青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

淡海を眺めつつ

2015年05月11日 05時55分50秒 | 京阪電鉄

(お達者世代のカブリツキ@石山坂本線車内)

石山坂本線を走る車両は、それぞれ運転台側のスペースが優先座席になっております。本来であれば初めて乗る路線はガッツリと前でカブリツキたいところではあるのですが、よっぽど空いている状況でもないとこのスペースに若輩者が足を踏み入れるのはハードルが高い(笑)。よってカブリツキゾーンは妙に平均年齢の高い様相を呈するわけでありますが、別にマニア風でもない地元のジイちゃんバアちゃん連中も、何となくみんな前の方を向いてポーっと流れる景色を見ている。そんなお達者世代のカブリツキ。

  

三井寺から乗った電車が途中の近江神宮前行きだったので、強制的に近江神宮前駅にて電車を降ろされる。日中は2本に1本が近江神宮前行きなので、ここから終点の坂本までは約15分ヘッドとちょっと列車頻度が下がります。近江神宮前止まりはホームにて乗客を降ろした後、引き上げ線がないので下り本線上で上りの石山寺行きの通過を待ち、先行電車が駅を出るとやおら片渡り線を使って折り返して来ます。近江神宮前駅は京津線・石山坂本線全車両のメンテナンスを行う錦織車庫(錦織工場)を併設しており、大津線全体の運転上のキーポイントとなる駅です。以前は電車の改造や製造もここでやっていたそうだが。

 

狭いスペースに目いっぱいの留置線を詰め込んだようなせせこましい錦織車庫。大半の電車は出払っておりますが、そんな現役車両の留守を預かるように車庫の片隅には地上時代の京津線の雄・80形が静態保存されております。塗装が剥がれてあまり良い保存状態とは思えませんが、裾絞りの曲線も優美なヨーロピアンスタイルのボディは未だに存在感十分。

 

名前の通り駅の北西には近江神宮があり正月などは参拝客でかなり混雑するようですが、見た感じ駅前に何がある訳でもなさそうなので自販機で買ったコーラを飲みながら後続の電車を待つ。皇子山の駅から坂を上り、「紀の国わかやま国体」ラッピングの707編成が到着。なんで大津でわかやま国体なんだ?と思うのですが、カヌーは琵琶湖を会場にしてやるんだって。へえ。


近江神宮前を出た電車は、琵琶湖の北岸をやや高度を上げ、比叡山の山裾を北へ向かって走ります。この辺りに来るとやや駅間距離も長くなり、大津市街に比べるとずいぶんとスピードの乗った走りを見せてくれるのでありますが、車窓右側には水田の向こうに琵琶湖と、遠く鈴鹿山脈が眺められます。そーいや去年のGWは遠州鉄道に乗りに行った事を思い出す。去年はとほつあわうみ、今年はあわうみの旅。

  

近江神宮前から約10分で終点の坂本駅。何だかデザイナーズ風のおしゃれな外観の駅です。ここからは坂本ケーブルで比叡山延暦寺へ登る事が出来ます。そして坂本駅と言えば高校野球ファンにはおなじみの比叡山高校!村西哲幸を擁して春夏連続出場と言うのが記憶に新しいですが、オッサンパヲタとしては1981年シーズンに15勝0敗と言う驚異的な記録を残し、田中のマーくん以前の元祖無敗男として名を馳せた日本ハムの間柴茂有だね。ヘビみたいな顔してて、当時の大沢監督、江夏と並ぶとまあカタギに見えなかったw


坂本は古くからの比叡山の門前町で、「穴太衆(あのうしゅう)」と言われた石工の集団によって築かれた石積みの家並みが続く。穴太衆は近江国を中心に城郭の建築に多く携わり、坂本の2つ前にその名も「穴太」と言う駅があって、その辺りの出身らしい。そういや琵琶湖から鈴鹿山地を越えた三岐鉄道の北勢線にも同じ読みで「穴太」駅(三重県いなべ市)があるんだが、なんか関係があるのだろうか。さらに考えを膨らますと、三重県の旧県名「安濃津(あのつ)県」との関係は…?と思いは尽きないのであるが、良く分からないので誰かまとめて下さいw
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湖畔の路地裏物語

2015年05月10日 00時21分06秒 | 京阪電鉄

(祭りの日@浜大津~三井寺間)

京津線の探索を終え、電車で浜大津の駅に戻って来ました。お次は浜大津から湖岸を走る石山坂本線へ。石山坂本線も浜大津駅から三井寺駅までの約500mが併用軌道となっておりますが、国道上を走る京津線の併用軌道と比べると車通りも少なく静かな雰囲気。今日は三井寺の近くにある三尾神社の祭礼らしく、お神輿が併用軌道区間に出て来ました。三尾神社はウサギを勧進する珍しい神社で、卯年生まれの守護神だそうな。よく見ると神輿の後ろにはウサギを担ぐ若い衆の姿があったり…残念ながら自分の干支とは一つズレてるんだよなあ。惜しい(笑)。

 

三井寺からの併用軌道を、浜大津の交差点へ出て行く600形607編成。以前は地上時代の京津線の主力車両として、浜大津までの準急(京阪三条~御陵間通過)に充当されていた形式です。準急専用だったのは、単純に併用軌道の低いホームだった通過区間の電停に降りられる装備(ステップ)を付けていなかったからだそうですが。浜大津側では信号待ちの615編成、同じ600形でも1次~4次までの製造時期があって、微妙にスタイルが異なっていたりします。一番の違いは前面が1次車だけは平面2枚窓だっつー事かな(2次車以降はパノラミックウインド採用)。


浜大津の交差点から、Sカーブを抜けて三井寺の併用軌道へ進入する700形701編成。きかんしゃトーマスラッピング。各線でトーマスラッピングの車両を走らせている京阪電車、本線は8000系、交野線では10000系が走っている。トーマス関係では他に富士急のトーマスランド号と大井川鉄道のリアルきかんしゃトーマスが有名ですが、京阪は3編成も走らせていると結構それなりに版権が高いんじゃないかと余計な心配をしてみる(笑)。


浜大津から三井寺に向かう併用軌道区間は、浜大津の裏路地に飲み屋さんだったり長屋だったりが連なる生活感あふれるシチュエーション。藤の花咲くビジネス旅館「松竹」の前を、ゴロゴロと車輪の音を響かせて613編成が通り過ぎて行きます。それにしても浜大津の中心街とも言えるこの辺りですが、GWにも関わらず人出もなく閑散としているのが気掛かり。朝来たときは時間も早いからこんなもんかなあと思っていたのだけど。


三尾神社の祭礼の列は電車の来ない時間を見計らって行ってしまいましたが、小さな神輿がリヤカーに乗せられて氏子衆に引かれて行きます。本当なら担がれてこその神輿と言うものなんだろうけど、担ぎ手がいないのかもしれません。そんな風景も浜大津近辺の空洞化を物語っているような…並走するは大津市社会福祉協議会ラッピングの700形705編成。途中の近江神宮前まで参ります。


氏子の休憩所になっている公民館に、ささやかなしめ飾り。三井寺駅を出て併用軌道区間に入る703編成。京津線の車両同様横幅の狭い車体ですが、地下鉄に入る事はないので車体高だけは通常の電車のそれ。よって非常に面長に見えます。前パンががっちり上がっているそのフォルムも余計に面長に見せてしまうのかもしれませんが…現在石山坂本線を走る600・700形は、以前京津線で走っていた旧型車両(300・350形)の車体を叩き直し新造部品を付け足してリメイクしたもので、純然たる新造車ではありません。

  

併用軌道区間の終端部にある三井寺駅。駅名にある三井寺は、ここから南に歩いて10分ほどの場所にある天台宗の総本山で、7世紀に開山された古刹ですが、そんな駅にやって来たのは609編成@中二病でも恋がしたい・戀ラッピング。まあ、色々と石山坂本線のラッピングが萌え系で痛いのは知ってましたけど、間近で見るとなあ(笑)。こんなのに乗ってる乗客の大半が地元のオバチャンやじーさんばーさんな訳で、いったいどこを目指そうとしているのか良く分からないw


三井寺駅の横に流れる琵琶湖疏水に車体を映して、石山寺行きの電車が行く。京都市街へ琵琶湖の水を引き込むため、逢坂山、東山を水路トンネルで貫く大工事の末明治23年に完成した水路ですが、疏水の傾斜がきつく船が運行できない場所にはインクライン(船のケーブルカーみたいなもんです)を作るなど、水利だけでなく舟運を利用した物資の搬送にも期待が込められた一大事業でもありました。世界遺産ブームに乗っかってもおかしくない貴重な明治の産業遺産ですが、一度完全に撤去されてしまったのが惜しい(現在は復元されたものが保存されているそうです)。

 

石山坂本線が琵琶湖疏水を渡る北側に、浜大津駅へ通じる遊歩道の橋があります。これが大正10年(京津線開業と同年ですね)から昭和44年まで走っていた江若鉄道の線路跡で、遊歩道の橋台にその痕跡が見て取れます。江若鉄道は、浜大津を起点として琵琶湖北岸を近江今津までの約50kmを結んでいた非電化私鉄でしたが、ほぼ同じルートを国鉄の湖西線が通る事となり、「今後の鉄道の存続が見込めない」と言う事で廃止になってしまいました。現在は滋賀県内でバス会社を運営していて(江若交通)、浜大津のバスターミナルでも頻繁にその姿を見る事が出来ますが、江若鉄道は「東の関鉄・西の江若」と言われたほどの私鉄には珍しい規模のディーゼル王国でした。

なんか最後はあんまり京阪と関係ない話になってしまいましたが、江若交通は鉄道事業から撤退する少し前に京阪グループの傘下に入っております。鉄道撤退後を見越しての先見の明と言う事なんでしょうか。江若鉄道自体も、湖西線の建設計画が持ち上がった当時から実質は営業補償と言っても差支えない鉄建公団への路盤の買取り請求や、社員の国鉄への再就職を求めるなど、なかなかしたたかな企業だったようです。
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小さな車体に大きな魅力~京阪800形~

2015年05月09日 10時43分35秒 | 京阪電鉄

(見た目に反して重装備@京阪電気鉄道800形)

京津線を走る800形トップナンバー801編成@四宮駅。現在京津線の全ての列車がこの800形で運行されています。1997年の京都市営地下鉄乗り入れ(御陵~京都市役所前)および全線の600V→1500Vへの昇圧に伴って、京津線の従来車を淘汰転配し一括して投入された形式ですが、併用軌道対策、急勾配急曲線対策、地下鉄乗り入れ対策が施されたとても特殊な車両でもあります。色々な装備を搭載したせいかとっても製造にカネがかかった車両らしい。


800形の運転台。ワンハンドルマスコン全盛の時代に、左ノッチの右ブレーキというツーハンドルのスタイル。これは併用軌道区間での急なクルマの割り込みや歩行者の飛び出しに素早く対応できるよう、あえてブレーキを独立させているんじゃないかなあと思いますが。左右レバーをガチャガチャやって運転するのは、江ノ電2000系とか箱根登山1000系のスタイルと同じ。

 

京都大津への通勤通学と、休日はそれぞれ古都・湖都への観光輸送。平日休日で別の顔を持つ路線なので、折衷案的に両端の先頭車は固定型のセミクロスシートで観光気分を、中間車はロングシートとして通勤通学需要にアジャストしてあります。車体の全長は1両16.5m、車幅2.38m、地上からの車体高3.475mと全てにおいて小柄なボディなのは、急カーブが続く京津線の厳しい車両限界と同時に、ミニ地下鉄規格で作られた京都市営地下鉄のサイズに合わせたものと言えます。車内に入るとやはり屋根が低いせいで若干の圧迫感は感じられるのですが、出入り口付近の吊り革は乗降の邪魔にならないようにバネ仕掛けで上がっていて、捕まると下に降りて来ると言う工夫が凝らされています。


車体高に限度がある中で車内スペースを確保するため、台車は住友金属のFS558という小型の台車を履いています。車輪の半径は660㎜、京阪本線の車両の車輪半径は860㎜程度なので約4分の3の大きさって事ですね。軸箱からの一本梁で支持するシンプルなモノリンクはいかにも住友の台車っぽい。最近は京成の3000とかでよく見るスタイルの台車です。

 

四宮の車庫で憩う805&809編成。見ても分かるように本来であれば屋根上に設置されているべきクーラーキセのでっぱりもないので、非常にスマートな印象を受けます。車庫で休んでいるからパンタも降ろしてしまっているので、パッと見は第三軌条方式の地下鉄車両と勘違いしてもおかしくないような。赤く塗って「丸ノ内線の新車です」とか言って入れてみるか?(笑)。


地下鉄線内はミニ規格のため架線が低く、併用軌道区間では大型車両の通行を妨げないように架線は高い位置に張られているので、変化する架線高に対応するためパンタグラフは大きめのシングルアームを装備しています。そのため併用軌道区間では車体のサイズに見合わないような高さまでアームを上げて走る姿が見られるのですが、ちょっとアンバランスで滑稽だよな。

 

御陵(みささぎ)駅から乗り入れる京都市営地下鉄東西線は全線ホームドア対応になっているので、800形は通常の京阪ATSと並行してホームドア用のATO(自動列車運転装置)を搭載しています。1997年の東西線開通により、京津線は併用軌道が多く三条通りの慢性的な渋滞の原因となっていた京津三条~御陵間(京津三条・東山三条・蹴上・九条山・日ノ岡の5駅)を廃止し乗り入れを開始しましたが、地上時代の京津線は結構映像も残っているので、興味のある人はご覧になっていただければ。もっともこの地下鉄乗り入れで三条京阪~浜大津は2路線乗り継ぎとなり、運賃が上がってしまったと言う弊害はある。JRなら京都~大津は9分200円、単純に比較は出来ませんが三条京阪~浜大津が22分430円と厳しい戦い。新快速が頻繁に走るJRに軍配が上がるのもむべなるかな。

そう言えば修学旅行で京都に行った時、泊まったホテルが三条通りに面した位置に立ってて、部屋の窓から軌道部分を行き交う京津線の姿が見えた事を覚えている。今思えば乗っときゃ良かったかとも思うのだが、その時は自由行動でバックれておんなじ京阪でも京都競馬場に行っちゃったからなあ(笑)。時効です、時効。
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かくも厳しき逢坂越え

2015年05月08日 23時41分01秒 | 京阪電鉄

(どちらが先か?@東海道本線上関寺隧道)

上栄町駅から少し大谷駅側に登った場所で、京津線は東海道本線をオーバークロスします。明治13年に開業した当初の東海道線は、現行線よりもっと南側のルートを通って国道1号と161号の交点辺りから逢坂山隧道(665m)で大谷駅方面へ抜け、山科の南側を大きく迂回するルートで京都へ向かっていましたが、その後大正10年に新逢坂山トンネル(2,325m)を掘り抜いて現在の山科ルートへ線路を付け替えました。京津線自体は大正元年に浜大津までの線路を敷設していましたが、新逢坂山TNの坑口南側にあるこの部分をトンネル開通後を踏まえて立体交差にする工事に手間取ったため、前後を分断した形で仮開業をしたと言う経緯があります。ちなみにこの立体交差、東海道本線は上関寺隧道、京津線では蝉丸跨線橋と称しているらしく、トンネルなのか跨線橋なのか何とも不思議な歴史的構造物なのであります。

  

上栄町駅から1駅乗車、京津線の逢坂山トンネルを通って大谷駅へ。浜大津からトンネルの出口まで延々と登って来た電車がサミットを越え、線路が京都へ向かって下り勾配に差し掛かったあたりにある無人駅。ここもお隣の上栄町駅と同様かそれ以上の勾配上にあって、とてもじゃないけど今のフェイルセーフ化した高性能な車両じゃなきゃ危なっかしくて駅なんか作れないよなあと言う感じ。車両の停止位置に「転動防止!(ブレーキのかけ忘れで逸走しちゃダメよ!)」の赤文字標識が置いてあるのも当然だと思います。


サミットを越え、坂を軽やかに滑り降りて来る807編成。大谷駅は、もともと京津線が2両編成だった地下鉄乗り入れ前の時代には2両分ギリギリのホームしかなく、地下鉄乗り入れによる4両編成化に伴いやや浜大津寄りに移されました。GWと言う事もあり、並行して走る国道1号は大津方面に向けて渋滞中…


そんな渋滞する東海道を横目に、スイスイと坂を上って大谷駅へ進入する815編成。ちょうど車両がカーブしている辺りに以前の大谷駅があったようで、画像に映る踏切からそれぞれのホームに上がるスタイルの相対式ホームの駅だったそうな。普段の乗降客はとても少ない山間の駅ですが、休日は旧東海道のハイキングコースへ向かう観光客でそれなりに乗降客も目立ちます。


大谷駅は、国道1号のバイバスを避けて旧東海道側に出入口を設けています。駅前の風景は、クルマが行き交うR1と比べてしっとりとした雰囲気。逢坂山の峠に向かって琵琶湖名物の川魚料理屋が並んでいて、時折ウナギを焼く香ばしい匂いがたなびいて来て思わず店に入りそうになるのだが、新幹線代すらケチってここに来ている私にはとてもとてもウナギを食べているお金の余裕はございません(笑)。

 

駅前の旧道を歩くこと2~3分で、「逢坂の関」跡に着きます。「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関」の歌は、小倉百人一首にも詠まれた有名な歌ですよね。詠み人は蝉丸。蝉丸と言われると、坊主めくりで引くとその時点で負けが確定すると言う最凶の札と言うイメージが強い(笑)。蝉丸でお正月に大事なチョコレートをかっぱがれた苦い思い出が蘇る人、同類ですw


京津線逢坂山トンネル三条側坑口。坑口は旧東海道の橋とセットになっていて、線路に直交せず斜めになった坑口が特徴的。何となく江ノ電の極楽寺トンネルとイメージが被る。ともに古都を走り、併用軌道を持ち、極端な急曲線と厳しい車両限界。思い付くだけでも京津線と江ノ電の共通点は多いような。

 

三条側坑口からトンネルを抜けて来る815編成の京都市役所前行きを。トンネル内は浜大津側から三条側の坑口へ一方的な登り坂になっており、めーいっぱい長玉で圧縮するとその勾配の厳しさが分かります。トンネル額縁の明かり抜きってのはどうしてもこの手のトンネルを見つけるとやりたくなってしまう構図で、芸がないのはご勘弁いただきたく…(笑)。シャッタースピードを1/100くらいにすると800形のLEDが映るのね。

  

京津線逢坂山トンネルの長さは250mほどなので、国道1号を浜大津側へ下って反対側の坑口へ。国道の下の深い掘割から直接トンネルに入ってしまうため三条側と比べて坑口を確認するのが難しいのですが、まートンネル直前のカーブの急なこと急なこと!逢坂山を彩る瑞々しい新緑に包まれながら、電車はここでほぼ直角に向きを変えてトンネルに入って行きます。その編成の折れ曲がり方はまるでNゲージのよう。


大谷駅のホームに置かれたベンチは脚の長さが左右で違う。急勾配の途中にあるから脚の長さが揃ってると水平にならないって事ですね。かくも厳しい逢坂越え、夜をこめて 鳥の空音は はか(謀)るとも、よに逢坂の関はゆる(赦)さじ。
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逢坂山の道すがら

2015年05月06日 16時13分13秒 | 京阪電鉄

(小町湯@大津市逢坂二丁目)

古い建物が残る大津の街並みと申しましたが、逢坂山の道すがら、上栄町駅近くの旧東海道にこれまたレトロな銭湯が。入口が軽く破風造りになったこの銭湯、雰囲気だけでレトロ建造物好きの血が騒ぎ、「入ってみてえええええ!」という抑えがたい衝動に駆られるも、当然午前中から銭湯が営業しているはずもなく営業開始は午後3時からだった。

  

併用軌道区間を抜け、上栄町駅付近を引き続きブラブラ。ここから次の大谷駅へは駅間距離が開くのでさっさと電車移動しようと思ったんだけど、なんかこの駅にも魅力があるね。急な坂道のカーブの途中にあって、上下のホームは2つの踏切を挟んで互い違いに設置されております。お寺さんの伽藍の上に、大銀杏が青々と葉を付けている路地裏の駅。


駅の裏に続く路地には、軒先に季節の花が並び、野良猫がのっそりと通る。踏切脇のお堂は裏山にある長安寺と言うお寺の入口に立ち、買い物カートを押したばあちゃんや、近所の子供たちが深々と手を合わせては通り過ぎて行く。湖都の暮らしの風景に溶け込むように走る京津線が、逢坂山へ向けて登って行きます。

 

その長安寺踏切から大谷方向へカメラを向けてみましょう。京津線のレールには、逢坂山越えの急勾配・急カーブ対策のため、要所要所に線路への散水設備が設置されております。レールと車輪の摩耗抑制と、住宅街を走る電車のフランジ音の防止ためでしょうが、電車が近づいて来ると線路脇のノズルからパーッと霧状にした水が撒かれます。あたかもミストシャワーを浴びながら走っているような、この光景も京津線名物。


この区間、線路脇の勾配標は27.0‰を示しておりまして、急勾配といい連続カーブといい確かに厳しい線路条件だなあ。車輪に水を浴びながら、Sカーブをよじ登るように電車は山へ向かって行くのでありますが、聞けば季節と気候によって水圧は強かったり弱かったりするらしい。もうちょっと豪快に噴いてる時期にまた撮ってみたいと思ったり…

  

踏切の真ん中にて散水設備をまじまじと観察していたら、路地で遊んでいる子供たちに不審な顔をされたのでそそくさと脚を進める(笑)。一つお隣の踏切はこれまたお寺さんに続く踏切で、妙光寺踏切と言うらしい。その名の通り妙光寺というお寺の境内に入るためだけの踏切と言うのがいかにも…な感じですが、特にガイドブックに載っている訳でもなさそうですが、境内に入ると庭木は整えられていて、慎とした雰囲気が感じられます。さすが歴史のある街のお寺さんだね。


そんな妙光寺の境内から、お寺の山門抜きのワンカット。パステルカラーの電車が山門の向こうを流れて行きます。電車は止めようかブラそうか迷ったんだけど、お寺の静けさと対比させるようにスローシャッターでブラしてみましたがいかがなもんでしょ。ソフトフィルターは後加工ね。


表題の小町湯。結局夕方にこの銭湯を再訪する事になったんだけど、番台に座る100歳近そうな大ばあちゃんが全く耳が聞こえないと言う素人にはおススメ出来ない物件ではあった(笑)。中も実にレトロで、壁の富士山絵とタイル壁の金魚のモザイクがとても文化財的な雰囲気の味のある銭湯で、ちょっと熱めのいいお風呂でありました。特筆すべきは、温泉ではないと思うのだが入った後に妙にお肌がスベスベする事か。そして帰ってから知ったのだが、ここはモノの噂によると幕末の頃から営業している知る人ぞ知る銭湯だとか…幕末って(驚)。

さすがに京に続く道の周りには、色々と歴史の濃いものが潜んでいるようです。
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