遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

夕方の一撃

2011-05-04 20:27:59 | ただの記事

夕方の地震は背中をドンと衝かれた感じだった

え!?何?という感じ

震度1

 

ところで

昔は震度は数字ではなく漢字を表す言葉だったって

激震(7)  烈震(6)  強震(5)  中震(4) 弱震(3) 軽震(2) 微震(1)

確かに こういう名前で習った覚えがある

 

温泉でよく会うおばさんのお嬢様が仙台にお嫁に行って

半年もたたないうちに被災してしまったとおっしゃる

津波にあったのではないが

おうちは壊れて 瓦礫になってしまったって

気象庁の発表は震度7は栗原市だけだったけれど

東北工大の調べでは 仙台も震度7のところがあったようだ

それに ある店のガラスは粉々に割れ

隣は何ともなかったり

まるであみだくじのように揺れ方に違いがあった

とも記事を書いている人もいる

大地のありようも均一ではないのだから

揺れの伝わり方も 均一ではないのだろう

建物やガラスが破壊される振動のタイプというのもあるらしい

 

いつも同じじゃないのだから

構えは 工夫しないといけないな

 

私の教訓 震災後は必ずスリッパをはいて移動

 

家なんかさ いまだにガラスの破片が全部片付いてない

若い画家のお絵かき場所なんかその場所の奥の棚から焼き物が落ちて

割れているままだし

手前がいつ片付くのかわからんし

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3和子さんへ  細密画の話

2011-05-04 19:48:37 | 和子さんへ

20080620s2前に 

オルハン・パムクの 「わたしの名は紅」

Orhan Pamuk Benim Adım Kırmızı

という本を読んで

細密画のことを

ヨーロッパの絵画との関連で

何か考えたことがあったのを思い出したけれど

中身は

忘れてしまいました

その本のことを書いたのが↓のアドレスです

http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/06/post_a86b.html

この作家は ノーベル文学賞を取っているので

きっと

そちらの図書館にもあると思います

面白いので

お奨めです

細密画について

私が聞いたことがあったのは 世界史の授業で

チムール帝国でこの絵画が優れて発展した

中国の影響が大きい

と習っただけで

詳しいことは知らなかったのですが

そのことを覚えていたのは

たぶん 心惹かれたからだと思います

 

筆ですけれどね

日本画の筆は ものすごく細い線も引けます

たぶん 日本の筆を作る技術はとても優れているのかもしれません

私は水彩で絵を描くとき

日本画の筆を使います 微妙な表現も自在にできるからなのです

そういう筆 面相筆とか 削用の筆など 細い線も描けるのです

 

顔料は 世界中で うんと古代から絵を描くために使われてきたけれど

西洋にも フレスコとかテンペラとか顔料を使った細密画もあります

250pxpisanello_016 →のは

ピサネロの 板に描かれたテンペラです

 

日本の絵画は 

細密画とは言わないような気もするけれど

絵具は顔料を膠で溶いて

絹や紙に定着させます

 

私の息子は日本画の絵描きです

でも顔料はそうは使いません

コーヒーやほうじ茶も使います

色は 全然鮮やかではない絵です

 

でも

今 日本画といっても

色々あるし 物のとらえ方も いろいろで

和子さんがおっしゃるような 

透視図法的なパースペクティブ 

無視の絵とも違うものも多いです

ゴッホやモネや 印象派 ポスト印象派の画家に影響を与えたのは

浮世絵という版画が多い絵が有名でしたが

 

日本の絵画は 中国の影響を受けているけれど

東洋の絵画に遠近法がないかというと 独特のものの考え方があるようです

下のアドレスをクリックすると その東洋的な遠近のとらえ方について

書いた記事に行きます 

http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/art/2011/02/post_a6f0.html

 

でも 日本の浮世絵などの 平面性を強く押し出した絵画は

西洋の ルネサンス以降の 

透視図法的空間の呪縛から自由になろうという動きが出てきたとき

日本の絵画が 注目されたと思うのです

パリ万博などもあったりしてね

 

細密画 という視点で 絵画いろいろ考えるのは面白そうですね

 

さて 今そちらは朝ですねこれから病院でしょうか?

 

そうだ!

私も 日本画を何点か描きました

今はもう 日本画は描きません 

絵具を指で練るのが痛いのでできないのです 

下の絵が それです

この花は もうすぐ咲きだします

20080506ger

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波の謎

2011-05-04 14:35:41 | ただの記事

これまで 思い込んでいたことで

間違ってたことがいくつかある

津波の前のすごい引き波

あれは いつもそうではないんだ

押し波からきて いきなり来ることもあるらしい

津波が来たら海に逃げろ というのも間違った伝承だそうだ

わたしの父は関東大震災の時海に出て船に拾われ 沖に出て助かったから

私もそう思い込んでいた

これは

違うんだ

 

よく 地震の大揺れが 一分以上続くものではないから

揺れのひどい間は我慢

揺れが収まってから 火を消したり 逃げたりするように

と教わった気がする

 

しかし 揺れは 一分どころではなかった

東大のアニメーションで見たら 5分は揺れていたものな

 

でも 今のガスコンロは震度5で消える

 

これまで体験した地震は

確かに一分も揺れない

 

今まで一番記憶にあるのは 新潟地震なのだが

1964年の その時私は神田紺屋町にいた

新潟の地震がかなりの揺れで伝わったことに驚いた

地震の波ってp波とs波しか知らなかったがこのほかに

表面波というのもあるそうだこれが地球を回る

 

あと あまりにもゆっくりで人間が感知しない

けれど大きな揺れ 地球が揺れている

というような揺れもあるそうだ

 

地震は 波か

 そういえば 放射線て 光線の一種だとなんとなく思っていた

チェルノブイリの画像なんて奇妙な感光らしきフラッシュ状態のものが写っているし

 

でもα波ってヘリウムの原子核で

β―波って電子なんだよね

それって イメージは粒なんだけれど

やっぱり波なのか?

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黄砂お見舞い申し上げます

2011-05-04 12:45:51 | ただの記事

まるで砂嵐だと 東から行ったものが

申しておりました

 

地球のいろいろ

人間のスケールで対応できないことが

なんと 多いことか!

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和子さんへ

2011-05-04 09:51:28 | 絵画

今日は絵画について 興味深いお手紙をありがとうございます

これから おばさんを温泉に連れて行くところっで

辞書を引いてじっくり読むことができませんが

がんりょうにつても興味深く読みました

日本の絵画の歴史は

けっこう 見かけではわかりにくいことがたくあんあります

私は絵画についてもう一本ブログを書いているので

下のアドレスをクリックして ぜひ読んでください

http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/art/

下にスクロールするとカテゴリーが出てくるので

そのカテゴリーで日本の絵画についてかいてあるものを

クリックすると

関連する記事に行きます

ゴッホが日本の浮世絵の影響を受けたことを巡って

だいぶ前に展示もあって 見に行ったことがあります

日本の絵画の世界観は 西洋にも影響を与え

パースペクティブを転換するきっかけにもなったかもしれませんね

では

和子さんも 明日は病院でお忙しいですね

どうぞ ゆっくりお休みください

 

私も後で  じっくり書きます

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今朝はよく晴れている

2011-05-04 07:00:36 | ただの記事

夕べはわけのわからない雨だったが

 

朝一揺れ来た  あらら yayoyayobaの家あたりが震源

また 深さ五〇キロだわ

 

ここのところ ツイッターというものを読むのにはまっている

そろそろ飽きてきた

 

すごい 妄想としか思えないことを呟いている人もいる

地震兵器のことは あちこちで見るけれど

かなり広まっている噂なのか?

 

100ミリシーベルト/年 まで健康被害はない

というのから もう 早くそこを逃げ出せというのまで

いろいろな観点で いろいろ論じられている

 

飯館村の人々の話も読んだ

 

やはり 私ははた目でしか物事を考えていないかもしれない

 

住んでいた土地に住めなくなる というのは

大変なことだな

津波で根こそぎ奪われてしまって

土地が下がって 海が入ってきてしまった人だって

そこを 捨てることができない

皆 仮設住宅を立てる場所が大変なら

日本全国 どこにでも避難できるようにすれば

と思うのに

わが町に来た人たちも

福島に帰ってしまわれた

 

そういう状況で 何を基準に どう国民を守るか

政治の仕事 難しいなあと思う

 

一ミリシーベルト/年を当てはめたら  実際東京もかなり危ないのかな?

私のところは もう年にすれば一ミリになるぐらいには 行ってるな

武田先生という人は言うことはまともだと

私は思うが

茨城の人は 食べ物は一層気をつけないといけない

土地のものは食べてはいけない

水も飲んではいけない

というようなことを 書いている

そもそも放射線量は多いのだから

というわけだ

 

そう思うのに

自分のこととなれば このくらいは 老人は大丈夫

と思い

ここは北茨城よりはかなり数値も低いし

と思っている

 

でも 子供はな 子供の給食地産地消はだめ

それは そう思うよな

自分に関しては 安全方向にバイアスがかかる

という心理ってあるそうだ

 

いろいろな情報が錯そうしていると

自分ではここらが自分にとっての必要な事実だろう

適当なことを考えて落ち着く

 

皆そうなのかな?

 

池田信夫という人は 福島以外の人はがたがたヒステリーを起こすんじゃないよ

という

観点で ぜんぜん原発推進の人ではないのに

反原発の動きには すぐかみつく

 

自分の身に降りかからないと

人は傍観者で 強者の立場になってしまうものだなとも思う

で  自分の身に降りかかると 現実から目を背けるかもしれない

 

難しすぎる

 

でも 飯館村の人々は

放射能以上に 自分の判断を下すまでのストレスが

これは 大変なものだ

 

大事なのは やはり 情報を正しく 伝える

勝手に操作して隠さないことだ

 

インチキをすることがどれだけ人を傷つけることか

 

 

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