飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

中國では赤ちゃんを食べる!!

2009-04-25 10:00:04 | 臓器売買

こういう事は、蛮行の領域としか言えない!!


 本当かどうか、悪宣伝かどうか、定かには言えない。しかし、その兆候が中国国内には多く見受けられる。これは、悪しき慣行、未発達の悪慣行としか見えない。


 食がなければ、生きていけないのは、物質世界の原則だが、人間は何を食するかによって人間たる尊厳があり、発達段階が読み取れる。やはり、菜食が原則、動物を食するのはやむを得ない場合に限る。人間が人間を食するなど、たとえ、飢餓に直面しようとも排斥されなければならない。

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【転載開始】

・港媒:大陸吃嬰 嬰肉做餃子 胎盤煮湯
(香港メディア発:
中國では赤ちゃんを食べる、赤ちゃんの肉で餃子を造る、胎盤を煮てスープにする)。
引用リンク;
・港媒:大陸吃嬰 嬰肉做餃子 胎盤煮湯 【大紀元3月22日訊】
(大紀元2007年3月22日報道 / 簡体字)。


・近几年来的中国大陸,一直都還存在有銭人吃嬰尸来養顔補身。壹周刊最新披露,广東地区不但有人把新鮮嬰儿
胎盤当作是養顔補身的食物,甚至乾脆直接把堕胎下来的嬰尸烹煮成美食来品,而且想鮮的人趨之若鶩,甚至還得透過医院排隊購買。壹周刊并実際前往遼寧探査煮
嬰、吃嬰還有丟棄嬰尸的情形,整个画面惨不忍睹。

(ここ数年来の支那大陸では、今でも金持ちが赤ん坊の死体を食べて美顔や身体補強にする習慣が存在している。壹周刊の最新号によると、中国广東省地区では 新鮮な赤ん坊の胎盤を美顔や身体補強のための食材にするばかりではなく、甚だしきはさっさと直接堕胎した嬰児を煮込んで美容食として賞味している。そのう えより新鮮な物が欲しいと思う者がぞろぞろいて、ひどいのになると病院に行列をしてまで購入している。壹周刊の記者は実際に遼寧省に赴き嬰児の煮込み、嬰 児食、嬰児破棄などの実態を調査したが、それら全ての情景は凄惨で見るに忍びなかった)。

・据壹周刊報導,今年一月在一場台商宴客中,一个在台商家里幇傭的遼寧人劉姐无意間透露,目前在遼寧吃嬰尸的情形仍然非常多見,還因為最近自己身体不好,打算過年回老家吃嬰尸補補身体;這樣率直的講出大陸現况,譲在場的台商夫人們,嚇得説不出話来。
(壹周刊の報道によると、今年2007年1月台灣商人の催した宴の場に招かれた人の中にいた台灣商人の使用人で遼寧省出身の劉姉さんが思わず漏らしたとこ ろでは、今でも遼寧省では嬰児死体を食べる習慣が相変わらずとても多く見られ、最近自分自身の体調も悪いので、2月の農暦正月には実家に帰えり嬰児死体を 食べて栄養補給にするつもりだとのこと。このように中国の現状を素直に語りだしたので、その場に居合わせた台灣商人の夫人たちを、口も開けないほどビック リさせてしまった)。

・劉姐還表示,目前大家都出得起銭買貨(指嬰胎),但是貨由医院控制着,而且很多人排隊等着,与医院有関的還会有“好貨”。而好貨一般指数較長,肉較多的嬰儿,同時因重男軽女十分厳重,男嬰尸更被奉為聖品。
(劉姉さんは更に、現在誰でもみんなお金さえ払えれば商品(胎児を指す)を買えるが、商品は病院が取り仕切っていて、尚且つ大勢の人が行列を造り順番待ち をしているので、病院とコネが有る者はそれだけ“良い商品”にありつけると述べた。それから良い商品とは普通大き目で肉付きの良い嬰児を指し、男児を重ん じ女児を軽んじることが甚だしいので、男の嬰児死体のほうが更に極上品とされている)。

・在壹周刊記者的要求采訪下,劉姐親自帯記者前往遼寧料理嬰尸的地点。現場看到一煮嬰尸的大嬸将男嬰肉?成肉泥包水餃,并切下胎盤煮湯。而人肉水餃外表与平常水餃并无太大差異,只是内餡顔色明顕偏紅。過程中,那位大嬸還好意安撫大家説:“這只是高級動物,不用怕。”
(壹周刊の記者の取材要求により、劉姉さんは自ら記者を遼寧嬰児死体料理店の場所に連れて行った。その現場では嬰児死体を煮込んでいるおばさんが男の嬰児 の肉を切り刻んでミンチにして水餃子を作っていたり、胎盤を切り落としてスープとして煮込んでいるところを見た。人肉水餃子の外観は普通の水餃子と大差は 無く中身の色が明らかに赤色をしているだけである。調理の過程でそのおばさんは親切にもみんなを安心させるために『これは単なる上等な動物であって怖がる ことはないよ』と言った)。

・吃完之后,剩下的嬰儿残骸随着東北人習俗,拿上山火葬,整个過程,令人発指。
(食べ終わった後、残った嬰児の残骸は東北人の慣わしにしたがって山の上に持って行き火葬にするという。その全過程は人をして怒り心頭に発せさせた)。

・事実上,中国大陸吃嬰尸,喝嬰儿湯的消息時有所聞,網路上還曾経流傳一名所謂的芸術家,把吃嬰尸当作芸術,還拍成影片供人観賞。
(事実、支那大陸の嬰児死体食や嬰児のスープを飲むニューズは時折聞くが、インタネット上でもかつて世に広まったいわゆる芸術家が嬰児死体を食べることを芸術にしたり、それを撮影して映画にまでして人々に観賞に供していたことがある)。

・2003年3月22日,广西賓陽民警在一輌由广西玉林開往安徽亳州的臥鋪大客査獲用旅行袋打包偸運的28名嬰儿,年歳最大的也不過3个月,全是女嬰。不少嬰儿由于被三四个擠装在一个旅行袋内,已奄奄一息,并且這些女嬰都无人認領。
(2003年3月22日、広西自治区賓陽の人民警察が広西玉林発安徽省亳州行きの寝台列車車内にて乗客の旅行バッグに梱包され密輸されていた28名の嬰児 を助け上げた。年齢は最大でも三ヶ月を超えず全て女の嬰児であった。多くの嬰児は三四名ずつぎっしりと旅行バッグに詰め込まれていたために、すでに息も絶 え絶えであった。そのうえこれらの女児は全て誰も引き取りに来る者が無かった)。

・2004年10月9日上午,酒泉市粛州区一名拾荒者在市郊一个拉圾箱内驚現一堆被分解的嬰儿尸体碎尸,更令人驚奇的是,被分解的肢体中,竟然有両个脳袋、両具躯干、四支骼臂、六条腿。据専案組現場勘査情况証実,小孩是被肢解后煮熟的,時間不超過一周
(2004年10月9日午前、酒泉市粛州区のあるクズ拾いが市の郊外にあるゴミ箱の中にバラバラに分解された一山の嬰児の死体を発見して吃驚仰天した。更 に驚かされるのは、分解された肢体の中にあろうことか二つの頭、二つの胴体、四本の腕、六本の脚が有った。特捜班の現場検証で子供はバラバラにされた後煮 込まれたものであり、棄てられてから一週間以内であることが明らかになった)。

・而在广東台商中,一直流傳着一个駭人听聞的進補潮流──嬰儿湯。花三四千元人民幣,就吃到一盅用六七个月大的嬰儿燉成的補湯。几个月大的嬰儿,加入巴戟、党参、当帰、杞子、姜片,加入鶏肉排骨,燉八小時,很能補气、養血。并且有多張現場図片在網上流傳,画面惨不忍睹。
(广東省の台灣商人たちのあいだで、ずっと噂になっている人をして仰天させるのが更に上を行く潮流すなわち“赤ん坊のスープ”というのがある。三千四千人 民元(48000JY~64000JY)を払えさえすれば、一碗の六七ヶ月くらいの嬰児を良く煮込んだ栄養補給スープが食べられる。生まれて数ヶ月の嬰児 にアカネ・トウジン・シシウド・クコの実・刻みショウガを加え、鶏がらも加えて八時間煮込むともの凄い強壮、増血になるというではないか。そのうえ多くの 現場写真がインタネット上に流布していて、その画面は残酷で見るに忍びないものである)。

・中国大陸从毛澤東文革時大力鼓吹生小孩后,大陸人口激增,造成許多社会問題,雖然大陸明文規定禁止吃嬰,但是却是鼓励堕胎,同時社会道德的直銭下滑,導致這樣泯滅人性和違反人権的事情屡屡発生。
(中国大陸では毛澤東の文化大革命時代に盛んに子を産めよ増やせよと奨励したために人口が激増して多くの社会問題をもたらした。当時嬰児食の禁止を明文化 して規制していたにも関わらず、却って堕胎を奨励することになり社会道徳は地に落ち、このように人道は潰滅し人権侵害行為がたびたび発生するようになって しまったのである)。
(注:強制堕胎を施行している支那大陸ではいまでも毎年二千万~三千万柱もの命が失われている)。

3/22/2007 3:16:06 AM @(http://www.dajiyuan.com)
本文网址: http://www.epochtimes.com/gb/7/3/22/n1653742.htm
完。 (終了)。【転載終了】


現実ではありえない世界を表現した不思議な写真!!

2009-04-25 09:28:48 | 写真

どうって事ないけど......
オモシロイ!!


 拾い読み、ブログ更新。出張中、ネット環境が悪くて、とりあえず更新。悪しからず!


【転載開始】2009年03月16日 10時33分00秒

現実ではありえない世界を表現した不思議な写真


http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090316_wonder_photo/
一見、世界をありのままに切り取った写真のようでありながら、現実ではありえないことが写っている不思議な写真あれこれ。自分の見知った部分が多く写っているだけに、違和感を感じて奇妙な気分になれます。

詳細は以下から。

漫画ではよくある表現ですが……

中の物が出てきてしまう絵画

アイロンがけでぺちゃんこ

背中を写す鏡

あまり成長して欲しくない植物「homo sapiens」

シートを敷くように道路を造る男

道路工事関係者の休息中

建造中のテトリス

エッシャー風のエスカレーター

これらはスウェーデンに住むErik Johanssonさんによる作品。以下の公式サイトからは他の多数の写真が見られます。

alltelleringet.com
http://www.alltelleringet.com/【転載終了】


リチャード・コシミズ 【テーマ:「ヤメカルト2」学習交流会】!!

2009-04-23 20:53:38 | 不正選挙

リチャード・コシミズさんの 渾身の学習会!!




 小気味よく、痛快丸かじりの、蒙昧を打ち破る学習会。これほど手強い真実追究者が他にいるだろうか。しかも時宜を得た渾身の独演会。必見!! 溜飲が下がる思いがする。



リチャード・コシミズ 【テーマ:「ヤメカルト2」学習交流会・2009.04.19】Richard Koshimizu
http://video.google.com/videoplay?docid=1448005534830611298

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不思議な少年!! その25

2009-04-23 20:44:00 | 物語

階級(カースト)制度の教義、イエスこれを斥ける!!


 今の時代だから言えるが、何時の時代も陋習(ろうしゅう=悪い習慣)に囚われた人々は、頑としてその盲信を啓くことは限界がある。バラモン教(ブラマ教)の僧侶はカースト制度に対して盲信を崩さない。陋習は陋習である。宗教は永い時を経て、真実は隠され陋習となる。これはバラモンに限ったことではあるまい。取りわけ、特権階級は自らの保身に都合よく解釈を加えるからではあるまいか。


 今も同じ。キリスト教であってもそれは同じ事である。やはり、原初に立ち戻って真意を推し測る必要がある。イエスは実際の所、どのように思考し、どのように教えと説いたのか? それが何よりも重要である。それ以外に、興味はない。

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 ラマースは、当時の世界にあって、希有の部類に属するのであろう。常に何時の時代にもこのような真偽を弁える人物はいるモノだ。それが本物の人間である。かの宗教大国インドであっても、そうでない者は多い。特権階級に属する者は特にそうなる。安住するからである。

 仏陀が、無学文盲の比丘(びく)、比丘尼(びくに)達に法を説いた意味が分かる。所詮は、陋習に囚われた特権階級の者には真実はひびかない。その状況がよく分かる。


 

 ユダヤ少年は四年間ジャガンナス寺院に滞在した。一日彼は僧侶たちのなかに坐って質問した、「どうか階級(カースト)制度についてのお考えを述べて下さい。どうしてあなたがたは万人が神の前で平等でないと言うのですか。」


 ひとりの律法教師は立って言った、「われらがブラマ(絶対者)と呼びまつる聖なるお方は、御自分に適するように人間を造り給うたから、今更人間は不平を洩らすべきではない。

 

 人類の原始(はじめ)に、ブラマが口を開くと、四人の人々がその面前に現われた。


 その時、パラブラマ(超絶対者)の口から第一の人間が出た。色白くてブラマ自身に似ていたからバラモンと呼ばれた。彼は背が高く上を仰ぎ、何の要求もなかったから、労働の必要もなかった。

 彼はバラモン僧と呼ばれ、地上一切のことに対してブラマを代行する聖者であった。

 二番目の人は赤色で、ブラマの手から出て、刹帝利(セテリー)と呼ばれた。彼は王、続冶者また武人となるよう造られ、その最高の任務としての義務は、僧侶の保護者となることであった。

 第三の人はパラブラマの内蔵から生れ、吠舎(ヴァイシャ)と呼ばれた。彼は黄色で、土地を耕作し、牧畜に従事するのがその任務であった。

 パラブラマの足から四番目の者が出て、色は黒く下級なもので、首陀(スドラ)と呼ばれた。首陀(スドラ)は奴隷で、人から尊敬される権利なく、伏陀(ヴェッダ)聖典の読経を聞くことさえ許されず、僧や王の顔を仰げば死を意味し、苦役の身分からのがれるためには、死ぬる外ない。」


 イエス、「それでは、ブラマは正義公正の神ではない。何となれば彼は自分の手で、勝手に人を高くしたり、低くしたりするからだ。」


 それ以上イエスは彼らと語らず、天を仰いで言った、

 「過去、現在、未来にいまし、聖手(みて)のうちに正義公正の秤(はかり)を握り給うわが父神よ、限りなき愛をもてあらゆる人間を平等に造り白色、黄色、赤色、黒色の人々が、等しく御顔を仰ぎて、われらの父神とあがめさせ給う。あなた人類の父よ、聖名(みな)をほめまつる。」


 僧侶たちはイエスの言葉を聞いて怒り出し、一斉に突進して彼を捕えて危害を加えようとした。しかしこの時、ラマースは手をあげてこれを制して言った。「ブラマ僧たちよ。気をつけなさい、無茶なことをするんでない。この少年の拝する神を知るまで待つがよい。わたしがこの少年の祈っているのを見ていると、太陽の光が彼をとりまいた。気をつけるがよい。彼の神はブラマより強いかも知れない。イエスの言うことが真理であり、それが正しいなら、これを無理に拒むことはできない。もし彼が誤り、あなたが正しいなら、彼の言葉は空しくなる。正義は力であって、最後に勝つだろうから。」


 そこで僧侶たちはイエスに危害を加えようとすることはよしたが、そのうち一人は口を開いて言った、「この神聖な処で、この無謀な若者はパラブラマに無礼をしなかったか。律法は明白にブラマをそしる者は死すべしとある。」


 ラマースはイエスの命乞いをした。そこで僧侶たちは縄の鞭をとって、そこから彼を追い払った。


 イエスはそこを去って、黒人と黄色人、召使いや耕作者の間に身を寄せた。彼は先ず人々に平等の福音を伝え、人類の同胞なること、神は父なることを語った。人々は喜んでこれを聞き、「天にいますわれらの父よ」と祈ることを覚えた。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第六部 インドでのイエスの生活と行動

第二十四章 ブラマ教の階級(カースト)制度の教義。イエスこれを斥け、人問平等を教える。僧侶怒って彼を追い出す。首陀(スドラ)と共に住みて教える。

1)ユダヤ少年は四年間ジャガンナス寺院に滞在した。

2)一日彼は僧侶たちのなかに坐って質問した、「どうか階級(カースト)制度についてのお考えを述べて下さい。どうしてあなたがたは万人が神の前で平等でないと言うのですか。」

3)ひとりの律法教師は立って言った、「われらがブラマ(絶対者)と呼びまつる聖なるお方は、御自分に適するように人間を造り給うたから、今更人間は不平を洩らすべきではない。

4)人類の原始(はじめ)に、ブラマが口を開くと、四人の人々がその面前に現われた。

5)その時、パラブラマ(超絶対者)の口から第一の人間が出た。色白くてブラマ自身に似ていたからバラモンと呼ばれた。

6))彼は背が高く上を仰ぎ、何の要求もなかったから、労働の必要もなかった。

7)彼はバラモン僧と呼ばれ、地上一切のことに対してブラマを代行する聖者であった。

8)二番目の人は赤色で、ブラマの手から出て、刹帝利(セテリー)と呼ばれた。

9)彼は王、続冶者また武人となるよう造られ、その最高の任務としての義務は、僧侶の保護者となることであった。

10)第三の人はパラブラマの内蔵から生れ、吠舎(ヴァイシャ)と呼ばれた。

11)彼は黄色で、土地を耕作し、牧畜に従事するのがその任務であった。

12)パラブラマの足から四番目の者が出て、色は黒く下級なもので、首陀(スドラ)と呼ばれた。

13)首陀(スドラ)は奴隷で、人から尊敬される権利なく、伏陀(ヴェッダ)聖典の読経を聞くことさえ許されず、僧や王の顔を仰げば死を意味し、苦役の身分からのがれるためには、死ぬる外ない。」

14)イエス、「それでは、ブラマは正義公正の神ではない。何となれば彼は自分の手で、勝手に人を高くしたり、低くしたりするからだ。」

15)それ以上イエスは彼らと語らず、天を仰いで言った、

16)「過去、現在、未来にいまし、聖手(みて)のうちに正義公正の秤(はかり)を握り給うわが父神よ、

17)限りなき愛をもてあらゆる人間を平等に造り白色、黄色、赤色、黒色の人々が、等しく御顔を仰ぎて、われらの父神とあがめさせ給う。

18)あなた人類の父よ、聖名(みな)をほめまつる。」

19)僧侶たちはイエスの言葉を聞いて怒り出し、一斉に突進して彼を捕えて危害を加えようとした。

20)しかしこの時、ラマースは手をあげてこれを制して言った。「ブラマ僧たちよ。気をつけなさい、無茶なことをするんでない。この少年の拝する神を知るまで待つがよい。

21)わたしがこの少年の祈っているのを見ていると、太陽の光が彼をとりまいた。気をつけるがよい。彼の神はブラマより強いかも知れない。

22)イエスの言うことが真理であり、それが正しいなら、これを無理に拒むことはできない。もし彼が誤り、あなたが正しいなら、彼の言葉は空しくなる。正義は力であって、最後に勝つだろうから。」

23)そこで僧侶たちはイエスに危害を加えようとすることはよしたが、そのうち一人は口を開いて言った、

24)「この神聖な処で、この無謀な若者はパラブラマに無礼をしなかったか。律法は明白にブラマをそしる者は死すべしとある。」

25)ラマースはイエスの命乞いをした。そこで僧侶たちは縄の鞭をとって、そこから彼を追い払った。

26)イエスはそこを去って、黒人と黄色人、召使いや耕作者の間に身を寄せた。

27)彼は先ず人々に平等の福音を伝え、人類の同胞なること、神は父なることを語った。

28)人々は喜んでこれを聞き、「天にいますわれらの父よ」と祈ることを覚えた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION VI<o:p></o:p>

VAU<o:p></o:p>

Life and Works of Jesus in India

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CHAPTER 24<o:p></o:p>

The Brahmic doctrine of castes. Jesus repudiates it and teaches human equality.
The priests are offended and drive him from the temple.
He abides with the sudras and teaches them.
<o:p></o:p>

FOUR years the Jewish boy abode in temple Jagannath.
2) One day he sat among the priests and said to them,
Pray, tell me all about your views of castes; why do you say that all men are not equal in the sight of God?
3) A master of their laws stood forth and said,
The Holy One whom we call Brahm, made men to suit himself, and men should not complain.
4) In the beginning days of human life Brahm spoke, and four men stood before his face.
5) Now, from the mouth of Parabrahm the first man came; and he was white, was like the Brahm himself; a brahman he was called.
6) And he was high and lifted up; above all want he stood; he had no need of toil.
7) And he was called the priest of Brahm, the holy one to act for Brahm in all affairs of earth.
8) The second man was red, and from the hand of Parabrahm he came; and he was called shatriya.
9) And he was made to be the king, the ruler and the warrior, whose highest ordained duty was protection of the priest.
10) And from the inner parts of Parabrahm the third man came; and he was called a visya.
11) He was a yellow man, and his it was to till the soil, and keep the flocks and herds.
12) And from the feet of Parabrahm the fourth man came; and he was black; and he was called the sudras, one of low estate.
13) The sudras is the servant of the race of men; he has no rights that others need respect; he may not hear the Vedas read, and it means death to him to look into the face of priest, or king, and naught but death can free him from his state of servitude.

14) And Jesus said,
Then Parabrahm is not a God of justice and of right; for with his own strong hand he has exalted one and brought another low.
15) And Jesus said no more to them, but looking up to heaven he said,
16) My Father-God, who was, and is, and evermore shall be; who holds within thy hands the scales of justice and of right;
17) Who in the boundlessness of love has made all men to equal be. The white, the black, the yellow, and the red can look up in thy face and say, Our Father-God.
18) Thou Father of the human race, I praise thy name.
19) And all the priests were angered by the words which Jesus spoke; they rushed upon him, seized him, and would have done him harm.
20) But then Lamaas raised his hand and said,
You priests of Brahm, beware! you know not what you do; wait till you know the God this youth adores.
21) I have beheld this boy at prayer when light above the light of the sun surrounded him. Beware! his God may be more powerful than Brahm.
22) If Jesus speaks the truth, if he is right, you cannot force him to desist; if he is wrong and you are right, his words come to naught, for right is might, and in the end it will prevail.
23) And then the priests refrained from doing Jesus harm; but one spoke out and said,
24) Within this holy place has not this reckless youth done violence to Parabrahm? The law is plain; it says,
He who reviles the name of Brahm shall die.

25) Lamaas pled for Jesus' life; and then the priests just seized a scourge of cords and drove him from the place.
26) And Jesus went his way and found shelter with the black and yellow men, the servants and the tillers of the soil.
27) To them he first made known the gospel of equality; he told them of the Brotherhood of Man, the Fatherhood of God.
28) The common people heard him with delight, and learned to pray, Our Father-God who art in heaven.
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【続く】


不思議な少年!! その24

2009-04-22 18:24:44 | 物語

ウドラカの教訓!!


 イエス、インドでの精力的な修行。どんな天才でも、一日でならずと言うことだ。常に、偉大な教師も、謙虚な修行が伴うと言うことは、仏陀でも同じ事とで、納得出来る。それは、何を教育するか、誰を教育するかと言うことを考えればよく分かる話である。


 すべてのことには意味がある。イエスを神格化する必要はない。イエスの偉大性は、神格化で完了しない。

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<2004年11月1713:09パチリ!地震雲と当時思ったが、ケムトレイルか?>

 

 さて、イエスは友人ラマースと共に、オリッサ全地やガンジス河の渓谷を巡歴し、首陀(スドラ=奴隷)、吠舎(ヴァイシャ=百姓)、及び教師たちから智恵を学ほうとした。

 ガンジス河のほとりにあるベナーレスは、文化、学術の盛んな都で、ここに自分たち二人の教師は数日間逗留した。イエスはインドの医術を研究しようと志し、インドの医師の第一人者ウドラカの弟子となった。ウドラカは水、土、植物、寒暑、日光とかげ、光と暗の用法を教えた。

 彼は言う、「自然の法則は健康の法則です。この法則に従って生活すれぱ、決して病気にかからない。この法則に反することば罪で、罪を犯せば病気になります。この法則に従えば、身体各部の均衡を保ち、これによって真の調和を保証します。調和は健康・不調和は病気。

 人間の身体各部の調和をつくるものは医薬であり、これで健康が保証されます。

 身体は絃楽器(ハープシコード)で、絃が張りつめたり弛みすぎたりすれぱ、楽器は調子はずれとなり、人間は病気になります。

 さて、自然界の物象はすべて人間の要求に応ずるように出来て居るから、それはすぺて医療の秘薬になります。もし人間のの絃楽器が調子はずれとなれぱ、自然界の広い範囲内には、何か治療の手段が見つかり、すべての肉体の疾患(しっかん)に対する療法があります。 勿論、人間の意志は最上の医薬であるから、意志を強く働かせれば、弛んだ絃を張り、張りつめた絃を弛めることとなり、従って自分でいやすことも出来ます。

 人間が神と自然と自分を信ずる域に達すれば力(パワー)の聖言(みことば)が分かります。その聖言はすべての傷の鎮静剤(バーム)となり、生命のすべての病気をいやします。治療者とは信仰を起させ得る人。口は人の耳に語りはすれど、魂は魂に語る魂によって伝達されます。魂の大きな人は力ある人。その人はほかの魂のなかに入り、希望なき者に希望を与え、神、自然、人間に対する信仰なき者に信仰を起させます。

 普通一般の人々に対して共通する万能薬はありません。

 不調和を引き起こし、人々を病気にするものは、その種類甚だ多く、人を健康にするものも、多種多様です。甲に薬となるものが乙には毒となるから、甲はほかの者を殺すかも知れぬ物によって助かります。或る薬草は甲を癒し、一杯の水は乙を癒し、山門の清風は絶望と思われた者を生かすこともあろう。炭火や土塊(つちくれ)で癒される人もあり、流水や溜(たまり)水で身を洗って健康になる人もあろう。

 手や息から発する効験(ききめ)は能く千人を癒すでしょうが、愛は女王です。愛に強められた思想は神の景上の良薬です。しかし、生命の切れた絃や、いたく魂をくるしめる不調音は多くは目に見えぬ空中の悪霊のしわざで、人の無智に乗じて自然と神の法則を破らせます。これらの力(パワー)は悪魔のような働きをして語り、人の心をかき乱し、絶望におとしいれます。

 しかし、真の治寮者は魂の師であって、意志の力によって、これらの悪魔を抑えることが出来ます。及び教師たちから智恵を学ぼうとした。空中の霊には人力だけではどうにもならない強い者が多くあります。しかし、より高いところに保助者があり、これに祈願すれば人間を助けて、悪魔を追い払ってくれます。」

 以上がこの名医の語ったことの要領であった。そしてイエスはこの大師の叡智を認めて頭を垂れ、深く感謝してそこを立ち去った。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第六部 インドでのイエスの生活と行動

第二十三章 スーラヴアイシヤ首陀(スドラ)、吠舎(ヴァイシャ)の間に交わるイエスとラマース。ベナーレスでイエス、ウドラカの弟子となる。ウドラカの教訓。


1)さて、イエスは友人ラマースと共に、オリッサ全地やガンジス河の渓谷を巡歴し、首陀(スドラ=奴隷)、吠舎(ヴァイシャ=百姓)、及び教師たちから智恵を学ほうとした。

2)ガンジス河のほとりにあるベナーレスは、文化、学術の盛んな都で、ここに自分たち二人の教師は数日間逗留した。

3)イエスはインドの医術を研究しようと志し、インドの医師の第一人者ウドラカの弟子となった。

4)ウドラカは水、土、植物、寒暑、日光とかげ、光と暗の用法を教えた。

5)彼は言う、「自然の法則は健康の法則です。この法則に従って生活すれぱ、決して病気にかからない。

6)この法則に反することば罪で、罪を犯せぱ病気になります。

7)この法則に従えば、身体各部の均衡を保ち、これによって真の調和を保証します。調和は健康・不調和は病気。

8)人間の身体各部の調和をつくるものは医薬であり、これで健康が保証されます。

9)身体は絃楽器(ハープシコード)で、絃が張りつめたり弛みすぎたりすれぱ、楽器は調子はずれとなり、人間は病気になります。

10)さて、自然界の物象はすべて人間の要求に応ずるように出来て居るから、それはすぺて医療の秘薬になります。

11)もし人間のの絃楽器が調子はずれとなれぱ、自然界の広い範囲内には、何か治療の手段が見つかり、すべての肉体の疾患(しっかん)に対する療法があります。

12)勿論、人間の意志は最上の医薬であるから、意志を強く働かせれば、弛んだ絃を張り、張りつめた絃を弛めることとなり、従って自分でいやすことも出来ます。

13)人間が神と自然と自分を信ずる域に達すれば力(パワー)の聖言(みことば)が分かります。その聖言はすべての傷の鎮静剤(バーム)となり、生命のすべての病気をいやします。

14)治療者とは信仰を起させ得る人。口は人の耳に語りはすれど、魂は魂に語る魂によって伝達されます。

15)魂の大きな人は力ある人。その人はほかの魂のなかに入り、希望なき者に希望を与え、神、自然、人間に対する信仰なき者に信仰を起させます。

16)普通一般の人々に対して共通する万能薬はありません。

17)不調和を引き起こし、人々を病気にするものは、その種類甚だ多く、人を健康にするものも、多種多様です。

18)甲に薬となるものが乙には毒となるから、甲はほかの者を殺すかも知れぬ物によって助かります。

19)或る薬草は甲を癒し、一杯の水は乙を癒し、山門の清風は絶望と思われた者を生かすこともあろう。

20)炭火や土塊(つちくれ)で癒される人もあり、流水や溜(たまり)水で身を洗って健康になる人もあろう。

21)手や息から発する効験(ききめ)は能く千人を癒すでしょうが、愛は女王です。愛に強められた思想は神の景上の良薬です。

22)しかし、生命の切れた絃や、いたく魂をくるしめる不調音は多くは目に見えぬ空中の悪霊のしわざで、人の無智に乗じて自然と神の法則を破らせます。

23)これらの力(パワー)は悪魔のような働きをして語り、人の心をかき乱し、絶望におとしいれます。

24)しかし、真の治寮者は魂の師であって、意志の力によって、これらの悪魔を抑えることが出来ます。及び教師たちから智恵を学ぼうとした。

25)空中の霊には人力だけではどうにもならない強い者が多くあります。しかし、より高いところに保助者があり、これに祈願すれば人間を助けて、悪魔を追い払ってくれます。」

26)以上がこの名医の語ったことの要領であった。そしてイエスはこの大師の叡智を認めて頭を垂れ、深く感謝してそこを立ち去った。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION VI<o:p></o:p>

VAU<o:p></o:p>

Life and Works of Jesus in India

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CHAPTER 23<o:p></o:p>

Jesus and Lamaas among the sudras and visyas. In Benares,
Jesus becomes a pupil of Udraka. The lessons of Udraka.
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NOW, Jesus with his friend Lamaas went through all the regions of Orissa, and the valley of the Ganges, seeking wisdom from the sudras and the visyas and the masters.
2) Benares of the Ganges was a city rich in culture and in learning; here the two rabbonis tarried many days.
3) And Jesus sought to learn the Hindu art of healing, and became the pupil of Udraka, greatest of the Hindu healers.
4) Udraka taught the uses of the waters, plants and earths; of heat and cold; sunshine and shade; of light and dark.
5) He said,
The laws of nature are the laws of health, and he who lives according to these laws is never sick.
6) Transgression of these laws is sin, and he who sins is sick.
7) He who obeys the laws, maintains an equilibrium in all his parts, and thus insures true harmony; and harmony is health, while discord is disease.
8) That which produces harmony in all the parts of man is medicine, insuring health.
9) The body is a harpsichord, and when its strings are too relaxed, or are too tense, the instrument is out of tune, the man is sick.
10) Now, everything in nature has been made to meet the wants of man; so everything is found in medical arcanes.
11) And when the harpsichord of man is out of tune the vast expanse of nature may be searched for remedy; there is a cure for every ailment of the flesh.
12) Of course the will of man is remedy supreme; and by the vigorous exercise of will, man way make tense a chord that is relaxed, or may relax one that is too tense, and thus may heal himself.
13) When man has reached the place where he has faith in God, in nature and himself, he knows the Word of power; his word is balm for every wound, is cure for all the ills of life.
14) The healer is the man who can inspire faith. The tongue may speak to human ears, but souls are reached by souls that speak to souls.
15) He is the forceful man whose soul is large, and who can enter into souls, inspiring hope in those who have no hope, and faith in those who have no faith in God, in nature, nor in man.
16) There is no universal balm for those who tread the common walks of life.
17) A thousand things produce inharmony and make men sick; a thousand things may tune the harpsichord, and make men well.
18) That which is medicine for one is poison for another one; so one is healed by what would kill another one.
19) An herb may heal the one; a drink of water may restore another one; a mountain breeze may bring to life one seeming past all help;
20) A coal of fire, or bit of earth, may cure another one; and one may wash in certain streams, or pools, and be made whole.
21) The virtue from the hand or breath may heal a thousand more; but love is queen. Thought, reinforced by love, is God's great sovereign balm.
22) But many of the broken chords in life, and discords that so vex the soul, are caused by evil spirits of the air that men see not; that lead men on through ignorance to break the laws of nature and of God.
23) These powers act like demons, and they speak; they rend the man; they drive him to despair.
24) But he who is a healer, true, is master of the soul, and can, by force of will, control these evil ones.
25) Some spirits of the air are master spirits and are strong, too strong for human power alone; but man has helpers in the higher realms that may be importuned, and they will help to drive the demons out.
26) Of what this great physician said, this is the sum. And Jesus bowed his head in recognition of the wisdom of this master soul, and went his way.

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【続く】