遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

ホホホ

2010-11-03 21:36:27 | ただの記事

C0119197_629368

ゆすらうめさんに

この絵をいただいた

ホホホ

やはり私は美人

もう鏡は見ないわ

皆さんのおっしゃるとおりよ

 

ありがとうございます

 

さて

今日は 二本松に行こうかな 遠くに行きたいなと思ったの

ジパング倶楽部のカードも持って  新幹線に乗ろうと思った

ゆすらうめさんが眺めた山々を見ようかと思ったの

あの山四つ 登ったことがあるのよ

死ぬかと思った

でも

北の空は雲が多そう それで 50号線を ひたすら西に走った

1103

このピンクの 線が走破した道

一日ドライブでした

まず佐野藤岡インター ここかあと くぐって

足利へ

おばさんは足利にお嫁に行って

「田舎はいや!」と舞い戻った

深川女に田舎は耐えられなかった

私は耐えてるぞ 偉いぞ

 

足利学校は横目で見て  ひたすら渡良瀬川の源流を目指した

桐生から山に向かう

 

ともかく初めての道だけれど なんだか飯能の奥と似た感じ

 

温泉もあるから入りたいが 日が暮れては困るしな

草木ダムというところにでた

星野富弘美術館もあったが  よらない

草木湖のまわりをうろついた

Img_0029

左の奥に見えるダムのあたりから

一枚スケッチした

それは

ギャラリーにアップした

水彩絵の具を滲ませてね  その絵具の濃淡と

筆の線で絵を描きたいと思ったけれど

滲みの効果が自在に扱えない

ちょっとのまに描くんではなく

お泊りもして何日も山と向き合って描いたら  楽しいかもしれない

紙は最初に湿らせるといいかもしれない

プレゼントに頂いたスケッチブックはまだ手に入ってないので

ちゃちな紙で描いた

絵具をはじくところが ちょっと気に入らない

 

和紙に描くのもいいかもしれない

 

そこから北上すると足尾鉱山から  日光に抜けるらしいので

北を目指した

足尾から 山の木の色が変わる

足尾の木は気のせいか色が変 そういう木なのかな

 

そこをぬけると  紅葉が進んでいく

日光に出たのはいろは坂の下なんだが

それでも  紅葉に出会えたという感じよ

うっかり日光市内に向かう道に入り込み  渋滞

バックして高速に乗った

 

東北道はどこで降りればいいのかわからないが

北関東自動車道とつながって水戸行の道があるようなので

それだなと思ったが宇都宮を出て鹿沼栃木

ええ!!

どこ行っちゃうの?

結局ぐにゅうっとまた北に戻って上三川 真岡 ここで降りた

真岡のプールに行くときの道だ

 

鬼怒川をまたわたって戻り

川島のプールに寄った

 

今日は 手も硬直するし ももも硬直するし  足も 足の三里のところの筋肉も硬直

何回も泳げなくなり 歩けなくなり

温めてはもみほぐし

それでも4エクササイズは運動した

 

満足な一日であった 

 

7日にはまた水戸に用があり遅くなるから

夜高速を走れない私は一人お泊り  ルンルン

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

67才

2010-11-03 05:32:21 | ただの記事

はい 今日が私の誕生日です。

だから今日は文化の日です。

だからって  なに?

食欲の秋ばかりやってないで ちったあ 文化的におなり

という意味です

 

さて

今朝寝床で  67歳の父母を思ってました

父は自ら命を絶った 前の年です

ほとんど寝たきりの病人でした

 

私に対して執念深い愛情を注いでいた父に

結婚することにしたと告げた年で

あっさり よかったな といい 武蔵を気に入ったようで

へえ!??

と思ったものですが

 

執念深く 自分の病に執着していて その他のことは眼中になかったのかも

 

私の結婚式にはもちろん出たいとも思わず

母も病気の自分を置いてどこにも行くな

結婚式に参列はさせませんでした

 

まったく 自分ばっかり好きな親父!  と思いましたが

考えてみれば そっくりな  私

血は繋がらなくとも

育てれば子は似るものです

その似た形質は遺伝さえすると

私は信じてます

 

母は 当時浦安に住んでいましたが 透析生活で

これまた病人でした

体重は40キロを切って がりがり

それでも病院の看護婦さんに減量を指示され

心胸比が下がらないと 命が危ないと脅かされてました

母はわたしとちがって ストイックな人でしたから

食事制限もちゃんと守っていたのに

大きくなった心臓は小さくなりませんよ

 

わたしは ひたすらその看護婦さんが病人に対して

ひどい!  と 内心怒りまくってました。

 

減量に苦しむ遺伝子をもらったのですね

そもそも母の病気は私が生まれたときの

ひどい妊娠中毒症のせいですし

 

67歳のわたしは 両親よりずいぶん健康です

母より長生きできるでしょうか

 

母が死んだ年まであと4年です

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする