遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

 真円の音

2011-01-13 22:08:54 | 朗読

</object>

今日の朗読講座で

朗読の発声の方法に四季メソッドというのがある

教わった

明瞭に言葉を伝える一つの方法として

母音をはっきり発声しそれに子音を乗せていく

 

それと同時に先生がしてくださったお話

ピアノの音はふつう二等辺三角形だが

真円に音を作るというの  !!

江戸さんの音を生で聞いたことがないから

よくわからないけれど

ミケランジェリの演奏を聴いたときの

音が硬質な宝玉が空間に散らばり飛び交う感じだったのを思い出した

朗読の声も

相手に伝わるには大きければ伝わるかというと

そういうことではないと

 

音が粒だって  というようなことを考えた

 

昨日は

私が色の階調階調と騒ぐわけがわからん

と言われたが

そういうのは

真面目な話  騒ぎたくなるほど連動してる

色と音は関係が深く  数量化できるような話だと思うけれど

音が三角か 丸か  って その丸まり方の求心力の強さとかって

考えてみると分かりやすい

別に共感覚ではなくても

色・形・音 共通のスケールがあるんだなあと思った一日でした

この記事がわけわからん人は

上のミケランジェリの音を聞いてくださいな

こんな 音は宝石でしょう

絶対フェルト玉ではありません

 

わかりやすいでしょ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初 かがやきの会

2011-01-13 19:33:39 | 朗読

Amagasa 今日は初 朗読講座

3月の朗読会のための練習にご指導をいただいた

中に

川端康成の「雨傘」を

お読みになるお友達がいる

 

淡い恋のお話

(私が読むのもだけれど・・・)

フフ

このお話に出てくるような気持ちって

いまどき

あるかしら?

と思った

 

このお話は

前に練習したこともあり

HPにも載せたことがあったつもりでいたが

・・・

なかった

この切り絵は  そのために作ったんだのに

(もっとも いろいろなところで流用してあるけれど)

 

もう一つ 印象的なお話「一つだけ」とせがむ小さい女の子の話

その子のお父さんは 出征していく

ひとつだけ・・とねだってももうおにぎりは  ない

お父さんは  駅の隅っこに咲いていたコスモスを

「一つだけね」と上げるのだけれど

もう二度とその親子は会えない

お父さんは戦争に行くのよ

というセリフが バンザイ  と合わせて言われるのね

お父さんは戦争に行く

って  殺しに行く  殺されに行くのに

バンザイなんだよね

わが親もそうやって 妻のおなかを見ながら  戦争に行って

二度と帰ってこなかったんだよな

もちろん私は知らない

でもお母さんは

そのことを ちゃんと覚えていただろうな

お父さんは死ぬ時そのことを思っただろうな

たくさんのお父さんが  そうやって戦争に行って

二度と帰ってこなかったんだと思い

私は そういう風に思う最後の世代かあ

と考えながら聞いていた

 

さて

私のお話 私があんまり嬉しそうに読むもんだから

5a6a8dc1

もうちょっと 抑えなくちゃ と言われた

でも 読んでいるともう

 羊飼いの幸せが乗り移ってしまう

「キャラ丸出し?」

はい

精進いたします

先月で著作権きれたから  今度練習を聞いていただきましょう

 

ともかく 朗読って

自分の頭の中にイメージを作り上げ

お聞きくださる方の脳裏にイメージを描いてもらわなければいけません

それが

どうしても 自分ペースになるので

早すぎます  と  なるのです

文章を書くときもそうだな

だいたい

自分ペースで書き飛ばすから

わかりにくい分なのかもしれない

 

さて

その後

昼食会

私 ワタリガニのパスタランチ 食べちゃった

おやつもいろいろ・・・・・・

 

ああ

どうにでもなれ!

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琳派

2011-01-13 08:52:19 | 日本美術

Img285 だいぶ

江戸時代がわかってきた

ただ

社会情勢だの政治情勢だの

経済のことだのはわからない

 

絵画のことが

分類して

頭に入ってきたということ

 

だいたい

やまと絵と漢画って

どこがどう違うの

といまいちわからなかったが

漢籍の

教養のない私には

わからないのが

漢画だ

アハハ

われながらおかしな理解だ

 

でも

江戸時代の教養人というのは

その属する階層によって 繰り広げる世界が違い

それぞれ交流もあったということのようだ

教養人というからには 経済的に あるいは身分的に

アッパーな層の文化だから

江戸時代に私がいたら

縁のない世界

私の世界は 民芸の世界だな

禅画というのは縁があるかも

でも  現代に生きる私には禅がなんだかわからない

 

上の画像は 養源院の宗達の杉戸絵

京都に行くたびたいていは養源院に寄るから

何回も見てる絵だ

 

考えてみると すごいぶっ飛んでる絵だよね  これ

琳派って 意匠というかデザインの斬新さというイメージだったけれど

光悦  宗達と考えると 京都の町衆の進取の土壌

そういう近代化の背景があるのに違いない

江戸の経済力ある商人階級の台頭って頭にあったけれど

京都はまた 

なんというか自治意識の高い近代都市のエネルギーみたいなのを感じるけれど

何しろ  歴史的教養がなさ過ぎてわからない

 

光悦  とくると 書と絵画の関係もやっぱりあるんだわ

この

琳派の構図構成って

書の文化が背景にあるからこそなんだろうなあ

 

ほかの江戸の絵画もその平面性とか構成とか

こういう発想は

書の文化があったからという気がする

漢字の国の 絵には共通するんだろうか

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする