我が家から土浦へは
筑波山のすそ野を回っていきます
稲刈りの済んだ後の田圃
暑かった今年は
刈ったあと 稲が伸びて
実もついてる
それは
鳥たちのごちそうです
すすきもきれい
義姉はいくら断っても
御馳走を山盛り作ってくれます
揚げたてを食べさせたいからと
席にもつかず
シェフしっぱなしです
大体武蔵の姉たちは
働き者で 集まったりしても
ゆっくりする人はなく
せっせと おさんどん お給仕に飛び回り
手伝わなくちゃ と 私が立ち上がると
「いいのよ 則子さんは座ってらっしゃい」
と 別扱い 私だけが女の中でお客様で 居心地が悪いのです
でも まあ話は弾んで
おばさんと 義姉は 共通の思い出がいっぱいあります
この田舎の家は農家ではないものの 田圃や畑があって
それは 女の仕事
おばさんの嫂は 病弱な人で農作業も家事もほとんどできない人で
おばさんとお母さんとおばさんが 最初は農事はこなしていた
おばさんが東京に働きに行った後は
武蔵の姉たちが農事に駆り出された
田圃から家へは坂を上って帰ってくる
荷車をおして上がるのがつらかった 朝日坂
「でっかい 握り飯を食わせるから頑張れ」と
おばあちゃんに励まされたって(おばあちゃんはおばさんの母親)
麦踏も半端じゃない労働で
焼き芋作ってやるから 踏め と命じられ
「焼き芋いらないから 麦踏なしにしよう!」と騒いだ
幼いころの 義姉
食べ物がなかった頃
田圃道を歩いて
村田というところにあるおばあちゃんの実家(ここは大きなお百姓さん)に泊りがけで
豆だの芋だのもらいに行った話
そういう少女時代を過ごした
おばさんと 義姉です
私は その話を聞くと 童話の世界かと思ってしまうぐらい
昔話のようです
武蔵や義姉たちは この田舎に戦争中縁故疎開をし
終戦直前に武蔵の父は死んでしまって
姑は 女手一つで5人の子供を育てたのです
姑の実家とはいえ 嫁に出たものの肩身は狭く
それは 苦労したのです
そういう世界の人が
私を嫁に迎え
(私は全然 嫁に来たと思ってない)
仰天させてきたのですわよ あああ
ところで
たくさんのお料理はもちろん食べきれず
山盛り お土産に頂いてきました