遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

抜糸した手

2009-04-20 22:14:33 | ブログ

Imgp4018

垢じみて汚い手でごめんなさい

明日は洗いますからね

検索で

手根管症候群の手術をした人のブログを見つけた

なんと

久さんと繋がってる人で

ひろ@奈良先生が色々コメントを書いてて

参考になる

この人も左手から手術した

車の運転についての記事など

そうそう!

ということしきり。

右手だとエンジンキーが回せないのね

運転できないデーが左より多そうだ。

できることできないことの記録があって

参考になる。

指の運動

この方は私と同じ

術後12日目の記録を書いている

私もレタスはちぎれない

でもじゃんけんのチョキはできる

左手ではカメラのシャッターは押せない

 

なるほど

こういう風に回復するのかと

実に嬉しい

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エンゴサク

2009-04-20 19:30:40 | ブログ

Enngosaku

他のブログで

エンゴサクの花の写真を見たら

この絵を載せたくなった

 

抜糸した今日の手術したほうの手のしびれ具合

中指がかなりびりびりが残っている

親指人差し指薬指の半分は

かなり改善

 

手根管症候群は

手術以外にどう治療するのかネットで調べた

寝るときは手首を固定すると言うのもあった

右手にギプスをくくりつけて

昼寝

(ここのところ異常に眠る)

起きたとき

とても楽

手根幹の恐れのある人は早めに

手首の安静を図るといいと思った

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抜糸したぞ~~!

2009-04-20 13:18:53 | ブログ

Imgp4015

抜糸したので手を洗えない日は今日で終わり

手術した左手よりも

右手の痛みがつらいと訴えたものの

包帯ぐるぐるで

安静にしていたし

何もせず待ってたから

診察時は痛くなく

どう痛んでたか忘れた

帰宅して一寸家事をやったら

親指と人差し指の付け根

小指側に近い手首のくぼみ

ここが痛いんだった。

手術後の宛て木タイプのギプスを宛てて手首の安静を図ると楽

先生にそう言ったら

それはいい考えですって

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日本語は日々亡びていくが

2009-04-20 05:30:23 | ブログ

私、言葉は意味と音だと思っていたけれど

文字のたたずまいもあるのね。

1239568813

言葉の話に

この画像って凄くない!?

翻訳のすばらしさよ!

英語の詩を

白秋が日本語にし

その文字と言葉の響きを

花てぼさんが

書で表す!

それを、ブログのお友達が

銀座のあの場所で

時をずらして感じあった

その空気の中にそれぞれがたたずんでいたのよね。

 

言葉はこうして生きているわ。

 

でも

日本語は日々亡びていく

Imgp3553

これが読めなーい

って前に書いたっけね

武蔵のおじいちゃんがモグモグ読んでいた和綴じの漢字ばっかりの本!

読めないもん

そうやって

たかだか祖父母の世代の言葉の世界は私たちの世代では死んでいる。

「たけくらべ」なんか、今の子供には

翻訳が必要な古典なのよね。

優れた古典は

暗誦させては音を楽しませ

勿論授業の中では

翻訳し子供同士でも味わいあい

そうやって

伝えていきたいね

 

オトナだってそうよね

 

朗読の会で

泉鏡花なんて読んでみたりして

そういうときをもてるのって

幸せなことだねえ

 

私は英語には偏見がいっぱいあるから

「てやんでえ、こちトラ江戸っ子だい。おかしくって

英語なんかしゃべるもんけェ!」

啖呵を切りたい長屋の熊子だけれど

 

実際には

コミュニケートするのに英語は使うよね。

 

フランス人は英語はしゃべらないと思いこんでいたけれど

実際には凄いフランス語なまりで

英語をしゃべって何やかや教えてくれる人がいたし

 

韓国から来た日本語を知らない若者と

韓国語を知らない私が

しゃべるときは

中学生程度でも英語だったということもあった。

 

田舎のおばちゃんだと

英語でしゃべるったって そんな程度だけれど

仕事や学問で

意味を通じあわせ伝えるのに英語はますます

普遍語になると思う。

 

でも

文学の言葉は

私には日本語よ!

 

言葉は意味と音とたたずまいと

何よりも

イマジネーション!(ここで想像の世界というのではなくイマジネーションというのが悲しい)

 

「江戸っ子は宵越しの金は持たない」

こういうとき

翻訳するには

江戸の長屋の暮らしぶりを語らなければならないわね。

言葉が持つそういう

脳みその中にパチパチ伝わり広がるシナプスに働きみたいなもの

それは

母語よ

私が仮に文学的表現者になったとしたら

使う言語は

母語よ  日本語よ

どの地域で暮らす人もそうでしょう?

でも

その日本語が日々変質して

日々滅んでいっているのも事実だわ

 

だから 分かり合い

感じあう

翻訳の仕事って

とても素敵

 

私のイメージでは

フランス語は特別

今 英語が普遍語になってきているように

かつてフランス語はヨーロッパではそうだった?

ロシア文学を読むと

教養ある人や上流階級って

フランス語を使ってたでしょ

 

コメディーフランセーズは美しいフランス語を

永遠にするための特命を帯びてると思っていたし

そういう端正なフランス語を

すべてのフランス人が話し

英語なんか わかっても話さないと思っていた。

 

ところが

「赤い橋の殺人事件」を読むと

牡蠣売り女 というのが特別な意味を帯びて出てくる。

 

ぼてふり 

というと、下町の暮らしを生き抜いた庶民の商売

日本人ならイメージできる

 

そういう感じで

牡蠣売り女といえば  

牡蠣を売る女というだけではなく

パリの下層社会の女の暮らし

そこで使われるのは

端正なフランス語なんかじゃない!

聞いただけでお里が知れる

ってやつだ

とわかって

 

パリの街が

突然立体的に見えてきた。

 

母語で綴る文学を世界の人とともに読むって

そういうことでしょ

 

だから

日本文学が英語に翻訳されるようになって

ノーベル賞ももらうようになったとしても

英語で日本文学が書かれることにはならない。

 

日本語の中に

やたら英語が入ってきてるということはあってもね。

 

 

 

コメント (4)
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