遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

今日は地震がないと思ったのにい

2011-05-07 20:47:47 | ただの記事

あれま ガタっと来たわ

Mbkar1 窓や障子がガタっとくる程度は

震度1なのね

M4.3 茨城沖

あ 昼間大きいのが会津であったんだ

私は車に乗ってて気づかなかった

 

今日は雨のせいか 筋肉が襤褸 感

怪しい本を見つけたので

読みながら寝よう

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今日は休日

2011-05-07 17:39:25 | ただの記事

おばさんと温泉に行こうとしていたら

土砂降りになって

梅職人をやりたかった武蔵も

里山行きを諦めて温泉にご同伴

 

今日は休日にした

それで

たっぷり昼寝した

 

さて 私 思い出すと 漠然と 日本は火山列島だから

地震列島なんだと思い

なんとなく 地震とマグマを結び付けていた

 

地震は プレートの破壊で起きるのよね

 

ぷよぷよの まだ冷え切っていない地球が

卵の殻見たいなプレートに包まれて

宙に浮かんでいて

その殻が ひびが入っていて罅のところはぶつかり合って

もぐりこんだり 盛り上がったり

で 海嶺というところで殻が生まれてきて

もぐりこんでいった殻が消滅していって

その上で はかない命を 

そんな はかないと言ったって わがスケールで見れば

いとしい人生を営んでいるわけか

 

その地球をイメージしてみたら その両極の

氷 溶け去ってしまうのか まだ 氷結も繰り返すのか

わからないみたいだ

 

宇宙から地球を見て

山崎直子さんは 美しいと思ったのは

そこに 人が暮らしている

自分につながる人の存在を感じたから美しいと思ったのかもしれない

と言っていた

 

地球って 宇宙で見ると 上のほうから見下ろすのではなく

こう  宇宙に浮かんでいるのを 目の当たりに 見るということだったのも

新鮮だったらしい

 

山崎さんは かなり被ばくするけれど

喜んで皆が握手してくるようで

そういう風に福島の人に接してください

と言っていた

 

それから

放射性物質は 物質なわけだから

山崎さんも 除染して 地球に戻るのでしょう

もしそういうものが身につく場所に行ったら 体をはたいたり

洗ったり するのも当然の作業でしょうって

 

そうよね

 

玄関回りなど よくたわしでごしごし洗わなければいけないのよね

まだ手につかないけれど

 

後 車の タイヤの裏側などは かなり線量は高くなるらしい

一度 徹底洗車する必要はある

 

なんか 放射性物質無くなるわけじゃないし 移動するだけじゃないかと思ったが

身近に置かないために

きれいにするのは大事なようだ

 

ひまわりは 放射性物質取り込む力があるって

ひまわりを育てようと言っても

そのひまわりどうするの?

と思ったが

原発のまわ里奈ろはひまわり育てて 刈り取って それを

原発跡地に持って行ってもらえばどうだ?

Au  

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「東京灰燼記」 大曲 駒村

2011-05-07 14:34:01 | 日本の本

31757709 やっと読み終えたよ

この著者は福島県相馬郡の出身

安田銀行浅草支店長として赴任してきた

その二年後に関東大震災に遭って

書いた記録

震災後

ともかく知者は歩き回ったらしい

それで せっせと書きまくっていたらしい

その様子を

御嬢さんが書いている

 

家のことは奥さんに任せ

当人は あちこち 鎌倉までも友人の安否を尋ね

東京中を歩き回り目にしたものを書きまくっていたのだ

 

印象深い言葉がいくつもあった

官民一体となって事に当たったことを

感激して書いている

 

救済のために東京にコメは集まって

余るほどだったそうだ

福島からも どうやってきたかと思う状況で

駆けつけてきたそうだ

 

一方どさくさに紛れて

暴利をむさぼるものもいたらしい

 

私たちもよく知る

朝鮮人 や 共産主義者を不逞の輩としてデマが飛ばされたことも書いてある

(デマとは書いてない)

不逞の輩なんか怖くない

憎むべきは 極端な個人主義者 我利我利亡者だと書いている

また

中国から多大の道場と金品の寄贈があったという

復興については  灰燼に帰した東京を理想の都市に

作り上げようと 取り組まれた ともある

 

近隣の被災状況についても描かれてあり

横浜は全滅辛くものがれた中に  海に逃れたもののこともあったが

その人たちは ひどい飢えに苦しんだそうだ

15歳の少年だった 父は 上に苦しんだのか?

もっとも  

父は恐ろしい小食で 

戦地でも 小食なため飢えの苦しみは味わっていないと言っていた

 

母は 壊滅的だった 深川にいたんだが 

どうしたんだ?

「赤ん坊だったから知らない」と

よく言っていた

 

おばさんは生まれていない

 

お姑さんは 東京のほうが赤く見えたんだよと言っていた

 

 

東京を 震度7が襲ったら 恐ろしい

 

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ツイッター

2011-05-07 09:43:36 | ただの記事

地震の時の安否確認に

わが家では役に立って

それ以来 ツイッターを見る味を占めた

ブログ友でツイッターやってるのは久子さんだけかな?

 

ブログだって

頭の中丸見えで まるで脳みそヌードなんだけれど

ツイッターは もっとすごいのね

読む相手をフォローだけするツイッターはじめようかと思うけれど

うっかり手は出せない感じがする

面白い人見つけてもすぐ忘れるんだもの

 

いろいろな人がいる中で

とりわけ 学者風の人って

自説を主張するために どんどんエスカレートしていくので

あれあれ  と思う

世の中には

大事なものが権力 権益 そういう人が指導者で困るなあ

と思うけれど

知的指導者の 自説の正当性に掛ける意地というのは

ときどき とんでもない世界にまで飛んでいく感じがする

やっぱり  ただの おばちゃん という立ち位置が

居心地がいい

学問というのも面白そうだと思ったけれど

手には負えない

 

話は変わるが

飯館村の老人施設の話をテレビで見て

頭の中に引っかかっている

そこにいるご老人には移動するほうが危険だと

私も思う

でもそこで働く人はまだ若いし館内にいるだけではないし

第一 物資が入ってこなくなるだろうし

館長さんの苦しみを思うと

本当にお気の毒だ

 

東電は 保養施設を老人施設に開放して

宿泊施設の中に職員の宿舎も作って

って 何か工夫はできないものか

 

それだって 環境が変わると お年寄りには 酷だし

 

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