遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

「プレシャス」

2011-01-20 22:54:36 | 映画

この映画  見た

人間にとって

一番大事なのはなんだろと

考えさせられた

自己の尊厳  何に拠って立つことができるのか

教育にとって一番大事なのは何か

全く愛がなかったら 本当に人間は荒廃してしまうんだろうか

識字能力をつけて行くことで

意識化し表現させ という教育が示されてる映画だった

それについて

いろいろ意見のある人もいるようだ

 

わが子たちが受けた教育

表現を通して育てる という風に育ってきた子らを思うと

それによって自己の尊厳を勝ち得ていくというプロセスがあるな

と思ってきた

愛についてもそうだな

表現されたことを通して

人は繋がるんだからな

このプレシャスは実父に性的虐待を受けて

二度も出産するんだが

この父親はなんだ

映画には父親を掘り下げては 出てこないけれど

映画で母親を演じた女優さん(「この人がアカデミー賞を受けたのね)

この方自身 お兄さんの性的虐待を受けたって

 

私は それは許せない

そういうことがあることが許せない

 

女をなめてんのか 殺人鬼になるくらい腹が立つ

実際あるんだな 

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毛糸で描く絵

2011-01-20 21:12:30 | 絵画

1101201_thumb_2だいたい

私は手が早く

絵を描くのが早い

ところが

毛糸でこういう風に絵を描く気分で

ちくちくやってると

恐ろしく

1101202_thumb_2時間がかかる

それって 結構新鮮な感覚

 

 

 

 

1101203_thumb   

時間がかかる

オートマティック描法というか

この間読んでいた本には

芸術家で

芸術Img_0259至上主義の考え方だと

芸術が何かの役に立ったら

不純

という考え方もあるらしい

私なんかすごく不純だから

毛糸で絵を描いて

それが絵で

そして暖かかったら  いいや

と思う

 

前に

絵はインテリアじゃないんだから

っていImg_0286う話も聞いた

 

でも

壁画にしろ

何にしろ

純粋絵画って

なんだ?

 

彩友会の次回の課題

抽象画

って

こういう風に毛糸を編むうち

オートマティックにできてくる

ものを

絵にするのは可能だ

 

でも

私は

Img_0285_2いろいろ

構図 というのを 

その課題で

やってみたいんだが

 

 

この間のコラージュ

それは

↓の大塚先生の

絵のように

写真(何かが映っている)

とか

既成の画像とか

そういうものを

組み合わせて

意外な世界

幻想的な世界

そういうものを

創出するという課題だったみたいだ

下の写真はサキコさんのブログから泥棒した

1305224334

 

 

 

 

 

 

  これがサキコさんの途中の

1311224348 ここからどうしたらいいんだろう

って

私にはイメージがないからわからない

この手のコラージュって

よくわからない

困っていた

 

でも  中学生だと うれしそうに

たとえばよ

バイク好きの子なんかだと バイクが主人公で

どんどん画像を作る

 

もう オタクの世界というか

 

今日

テレビを見ていたら 舞台装置!と考えると

私にもこの手のコラージュできそう

やってみるかな

 

という風に

私の発想は

純粋芸術から見ると すごく不純  でもそれで面白いんだが

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納豆が!

2011-01-20 12:03:42 | 食べ物

今朝

あの うまい納豆どうした?

と聞かれ

すっかり忘れて外に置きっぱなしだったのを思い出した

Img_0342らあ

干からびちゃった

もう食べられなくなっちゃったかあ?

干からびたのをつまんで お口にポイ!

 

うま!!!

 

私は干し納豆は食べないが

元の納豆がおいしいと

こんなにおいしいのかとびっくり

きゅうりと 炉辺漬け切って混ぜて食べた

これもおいしいが

これらはあられに切ってチーズもあられに切って

あえて食べると いいな きゅうりの歯ざわり

炉辺漬けの塩味 チーズはそもそも納豆とは  ハトコぐらいだし

今日は チーズが  もうない

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遊園地

2011-01-20 09:38:51 | ただの記事

東京ディズニーランドがNEWアトラクションだって

テレビが騒いでる

遊園地で記事を描くと世相が見えてくる

そういう話を昨日 ラジオが言ってた

 

遊園地なんて

私たちの世代は関係ないと思ったが

私の幼児期の遊園地は豊島園 それもウォーターシュート

そのくらい

と思ってた

後楽園遊園地に行ったのは

富山からいとこたちが遊びに来たとき

東京に遊びに言ったら後楽園と浅草のSKDのショー?

とねだってたらしく

私はお供で

初めてそういうところに行った(中学生の時)

東京タワーも30代になるまで行ったことがなかったし

向ケ丘遊園地というのは遠足で行った

親にも連れて行ってもらったことはあるかもしれない

 

さて 親になって

わが子供を遊園地に そう連れて行ってはいないが

わが子ら 初・遊園地は後楽園

保育園が近かったからね 遠足で

園から連れて行ってもらってる

 

彼らが小学生のころはディズニーランドのそばに住んでた

 

でも

ディズニーランドには連れて行かなかった

「!お金を払って遊ばせてもらうようなの  つまんないよ

それより キャンプ!」

という親だったが

すごく批判された

批判者は ディズニーランドのチケットをくれた

 

もちろんケチな主婦だから

切符は無駄にしない

ディズニーランドに行った

 

ほとんど コンピューター制御のアトラクションだ

でも

ディズニーランドのそばにいていかないという格好つけは

崩れたので

飽きるまで 行こう  と せっせと通い

実際 飽きた

 

これは

近くの子供たちにもみられる

 

よく 学校の 卒業遠足は ディズニーランドに連れて行く

内訳を言えば 引率教師は楽チンなイベントだ

ほったらかしてて心配ない

先生は どこかで 居眠りもできるくらい

受験指導にくたびれ果てた教師にはもってこい

 

ああ

暴露した

 

で よく見ると もうディズニーランドに飽きてる生徒は

アトラクションには見向きもせず

一日 ゲーセンに入り浸ってるのがいる

 

これ 私が浦安近くの学校に勤めてた時の

本当の話

 

メリーゴーランドなどは 大きくなると

そう乗りたいほどワクワクするものではないけれど

眺めるのはいいな

↓はドイツのだそうだ  きれいね

15

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 だんだん謎が解けてきた

2011-01-20 07:21:43 | ブログ

きのう

Yアトリエで見せてもらった本 ぱらぱらめくるうち

読みだした

「またあ 読むんだからァ」と言われた

たいてい図版しか見ないって

だいたい美術関係の本の文字は読むとむかついてくることが多い

理屈ばっかりこねたって

分かりゃしない

そういう感じ

 

私はよ

 

Yさんがどうかは知らない

 

山梨俊夫大先生の文章はいまだにわからない

腹が立ってくる

 

でもこの頃 やたら読む

なぜかというと長年抱えてきた謎が 解けてきた感じなのだ

 

私が将来美術に関係ある方向で生きていこうかなと思ったのは

1960年のことだ

コップの中の空気は描けないもんだなあ

描くという世界は 面白そうだなあ

と思ったのが運のつき

 

結局 私には才能が足りなかったな わかんない世界だ

挫折して

美術教育の世界に横滑り

 

それっきり

若いころの謎は放置

 

1960年代 今美術史をひもとくと 新しい動向模索して

世界中で芸術家がうごめいていた

それが

私の眼には 自己を確立するために

へ理屈こねて 相手を攻撃しているだけ

そこに何のうれしいものも見られない

思った

 

コップの中の空気が描けないのは相変わらずで

目の前の空間や色や形の謎のほうが面白かったし

 

年取ってから 5歳くらい年下の武蔵美出身の女性と知りあったら

「私は 抽象画しか描かない」というが

どういうふう絵を描いてきて

初老まで来たんだろう? 謎だ

と思ったが 深くは追及しなかった

一見親しくはしても

言語は通じ合わないお友達だったし

絵は見せてくれなかったし

 

抽象画を描きたいという気持ちは全く想像がつかなかった

Img298マレーヴィチの正方形だって

私には

ここまで来ると

ニヒルだなあ

と思う

   

 

 

右の絵は

アド・ラインハートという人の

こうなると

好きだ

なんだろう?

私は 古い人間なんだろうな

絵の中に

音楽的なものや

語りかけてくるものがないと

反応できない

現代絵画の理屈っぽい(勝手にそう思ってるだけか)のは

苦手

そう思ってきたけれど

 

見るほうも作るほうも

時代を生きているんだと 思った

1960年からしばらく 都市の景観は変わっていった

今じゃああまりないけれど

カーテンウォールというような

ガラスぴかぴかの建造物が増えて

技術革新 資本主義の発展 そういう時代に沿って

芸術もうごめいていたんだ と なんとなく納得

空間を走り回る高速道路と

抽象画と 気分は似ている

 

非対象画というけれど (ラインハートの絵だってそうだ)

視覚的に対象があるかどうかではなく

絵画は時代を写しているんだなあと

ようやく 納得

そして 一つの絵の中には新しいものと古いものが同時にあるんだ

 

ポスト印象派展以来 だんだん現代に向かってきたようで

まだ 第一次大戦と第二次対戦の間の美術ばかり見てきて

それまでいろいろ知らなかったから 新鮮に面白いと思うけれど

ちょっと待てよ ちょっと古臭いかもと思う瞬間がよくある

 

大正モダンのものを見て 新しいねえ と思うと同時に

親たちの世代の古臭さを感じるみたいな

 

全く美術史の知識と関係なく

素朴な自分の感性で 好きと嫌いで いいとは思う

それで

なんだかよくわからないポロックだって  好きなんだから

Polloc13

でも

理屈をこねてくると

ポロックは

シュールレアリストたちの

オートマティック絵画の延長上にいる

厳しく幾何学的な形のこだわる人には

それなりのわけが

なるほど

あるのか  とややわかった

でもそういう抽象表現は  今や 全然現代的ではないのね

世間を見渡すとおばさんの眼には

なんとも

ポップなものが氾濫して見える

 

今の若い感性には こういうの? って

他人事 

面白かったり可愛かったりはするけれど

お派じゃないわ という気がする

 

抽象画描きたい気持ちはわからなかったんだから

70過ぎればポップなものも身に染みてわかるかもしれないけれど・・・

250pxtottenham_court_road_stn_centr こんな

タイルの壁画

すごく好きだけど

 

 

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