窯に入れる作品を
急遽沢山作らなければならなくて
Yさんにお手伝いを頼んだ。
Yさんはなにしろ ひとつの作品を作るのに いっぱい時間をかける人なのです こういう手の込んだ作品 Yさんの真骨頂 今回は がんばってくれて 一日に3個も スープカップを 作ってくれました
私はいつもの雑な仕事ぶりで
皿やらどんぶりやら4個作りました
これで
電気を無駄にせず焼成に入れるでしょうか
後もう少し欲しいところですが
武蔵も私も
この後予定が詰まっていて作品を作る暇がありません。
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作業しながらのお喋りで、
私が若者だって頃のことを思い出しました。
(想像してください、私が可愛い10代終わりの頃!へへへ)
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私には人懐こいところと
人見知りするところと
混在してますが
人見知りだった頃
「御茶ノ水美術学院」という画塾の老舗のところがあるんですが
そこに通って
絵のお勉強中
そこには
当時の今風の若者がわんさか
せいぜい10人ぐらいの自分の仲間以外は
口も利けず、目にも入らない
そういう女の子で
いくら若者が山盛り居ても
私には関係ない路傍の石だったのです。
だって
どこのだれだか
どういう人かわからない
奇妙な若者群は怖かったのかな。
気心の知れた人としか口も利けなかっただけでしょ。
それでも
その路傍の石の一人と
後に職業人になってから知り合い
その石が、当時の私のことをよく覚えていて
傍から見ると
話しかけられないオーラが出ていて
ツンとした女の子だったんだってさ。
その路傍の石の彼とは
職業人になってから
親子映画の会という
よい映画を子供たちに見せようという会で一緒に活動したのです。
財政困難で会がつぶれそうに苦しかったとき
ポスターは手作りのシルクスクリーン版画で作ったンだけれど
それを上映会場で
実演販売をやって
飛ぶように売れて
儲かったのよ!
そのときの映画は
「鯉のいる村」でした。
その物語作者の岩崎京子さんも含めて
鯉のいる村を訪ねるツアーにも参加しましたっけ
そこが、中越地震の山古志村だったんですよねえ。
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おばあの思い出はどんどん、ひもとかれて行きます。
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さて、今日はKINU洋画会で
水戸近代美術館に
国民文化祭の絵画展に行きます。
(今年は茨城、来年は静岡です)
私の絵もあるのよ。
これが描き途中の絵よ あっちこっち描き途中ばかりね 仕上げたのを写真撮るの忘れた 今日会場で撮ってくるからまた見てください。
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