おばさんに木炭トラックって知ってる?
と、聞いたら
「知ってる」
昔はバスもな、木炭で走った。
と言う。
ここ田舎には、飛行場通りというのがある。
戦争中飛行場があり
少年飛行隊の教育が行われた場所らしい。
そういう地区なので
裏に住んでる
おばさんの従弟は特攻隊の生き残りなんだな。
近くにそういう軍事施設があったので
空襲は激しかったそうで
田んぼ(ここから東の低地にある)では
見通しが良過ぎって
逃げ惑う大変さを話してくれる。
軍用木炭トラック、こういう風に良く知ってる人が見て
なんじゃこれ?
という絵を描くわけには行かない
で、また調べた
こりゃ、
かっこよすぎかなあ。
調べるうち
韓国人被爆者の方の手記に出くわし
読みふけってしまった。
広島文学館のなかの1ページらしい
長い文章ですが
お時間のあるとき
お読みになることをお勧めします。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/hlm-society/ISungi.html