これは途中の絵
描いているときに大塚先生が来て
私がルドンを見てきたこと
白の諧調について考えていたときにルドンを見たらすごかった
というお話をしたら
てっぺんのカンパニュラの花びらの線を指して仰った
ルノアールの模写の時にルノアールは輪郭線を線としては描かない
背景と人物の間の空気をモワモワと描くというように
お話していたのを思い出した
大塚先生の視点の中に輪郭線というものはこの世にはないぞ
というのが
大きな関心事かもしれない
そういう目で見たら
この輪郭線の稚拙さが浮き上がって見えたわけだ
そう考えて
輪郭線と視点を据えてみると
私のアジサイの絵は
皆輪郭線がうるさい
今年は
アジサイは
一つ一つの花(萼だそうだけど)の空間の中の位置関係をちゃんと意識して描こうと思っていたが
輪郭線
と気にならないように描くというのも課題にしようと思った
サキコサンは
花一つ一つの方に視点が行って描いていて
わたしは花びらを浮き上がらせるように描いていた
描く意識が反転すると面白いものだと思って
サキコサンに話したつもりでいるけれど
こういう話は
どのくらい相手に通じるのかわからない
彩友会でアジサイは飽きたみたいに言う人にあれこれ話しかけたが
わたしを見るまなざしは
うざそうだった
傍で描いていたI氏は
透明なグラスの存在感の希薄さを大塚先生に指摘されて
相当頭に血が上っていた
空気を描くって言ったってさあ!
私が コップの中の空気がかけねえええ!!!き~~~悔しい!
って荷が絵を描き始めた原点だ
と話したら
これまた そんなことありえない 描けるはず無いというような目で
見られ
あなたは描けるんでしょうよ!みたいな
嫌われ方をした感じで
空気を描きたいもんだ なんて そういうことを共有することはできなかった
もう
あんまり喋らないようにしようと思ったが
つい喋っちゃう
多分私の関心事は
写生はくだらない
というような考えかたからすると
多分すごくくだらないのだ
でも 私は自分の関心事が面白いのだからそれでいい
で
人が何に関心を持ってどういう視点でものを考えているのかは
興味はあるんだよな
っ知ってみると自分と違うところが
面白いことへの入り口だったりするからだ