明日も花描こうかな
ラジオがニコタマは洒落ているのが様になっている町
みたいなことを言っていたが
違和感を感じる
洒落ているのが様になっている風って
わたしには作り物めいて偽ものっぽい感じがする
そういう風に
東京の町は だんだんできてきたんだろうと思う
いかにも都会的で洒落たかんじを出している風なのに出会うと
違和感を感じる
もっとも そういう風に田園調布だって作られたんだろう
柴又だって 芝居の書割みたいだし
こういうのはたぶん暮らし方が変だからだ
ここに 私の原風景にある暮らしと似たものがある感じが全くしない
思い出すのは武蔵のお母さんが入院した
芝の病院 その界隈の裏手には
結構お年寄りが住んでいて
東京の庶民の暮らしが 残っているんだ!ここ
と思ったが 今もあるかどうかは分からない
千石(文京区)のあたりも
住宅の間を入っていると
ぽろっと空き地があったりして 井戸が残ったりしていたが
これももうないかもしれないが
そんなふうに開発を免れて残っているところには庶民的な暮らしの場としての
東京が残っているかもしれない
でもそれらは皆 消滅していく運命だろうし
松原の家みたいなものだな
中四日空いて久しぶりに温泉
今日は武蔵の剣道がないので
夕方になってから温泉に行ったら車は空いていたのだが
結構プールも混んでいて
お風呂も混んでいて
洗い場があくまで並んで待たねばならなかった
それがかなり堪えたみたいで
お風呂が混んでたから疲れた
もっと早く来ないとダメだ!と
ふくれている
少し立って待ってただけなのだが
かなり体力がなくなってきているのだろうなあ
明日はYアトリエに御呼ばれなのだが
早く帰ってきて温泉に連れて行かないといかんなあ
毎日縛られる日もやってくるだろうから
それを引き延ばすために
プール頑張ってもらおう!
ほらこの方102歳 美人さんでしょう!
奈良東大寺の大仏様が座っているハスの花びら
あれって創建当時のものが残っている
数少ない一つなんだけど
絵が 線彫りで描かれているのは見たことが
ある人はあるだろう
解説本には
蓮華蔵世界を 図解してあるけれど
私が目を付けたのは
螺髪(仏像のタニシみたいな天然パーマの塊)から
線がふにゅふにゅのびて
その先に菩薩様がいる
面白い
ほら 線が出てその先雲 その上に菩薩様がいる
象徴的表現と とった
毘盧遮那仏が思うことから
一つ 宇宙が生まれる
そういう感じ
曼荼羅だね
これも
仏教徒ではないのだけれど
仏教が描く宇宙観というのは
あまり科学知識がない私が
宇宙ってどういうものだろうと想像する
泡宇宙 とかという言葉を聞いて妄想することと
ものすごく
類似する
だから 仏像を見るのが面白くってたまらない
さて薬師如来だけど
この如来さんのいるのは東の宇宙
瑠璃光浄土 っていうんだって
名前を聞くと ↓ 瑠璃原石
宝石だあ!と よだれ
薬師如来さんの
菩薩時の
1.光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
2.随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
3.施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
4.安心大乗(世の外道を正し、衆生を仏道へと導く。)
5.具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
6.諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
7.除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
8.転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[2]。)
9.安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
10.苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
11.飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
12.美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す
この12の請願を立てたのだそうだ
もう欲深な衆生は喜んでついていきそう(8を除く)
12神将をお供にするのは この12の請願と関係あるのかな?
私が初めて立派な薬師如来を見たのは
中学の修学旅行で
薬師寺で
まあ美しかったこと
15歳の少女は感激した
光背の後ろからは覗き見られる穴が開いている
そういう穴は必ず見逃さない
で仰天
台座に 変な鬼みたいなのがいる
しかもおへそはハート形だ!
ほら 丸っこいけれどハート形に見えたのよ
中学生の私は
友だちを呼んで 見て見てこのおへそ!
とさわいだ
この鬼みたいなのは
インドの神話から来た十二薬叉というのだけれど
これが後に十二神将になるわけだ
ルドンはポーやマラルメ、ボードレールの詩をいろいろ絵にしていた
高校生のころはろくに訳も分からず
なんだか世紀末芸術っていい感じだと思って
あれは何だったんだろう?反抗期の高校生には世紀末芸術の
反逆的退廃的なのがかっこよく見えただけかもしれない
高校時代が世紀末的だったような
などと思いだした
が
私は語学的な資質に欠けていて
もう英語って苦手
勉強ができないのを英語のせいにしていた
(英語というのは言葉のありようからして気が合わないの!)
というよににやけくそ
よくできる子たちの読んでいいた
モームの「月と6ペンス」なんて書いてあることが気に入らない読むに堪えない!
と文句言ったり
然し
友だちが私の英語離れにとどめを刺す武器に
ポーの短編集?詩集をくれた
これならあなたにも読める
と
友だちだから私を読むこと 的確だった
ポーの文章は読むだけで音が表わすので
読める
そういう文だった
辞書など引くのももどかしい(辞書引きでとどまったら意味不明になっちゃう)
読み進めちゃう音の響きなのだ(黙読でも音が響く言葉の紡ぎ方があると
その時初めて知った)
文学史上(美術史上も)ポーの果たした役割なんか知らないけれど
ルドンを見てきてあれこれ思って
そんなことを考えた
↑ルドン 笑う蜘蛛
でも世界史的には現代に通じるんだろうなと思う
当時資本主義が勢いをまし
科学万能めいた世相
権威主義的な芸術界の硬直していたアカデミズム
とかに アンチ として沸き起こった芸術運動なのだろうから
資本主義はもうおしまいめいているよな 経済の破たん
科学万能に見えたけれど
全く手に負えない原発事故
そういう現代だものなあ
でも現代を思うと退廃的になんてなってられないよ?
話は戻るけど
ポーは音の紡ぎだすもので
私の言語能力の硬直を解きほぐしていった
それって とても音楽的なことだ
ルドンも音楽的環境に育っていて
自身かなりなバイオリン奏者だったようだ
(お兄さんは優秀な音楽家だったらしい)
ルドンの黒の階調 のちの色の時代に入っても
色の諧調の素晴らしさって 体が音楽でできていたからだろうなと思った
わたしは血管が細い
(体は太いのに)
いつも採血の時看護士さんが上手な人かどうか
かなりドキドキする
相手の看護士さんが内心やなのが来た
と思っていると感じてしまう
で
ヘーコラ謝る
「すみませんデブなくせに血管細くて」
看護士さんは優しくしてなければならないから
大丈夫ですよ~~~などと言っては
(こいつどこから刺しゃいいんだ~~???)
と思いながら
私の腕をひっくり返しとっ繰り返し触って
パンパン叩いて
血管を浮かそうとする
(デブだから血管が細いわけじゃないんだけど)
昨日は男の看護士さんだった
初めて見る顔
(うへえ へたくそそう!)
と思ったのも多分通じちゃったな
然し 大変だった
で 刺して血管に当たらなくて 中で針を動かして探っている
あ~やだやだ
でやっと血が出始めたんだけれど
すごくゆっくりしか出てない
そんなの初めて
もう不安になっちゃった
「え~~血出てますか?」
「すごく細いのにかろうじて当てましたからね
だいじょうぶですよ~~」
内心われながらよくやった
と思ってるんだろうなあ
あああ
採血名人に当たりたい!
5分間しっかり押さえて
って言われるけれど
荷物持って診察室に戻るんだからいつもこういう風に痣になっちゃう