飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

焼き場に立つ少年

2009-04-15 22:56:01 | 写真

あまりに健気に酷い、歴史の一コマ!!


 

 こう言う時もあったのだ。平和な日本のほんの少し昔........。


 

 誰もが生きることに必死であった。同時に、生ける厳かな敬意に満ちていた。涙一つ見せず耐え、ひたすらに死に直面していた。死に直面すると言うことは、生に真剣であると言うことだ。


 

 沈黙の中に送り、そして生きていく。


 

 悲しむ便(よすが)はない。
 それ故、哀しみは辺りを覆い、慄然の衝撃を醸す。
 ああ、人間は、何のために生まれてきたのか。
 何故に死んでゆくのか。
 その問いを厳粛に噛みしめる時が必要だ。


 

 雄々しく生きた、かの少年は、今何処.......。


 

一枚の写真《焼き場に立つ少年》
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/886.html
<siname></siname>

投稿者 SWAN 日時 2006 年 2 月 01 日 23:31:44: 5ZIUIYNeIYP/c

 http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/886.html

高校生の授業のため、英語の教科書を読んでいた。

一枚の写真が掲載されていた。

赤ん坊をおぶっている少年の写真だ。少年は見事に「気をつけ!」の姿勢をとっていた。
戦後、進駐軍の兵隊がとった写真のようだった。
あの頃の日本人は、少年でさえこんな見事な面魂をしている。たいしたものだよなあ・・・。
それにひきかえ、今の・・・・。まあ、あの頃は貧しい時代だったから、弟や妹をおんぶして
遊ぶのはあたりまえの風景だったんだろ。それにしても、この見事な「気をつけ」はどうだ。
外人に写真を撮られるんで精一杯「日本男児」してるんだろうか。なんて、思いながら説明の
英文を読み進めていた。

 ばかだった。とんでもないバカだった。
あの、あどけないようすで眠っているとばかり思っていた赤ん坊は、

 死んでいたのだ!

 撮影されたのは、被爆後の長崎。まだ小学生である少年は、赤ん坊を背負い、裸足で一人、
焼き場に歩いてきたのだ。背負っている自分の弟妹である赤ん坊を火葬するために。
少年は、あの姿勢のまま、焼き場の前で5~10分たたずんでいたという。
少年のまっすぐ向けられた視線の先には、焼き場の炎が映っているのだろうか。その炎の中に
少年は何を見ているのだろう。何を見つめているのだろう。
堅く、堅く少年は口を結んでいる。声をあげて泣き出したい衝動を、必死で少年はこらえている。
 父は戦場へ行ったのだろうか。母は原爆で亡くなったのだろうか。他にだれもいなかったの
だろう。あの小さい体で、運命の全てを一身に負い、気をつけの姿勢のまま屹立している少年。

 涙が止まらなかった。今から60年前に確実にあった光景。しかも、どこにでもありふれていた風景。
 あの風景から戦後が始まったのである。

 今、僕らはあの少年に対し、どんな言葉が投げかけられるだろうか。
 何もありゃしない。語れる言葉など何一つない自分のうすっぺらさが強烈に身に沁みる。
 ただ、泣くしかないのだ。

 撮影した米軍の兵士は、後に写真家となったジョー・オダネル。彼のリビングにはこの写真が
今も飾られているという。
 絶望と悲惨さのただなかで、全身全霊で運命をこらえながら必死に屹立しようとする小さな、
本当に小さな存在。僕らは、この子たちに何を語れるのだろう?

 *未見のかたは、ジョー・オダネルのこの写真、ぜひに見ていただきたい。
そして、既にご存知の方は、私のアホさかげんを笑ってください。
 なお、授業は泣き崩れてしまったため、できませんでした。

 


【転載開始】「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去(朝日新聞)
2007年08月11日16時05分

ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。

 米占領軍のカメラマンとして原爆投下後の広島、長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影し、亡き弟を背負った被災少年の写真「焼き場に立つ少年」などで知られる。

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『直立不動の少年』+米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/890.html
投稿者 どさんこ 日時 2006 年 2 月 02 日 09:22:36: yhLXMcSQdrkJ2

(回答先: 一枚の写真《焼き場に立つ少年》 投稿者 SWAN 日時 2006 年 2 月 01 日 23:31:44)

2066



写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。 この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえ ました。


まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋) 【転載終了】


植草先生痴漢冤罪事件の無罪の可能性が.....!!

2009-04-15 17:14:21 | 植草一秀

痴漢事件に逆転無罪判決!!
最高裁、画期的・異例の自判。


 喜ばしい。これで植草先生の冤罪事件にも光明が見えてきた。しかし、油断は出来ない。植草先生の事件は、明らかな冤罪であるから、しかも企図した謀略であると考えられるから、司法が厳に独立した判断が求められる。そうであるなら、何はさておき、無罪は当然の如く予想される。

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 朗報には違いない。今ひときわ高く、声援が必要な時である。


【転載開始】「痴漢」防衛医大教授に最高裁が逆転無罪…一貫否認、物証なし 

2009年4月14日16時49分

  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090414-OYT1T00669.htm
 東京都内の電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われ、1、2審で有罪とされた防衛医科大教授の名倉正博さん(63)(休職中)の上告審判決が14日、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)であった。

 

 同小法廷は、「被告が犯行を行ったと断定するには合理的な疑いが残る」と述べ、懲役1年10月の実刑とした1、2審判決を破棄、無罪を言い渡した。名倉さんの逆転無罪が確定する。最高裁が、2審の事実認定を覆し無罪を言い渡すのは珍しい。

 

 判決は、「満員電車内の痴漢事件は、被害者の供述が唯一の証拠である場合が多く、被告が有効な防御をすることが難しいため、特に慎重な判断が求められる」と述べ、痴漢事件の審理のあり方に言及した。

 

 名倉さんは2006年4月18日午前8時頃、世田谷区内を走行中の小田急線の車内で、女子高生(当時17歳)の下着に手を入れるなどしたとして逮捕、起訴された。1審・東京地裁、2審・東京高裁は女子高生の供述を有罪の根拠とした。

 小法廷は判決で、名倉さんが捜査段階から一貫して否認していることや物証がないことを指摘。

 

 女子高生が途中駅でいったん下車したのに、車両を変えずに乗車し、再び被告のそばにいた点などを挙げ、「被害者の供述の信用性には疑問の余地がある」とした。

 裁判官3人の多数意見。堀籠幸男裁判官と田原裁判長は反対意見を述べた。【転載終了】


 

【転載開始】2009年4月15日 (水)

Photo

植草一秀の『知られざる真実』

痴漢冤罪事件に最高裁が逆転無罪判決を示した

痴漢冤罪事件で最高裁が逆転無罪判決を出した。

最高裁が事実誤認で逆転無罪判決を出すのは極めて異例である。私が巻き込まれている冤罪事件を含め、今後の裁判や捜査に適正な影響を与えることが望まれる

4月14日に逆転無罪の最高裁判決を獲得したのは防衛医科大学校教授の名倉正博氏である。名倉氏は「同じように汚名を着せられている人たちの気持ちを思うと、有頂天になる気もしない」との感想を漏らした。

主 任弁護人の秋山賢三氏は「冤罪(えんざい)救済運動の心強い支えになる判決だ。氷山の下で泣いている人たちのためにも、一審できょうの最高裁のような判決 が得られるよう、今後も頑張っていきたい」述べた。弁護団の一人である佐藤善博弁護士は、私の弁護人にもなってくださっている。

名倉氏の冤罪事件では、
①有力な証拠が被害者の証言だけだった。
②繊維鑑定でも被害者の下着繊維と特定できるものが名倉氏の手の付着物から検証されなかった。
③女性が積極的に痴漢行為を回避していない。

  
ことなどを理由に、「被害女性の証言の信用性を疑う余地がある。名倉氏が犯行を行ったと断定するには、なお合理的な疑いが残る」と結論づけ、無罪判決を出した。

私が巻き込まれ、現在、最高裁で係争中の冤罪事件では、

①被害者は犯人を直接確認しておらず、犯人の手を掴まえておらず、振り返った際に犯人の手を目視しておらず、振り返った際に右後方に立っていた被告人を犯人だと考えただけであることが公判証言で明らかになった。

  
②被害者は犯行時の犯人を目撃しておらず、また、二名の逮捕者も騒ぎが起きたのちに現場で、被害者が犯人だと考えた被告人を捕らえただけで犯罪を目撃していない。

③事件を目撃したとの検察側証人が出現したが、この証人の証言には

  
(
)9月15日に警察署で実況検分調書を作成していたことがのちに発覚したが、証言では9月16日に警察に初めて出頭したと虚偽の証言をした。9月15日に警察で実況見分をした事実を隠ぺいしようとしたのだと考えられる。

  
(
)証人が電車内で友人に送ったとされるメールには証人が「被害者の前にいた」と記述したが、公判証言では「被害者の真横の方向に立っていた」と証言した。

  
(
)犯人の顔を注視し、目の様子に注目していたと証言したが、眼鏡をかけていたことを覚えていない。

  
(
)犯人の左手から腕まで注視していたと証言したにもかかわらず、そこにあったはずの傘を認識していない。

  
(
)犯人が右に傾いて立っていたと証言しながら、右の肩だけ見えて左の肩は見えなかったと、現実に理解しがたい証言をした。

  
(
)犯人が被害者に密着していたと証言しながら、犯人の顔と被害者の頭は離れていたと証言したが、被告人と被害者の身長差から生じる状況と矛盾する。

  
(
)公判で自分と被害者の距離、間に立っていた女性との距離を詳細に証言したが、この証言が実際の被害者などの位置と完全に矛盾する。証言は9月15日の警察での実況検分の模様を供述したものだと考えられる。

 

など、証言の信ぴょう性が著しく低いことが明らかになった。

④弁護側証人が名乗り出て、公判で証言したが、

  
(
)犯行があったとされる品川駅で電車した時点から被告人の存在を確認しており、その時点から青物横町駅あたりまで、被告人がぐったりとして吊革につかまり、女性と密着することがまったくなかった状況を目撃していたことを公判で証言した。

  
(
)こ の証人は弁護団から事件内容をまったく聞かされておらず、公判で青物横町から大森海岸駅あたりまで「うとうとした」ことを証言したが、メディアはこの点を 「重要な場面で眠っていた」と報道した。しかし、この報道は間違っており、証人は最重要な品川から青物横町までの経過を完全に目撃していた。

  
(
)この証人の証言内容は客観的な事実と一致しており、極めて信ぴょう性の高いものであった。

 

繊維鑑定では被害者の下着ならびに衣服の構成繊維と特定できるものが被告人の付着物から検出されなかった。

⑥被害者が積極的に痴漢行為を回避していない。

ことなどが明らかになっている。詳細は拙著『知られざる真実-勾留地にて-』(下記参照)巻末資料に記述してあるので、ぜひ、ご高覧賜りたい。

証拠の構造などは、今回、無罪判決が出された事件以上に、「合理的な疑いが残る」ものだと言える。

今回の判決は、秋山賢三弁護士が指摘するように、「冤罪救済運動の心強い支えになる判決」である。

しかし、現実には「氷山の下で泣いている人たち」が多数存在しており、今後のすべての事案への対応にあたって、同様に適正な判断が示されることが強く求められる。また、捜査や検察での対応に際しても、今回の判決が重く受け止められることが強く求められる。

梓澤和幸弁護士が編著書『裁判員制度と知る権利』の冒頭に記されているフランス人権宣言の流れをくむ言葉、
「たった一人であっても、無辜(むこ)の個人が公権力によってその生命や自由を不当に侵されることがあってはならない」
を改めて噛みしめなければならない。【転載終了】


GMの破算法申請は、確定的か?!!

2009-04-15 15:59:26 | ニュース

GMは、破産は不可避!!
破産は、『破算』だ。


 御破算によりまして.......。そろばんは新たな計算に入る。それなくして、どうして莫大な債務超過(5兆8000億円以上)を消却出来るというのか。既に、バルチャー投機経済は破綻したのである。その余録を受けて、バブル化した実体経済は、既に正常な実需に戻ってしまった。

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 今、なすべき事は、デフレスパイラルをいかにして防ぐかと言うことにつきる。GMが現状で再生する需要は、先ず絶対にない。縮小均衡出来るか否かに掛かっている。


 だから、必ず、破産(破算)処理に入る。引き延ばしているのは、消費マインドを怖れているに過ぎない。たとえ、戦争経済に入ってもGMが再生する見込みはない。


 思うに、バルチャー投機経済(敢えて言うが、金融資本主義経済を指す)を、この際、御破算(産)にすべきである。これが全世界のタックスヘイブン廃止と秘密口座に廃止である。金持ちには気の毒であるが、真の意味でのNESARAが必要である。

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 通貨は、『お足』である。その通貨が、強欲な投機精神で通貨としての信用を失ったことが諸悪の根源であることは明らかだ。金銭崇拝の成れの果てと言うべきである。金銭を崇拝して何になるか。別な言い方をすると、『お足崇拝』である。


 崇拝することを宗教というならば、邪教の極致と言うべきだ。金銭など崇拝すべきでない。金銭は通貨であるから、通貨は『お足』であるから、使うことに意義がある。問題は何に使うかである。結論は、はっきりしている。経世済民に使うべきである。それが真の経済と言うべきだ。


 一部強欲な輩は、戦争を起こそうと考えている。それに追随する小金持ちが、戦争経済こそが、現今の経済破綻を救う道であるかの如く、能書きをたれる。評論家も言外にそう言うことを臭わす。臭わすばかりでなく、堂々と持論として、大言壮語する御仁が居る。増田 俊男氏その人である。これは間違いである。


 本末転倒と言うべきだ。イカサマ経済を運営したから、経済破綻したのであって、格差を助長したから実需が減退したのである。大衆を豊かにすること、これ以外、実需の増大はない。それが真の経済である。


 今ここで、膨れに膨れたバルチャー投機経済を御破算(産)にして、膨大な隠匿された富を暴き出し、新たな民生経済と未来展望の新世界を描く以外に真の経済再生はないと考える。


【転載開始】米財務省がGMに6月1日までに破産法申請の準備指示-NYT紙             

     4月12日(ブルームバーグ):米紙ニューヨーク・タイムズは米財 務省が米自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)に対し、6月 1日までに米連邦破産法の適用申請を準備するよう指示していると伝え た。事情に詳しい関係者を引用している。         

       更新日時 : 2009/04/13 10:22 JST【転載終了】

 さらに..........。

【転載開始】米大統領がGM再建に期待、破産法回避の可能性低下との見方

トムソンロイター2009年4月15日(水)08:24

米大統領がGM再建に期待、破産法回避の可能性低下との見方
(トムソンロイター)

 [ニューヨーク 14日 ロイター] オバマ米大統領は14日、自動車大手クライスラーゼネラル・モーターズ(GM)<gm.n></gm.n>

の再建を「切に希望する」と述べた。 

 一方、複数の関係筋によると、GMの社債権者は、GMが破産法の申請を回避できる可能性が低下したとみており、破産法の申請を視野に入れた独自の対策に乗り出す可能性がある。

 大統領は「今後数週間以内に」クライスラーが事業存続のための提携先を見つけ、GMも経営再建策をまとめることを期待すると表明。これを受け、GM株は6%値上がりした。

 大統領は「今後数週間以内に、クライスラーが存続可能な提携先を見つけること、GMが経営再建計画をまとめ、納税者の際限ない支援を得ずに黒字転換する道筋をつけることを切に希望する」と発言した。

 GMは経営再建のため、無担保債務や労働コストの削減で、社債保有者、全米自動車労組UAW)と合意する必要がある。

 複数の関係筋によると、GMの社債権者は、GMが破産法の申請を回避できる可能性が低下したとみており、破産法申請を視野に入れた独自の対策に乗り出す可能性がある。

 関係筋によると、少なくともある社債保有者は、社債保有者に対して最も有益な判断を下す裁判所がどこか検討を行いGM破たんの可能性に備えており、全米自動車労組(UAW)寄りであるとしてミシガン州東部地区の裁判所を除外している。

 債権者はこれまでに米政府もしくはGMとの直接対話がないことに不満を募らせており、2人の関係筋によると、10人からなる債権者委員会は、独自の破たん戦略につながるような行動を取り始める可能性もある。

  調査会社ギミー・クレジット(ニューヨーク)のシニア高利回りアナリスト、シェリー・ロンバード氏は「政府は管理された破産の方向に向かっているようだ。 問題は債券保有者がどれだけ価値を引き出せるかだが、彼らには訴訟以外にあまり多くの選択肢は残されていない」とした。

 タームシート(条件規定書)に詳しい筋によると、GMは前月、債券保有者に額面1ドル当たり現金0.08ドルと新たな無担保債券0.16ドル、GM株90%を提供する案を提示した。

 クライスラにーについては、大統領の自動車作業部会が、イタリアのフィアット<fia.mi></fia.mi>

との提携内容を確定し、有担保債務、労働コスト、医療費削減などに踏み切る必要があると主張している。

  関係筋が明らかにしたところによると、クライスラーの第1順位債権者は、同社の債務削減をめぐり、財務省に代替案の提出を準備している。合計70億ドル程 度の債権を放棄する代わりに、フィアットとの提携が実現した場合に誕生する新会社の株式取得と一部現金の支払いなどを受け取る内容が盛り込まれる可能性が ある。

 同筋によると、債権者は12日に新会社の資本構成などクライスラー再編計画の主要事項について説明を受けた後、対応を検討している。代替案は今後数日中にも提示される可能性があるという。

 債権者は約2週間前、米政府による60億ドルの債務削減要請を拒否している。

 クライスラーの取引金融機関から成る運営委員会には現在、エリオット・マネジメントなど政府から資金注入を受けていない4つの金融機関が加わっている。

 運営委員会とフィアットはこの件についてコメントを控えている。クライスラーからのコメントは今のところ得られていない。【転載終了】


不思議な少年!! その18

2009-04-15 12:39:47 | 物語

イエス、ナザレの会堂のラビ(教師)と語る!!


 イエスの幼年時代の聡明さは、聖書からもほんの少し窺えるが、具体的ではない。相当のものであったようである。今風で言えば、神童と言うべきもので、別ないい方をすれば、インディゴチルドレンの典型、親分格であろう。


 これは、現代においてはインドのサティア・サイババの幼年期にも同じ事が見受けられる。

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 イエスはユダヤ人として生まれた。これは紛れもない事実。ユダヤ人として生活したことも事実。そんな中で、ラビとのやりとりが面白い。決して、ユダヤ人を代表して居るのではない。


 ユダヤ人は狭量であると言っている。


 そして、イエスは世界を巡る。この事は、全く聖書には言及されていない。聖書には生まれの経緯と12歳の時、そして、説法を始めた30歳過ぎのイエスの行伝である。


 

 ナザレの食堂のラビ・バラキヤはマリヤがイエスを教える援助者となってくれた。或る朝、食堂の礼拝の後、ラビは瞑想に耽っているイエスに言った、「十戒のうちどれが一番大切で、あるか。」


 イエス、「十戒の一番大切ものは知りません。わたしは十戒をひとくくりに結んで一つにする黄金の紐(ひも)を見るだけです。この紐は愛です。これは十戒のどの言葉にも通じます。もし人が愛に満ちて居れば、神を愛する外はありません。神は愛ですから。

 人が愛に満ちて居れば、殺すことが出来ません。偽りの証拠を立てることが出来ません。むさぽることが出来ません。神と人をあがめる外に何も出来ません。もし人が愛に満ちて居れば、どのような命令も必要でありません。」


 ラビ・バラキヤは言った、「君の言葉は上よりの智患の塩に味つけられている。この真理を君に明かした先生は誰か。」


 イエスは言った、「どんな先生がこの真理をわたしに打ち明かすかは知りません。真理は決して閉ざされていないように思われます。真理は一つであって、到るところにあるから、いつも開かれています。そして若し心の窓を明けておけば、真埋は入って来て気持よくして居ましょう。真理はどんな割れ目でも、どんな窓でも、どんな入口からでも入って来ることが出来るものです。」


 ラビは言った、「真理が入ることの出来るように、心の窓や入口を開くほど力ある手はどんな手かね。」


 イエス、「十戒を一つに結びつける黄金の紐たる愛は、真理が入って来て心が悟れるように、人の戸を開くほど十分強いものだと思います。」


 夕べになって、イエスは母だけとなった時に言った、


 「ラビは神が人の子らを扱うに不公平でユダヤ人がお気に入りで、すべて外の人以上に恵まれていると考えているようだ。15)しかし神にお気に入りの者があっては、それでは公平だとは思われない。サマリヤ人もギリシャ人もローマ人も、ユダヤ人と共に、楽しく聖なるお方の子供でありませんか。

 ユダヤ人は周囲に壁を築き、全く向う側を見ないようだ。ユダヤ人はかしこに花が咲き、種子播きや収穫の時期がユダヤ人以外にもあることを知りません。若しわたしたちがこの障壁を打ち破り、神がわたしたちと同様に外の子供たちをも恵んで下さることが分かればよいと思う。


 わたしはユダヤ国を出て、わが祖国以外の国々にある親族にも逢いたい。」


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第五部 イエスの幼少時代と初期の教育

第十七章 イエス、ナザレの会堂のラビ(教師)と語る。ユダヤ思想の狭量を非難す。

1)ナザレの食堂のラビ・バラキヤはマリヤがイエスを教える援助者となってくれた。

2)或る朝、食堂の礼拝の後、ラビは瞑想に耽っているイエスに言った、「十戒のうちどれが一番大切で、あるか。」

3)イエス、「十戒の一番大切ものは知りません。わたしは十戒をひとくくりに結んで一つにする黄金の紐(ひも)を見るだけです。

4)この紐は愛です。これは十戒のどの言葉にも通じます。

5)もし人が愛に満ちて居れば、神を愛する外はありません。神は愛ですから。

6)人が愛に満ちて居れば、殺すことが出来ません。偽りの証拠を立てることが出来ません。むさぽることが出来ません。神と人をあがめる外に何も出来ません。

7)もし人が愛に満ちて居れば、どのような命令も必要でありません。」

8)ラビ・バラキヤは言った、「君の言葉は上よりの智患の塩に味つけられている。この真理を君に明かした先生は誰か。」

9)イエスは言った、「どんな先生がこの真理をわたしに打ち明かすかは知りません。真理は決して閉ざされていないように思われます。真理は一つであって、到るところにあるから、いつも開かれています。

10)そして若し心の窓を明けておけば、真埋は入って来て気持よくして居ましょう。真理はどんな割れ目でも、どんな窓でも、どんな入口からでも入って来ることが出来るものです。」

11)ラビは言った、「真理が入ることの出来るように、心の窓や入口を開くほど力ある手はどんな手かね。」

12)イエス、「十戒を一つに結びつける黄金の紐たる愛は、真理が入って来て心が悟れるように、人の戸を開くほど十分強いものだと思います。」

13)夕べになって、イエスは母だけとなった時に言った、

14)「ラビは神が人の子らを扱うに不公平でユダヤ人がお気に入りで、すべて外の人以上に恵まれていると考えているようだ。

15)しかし神にお気に入りの者があっては、それでは公平だとは思われない。

16)サマリヤ人もギリシャ人もローマ人も、ユダヤ人と共に、楽しく聖なるお方の子供でありませんか。

17)ユダヤ人は周囲に壁を築き、全く向う側を見ないようだ。

18)ユダヤ人はかしこに花が咲き、種子播きや収穫の時期がユダヤ人以外にもあることを知りません。

19)若しわたしたちがこの障壁を打ち破り、神がわたしたちと同様に外の子供たちをも恵んで下さることが分かればよいと思う。

20)わたしはユダヤ国を出て、わが祖国以外の国々にある親族にも逢いたい。」

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION V<o:p></o:p>

HE<o:p></o:p>

Childhood and Early Education of Jesus<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

CHAPTER 17<o:p></o:p>

Jesus talks with the rabbi of the synagogue of Nazareth.
He criticizes the narrowness of Jewish thought.
<o:p></o:p>

NOW, Rabbi Barachia of the synagogue of Nazareth, was aid to Mary in the teaching of her son.
2) One morning after service in the synagogue the rabbi said to Jesus as he sat in silent thought,
Which is the greatest of the Ten Commands?
3) And Jesus said,
I do not see a greatest of the Ten Commands. I see a golden cord that runs through all the Ten Commands that binds them fast and makes them one.
4) This cord is love, and it belongs to every word of all the Ten Commands.
5) If one is full of love he can do nothing else than worship God; for God is love.
6) If one is full of love, he cannot kill; he cannot falsely testify; he cannot covet; can do naught but honor God and man.
7) If one is full of love he does not need commands of any kind.

8) And Rabbi Barachia said,
Your words are seasoned with the salt of wisdom that is from above. Who is the teacher who has opened up this truth to you?
9) And Jesus said,
I do not know that any teacher opened up this truth for me. It seems to me that truth was never shut; that it was always opened up, for truth is one and it is everywhere.
10) And if we open up the windows of our minds the truth will enter in and make herself at home; for truth can find her way through any crevice, any window, any open door.
11) The rabbi said,
What hand is strong enough to open up the windows and the doors of mind so truth can enter in?
12) And Jesus said,
It seems to me that love, the golden cord that binds the Ten Commands in one, is strong enough to open any human door so that the truth can enter in and cause the heart to understand.
13) Now, in the evening Jesus and his mother sat alone, and Jesus said,
14) The rabbi seems to think that God is partial in his treatment of the sons of men; that Jews are favored and are blest above all other men.
15) I do not see how God can have his favorites and be just.
16) Are not Samaritans and Greeks and Romans just as much the children of the Holy One as are the Jews?
17) I think the Jews have built a wall about themselves, and they see nothing on the other side of it.
18) They do not know that flowers are blooming over there; that sowing times and reaping times belong to anybody (and the Jews).
19) It surely would be well if we could break these barriers down so that the Jews might see that God has other children that are just as greatly blest.
20) I want to go from Jewry land and meet my kin in other countries of my Fatherland.

【続く】