましたよね。買い物した金額の10%が乗車券で戻ってくるヤツ。今でも須坂のイオンではやってるみたいだけど。

長野市の中心部。特に権堂あたりは、長野電鉄を利用してのショッピング・街ブラ的需要で発展した街で、それこそ長野市の衛星都市である須坂市や中野市を商圏にして大きなニーズがあったものと思われます。だからこそのイトーヨーカドーであり、買い物きっぷであったのでしょう。ただ、地方はどこもクルマ社会ですからね。どちらかと言うと上信越自動車道とか国道18号バイパス沿いに進出した大型店舗への遷移が目立ちますし、電車を使って繁華街にやって来るのは年配者と若年層が中心です。コロナ禍によって本数が減ってしまった長電ですが、ダイヤ改正後は電車1本逃すと結構待つなあという印象が。せめてこの区間(長野~須坂)だけは20分に1本とか、もうちょっとフリークエンシーが欲しいなあと思う。長野~朝陽の区間便でもいいけど。

本家東急田園都市線では、先日全車両が引退した8500系。長野ではまだ健在。
一日だけのショート・トリップだったけど、結構楽しめた長野電鉄でした。

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Silhouette Romance

2023年02月06日 10時00分00秒 | 長野電鉄

(シルエット・ロマンス@村山橋)

恋する女は夢見たがりの いつもヒロイン

ああ 貴方に 恋心盗まれて 

もっとロマンス 私に仕掛けて来て

ああ 貴方に 恋模様 染められて

もっとロマンス ときめきを止めないで

 

信濃の大河、千曲を渡るシルエット・ロマンス。

夕焼けの茜空をキャンバスにして、ゆけむり号が走り去って行きました。

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長野電鉄、名車のアルバム。

2023年02月04日 10時00分00秒 | 長野電鉄

(栗の街 静かに眠る リンゴっ子@長電2000系)

久し振りに、小布施駅の「ながでん電車のひろば」に置かれている長電2000系D編成を見に行ってみました。平成24年3月の引退以降、この場所へ安置されて早や10年。あの2000系のシンボルとも言える鹿ピョンヘッドマークがないのでどうにも締まりがない顔なのですが、いたずらや盗難のリスクを考えると仕方がないのだろうか。おへそを取られた表情の中、何も飾られる事のないヘッドマークステーだけが寂しげ。

D編成は長野側の2008号車だけは中に入る事が出来るようになっています。そう言えば、末期の頃は2000系も満身創痍で、車輪は擦り減って走るのにギリギリの状態でフラットが酷かったし、座席の接合部は何だかガタガタしてたし、モケットはへたり切っていてガッサガサだったなあというのを思い出した。当然その状態のまま10年以上が経過しているので、あの時以上に椅子のガタつきは目立つし、モケットのガサガサ感は増していたのだが、座席に掛けられた白いヘッドカバーだけが日車ロマンスカーらしいプライドを保っている。お世辞にもいい保存状態とは言えないが、こうやって屋根掛けの場所で静かに余生を送れているだけ幸せな電車なのかもしれない。

そう言えば、最後まで同僚として走っていた2000系のA編成は、信濃川田の駅で「(保存車両を含めて)鉄道公園として整備する」という話だったのだけれども、何の計画も進まないまま放置されていたなあ。これは「どうせ解体になっちゃうんだろうし、バラされる前に一回は見ておかないと・・・」って思って飯山線帰りにA編成の最後を見届けに行った際の姿。塗装は剥がれ放題だわ、ガラスは割れるわで大変に惨めな姿になっていたのを思い出す。一部の電車と機関車には引き取り先が見つかったものの、結局A編成は引き取り手もなく解体処分となったのだが、あの姿を見るとむしろとっとと解体されて良かったのではとさえ思える哀れな状態ではありました。

時は夕方近く、ひんやりとした善光寺平の冬の空気が車内を支配していました。運転台の窓から夕陽が車内に差し込んで来て、少しホコリの積もったリノリウムの床を照らす。黄昏時の光は、何となく往時の思い出が車内から蘇ってくるようなシチュエーションで、目を閉じれば、湯田中や渋に向かう温泉客や志賀高原へ向かうキャンパーやスキーヤーの楽しそうな声が聞こえてきそう。湯田中駅到着時のメロディ「美わしの志賀高原」の世界だ。

名古屋・日本車輛・昭和39年。長電の2000系は、1957年に同じ日車で製造された名鉄5000系の影響を大きく受けているとされます。確かに湘南二枚窓、車体四隅のカーブの付け方なんかは良く似ていて、兄弟車と言っても遜色ないほど。長野電鉄は戦後は一貫して自社車両の製造を日本車輛製造(東京支店・名古屋支店)に委託していたのですが、1980年の10系OSカーの新造を最後に自社発注を行っていません。厳しい時代なのは重々承知の上で、令和の時代に長電がプロデュースする自社発注車を見てみたいのですがねえ。

栄光の「特急・湯田中」の文字。この文字と鹿ピョンヘッドマークを追って、雪の長野に2000系を追った日々が蘇って来る。個人的には、ゆけむり=A特急、リンゴ塗装・マルーンの2000系=B特急の平成18年~22年頃の体制が一番好きだったかな。ゆけむりが来る前の旧塗装時代の2000系って、湯田中駅にある「楓の湯」とかの車体広告とかが入っちゃっててちょっと撮るには難ありだった記憶があるんで。

新装なった村山橋を通過するD編成。平成22年1月。前年の秋に新橋に架け替えられたんだったっけかね。いつも撮り鉄はないものねだりなので、ああ撮っておけばよかったこう撮っておけばよかったとなりがちなのだけど、長電2000系に関しては、末期とは言えその魅力に気付いて間に合って良かったなあと思うくらいには付き合えた被写体であったと思う。まごうかたなき信州の、いや地方私鉄の名車であったことに疑いない車両です。

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ゆけむりの向こうのバブル。

2023年02月02日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(真昼の夢@夜間瀬~信濃竹原間)

青空に光る雲が一瞬太陽を遮った。山を降りて行くゆけむり号の上に、複雑な形の雲が湧いている。急に陰られちゃったのでアンダー気味になってしまったのだが、何だかその分幻想的な青さが出た。この日の長電、午前中は引退する鯨電車を中心に追い掛けたのですが、昼からは本来の目的であるゆけむり号こと1000系をゆっくりと撮影する事が出来ました。いまさらそう新しいアングルもないのだけど、特に気張る事もなく衒う事もなく、シンプルに被写体にカメラを向ける時間というのは無心になれるというか、心のデトックスですよなあ。

午後の日差し穏やかな信濃竹原は、朝方降ってホームを覆っていた雪もすっかり溶けていました。「特急ゆけむりのんびり号」で湯田中に上がったS2編成が、その任を解かれて湯田中から回送されて来ます。通常時はゆけむり×1編成、JR253系のスノーモンキー×1編成の2編成で特急列車の運用を回している長野電鉄ですが、「のんびり号」が運転される日はS1・S2の2編成が出て来ますので、それだけ撮影する機会が増えるのは嬉しい事です。

信濃竹原では回送される「のんびり号」が定期ゆけむりと交換するシーンを見る事が出来ます。最初はパルプ踏切から並びでも撮ろうかと思ったけど、時間的に完全に逆光になってしまうので手堅く竹原の駅ホームから狙ってみます。2編成の交換シーンが狙って見れるのも長電ならでは。小田急時代、4編成態勢の時はあまり写真なぞ撮ってなかったし、2編成時代も「どこで離合するか」とかは新宿から小田原までの区間の中では良く分かんなかったですからねえ。

定期列車の合間を縫って、ゆっくりと須坂に戻って行くS2編成。少し西に傾きかけた日差しが美しく車体を照らします。回送列車ですから、展望席の乗客の身バレ的な所を気にする必要もないので久し振りに都住のストレートでガッツリと手元に引き寄せてカマしてみました。最近の鉄道車両のデザインってなるべく角ばらずに流線型に寄せているし、ライトがあまり主張して来ないというか顔立ちがハッキリしないような感じがするのですが、個人的にはメカなんだからもう少しシャープさというかボックス感?があった方が好みなんですね。クルマで言えばベンコラのセドリックワゴンとかクラウンコンフォートとかさ。そういう意味で昭和末期から平成初期の鉄道車両に現れてくるような、表情のメリハリがハッキリあって、かつボックス的なシャープさがバランス良く配されたHiSEのデザインってのは、見ていて飽きが来ないんだよなあ。

HiSEがロールアウトした1987年、同期の車両が「パノラマエクスプレスアルプス(国鉄165系改造)」とか「スーパーエクスプレスレインボー」なんて言われりゃ、その時代の流行りというか共通性にポンと膝を打つ人多いかもしれません。世は華やかなりしジョイフルトレインの全盛期、翌年の1988年にはJR651系「スーパーひたち」とか、JR東海のワイドビュー特急車両キハ85、そして今は長野電鉄で同僚となった営団03系がデビューしておるのですが、そう思うとこの世代の車両って、日本が「ジャパンアズナンバーワン」として世界を謳歌していたバブル経済華やかなりし頃のカネと技術を全て叩き込んだ結晶なんですよね。あんまり経済性とかエコとか合理性みたいなの求めてない。ひたすらラグジュアリーでコンフォートで、そしてスタイリッシュで・・・だからこそ今の車両にないカッコ良さがあるんだろうなあ。あれから30年余、斜陽となったこの国の甘い記憶だけを懐かしみながら、今日もHiSEは善光寺平を駆けて行くのであります。

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