永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(866)

2010年12月13日 | Weblog
2010.12/13  866

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(43)

 これらのお品物は、

「宮の御方にさぶらひけるに従ひて、いと多くもえ取り集め給はざるにやあらむ、ただなる絹綾など、下には入れ隠しつつ、御料とおぼしき二領、いときよらにしたるを、単衣の御衣の袖に、古代のことなれど」
――(多分)母君女三宮の許に有り合わせたままのを、そう充分にはお集めになれなかったのでしょうか、織ったままの生地で染めも練りもしない絹や綾などを下に納めて、
美しく仕立て上がった姫君たちのお召し料らしい二重ねが上に置いてあります。その単衣のお袖に古風ななされかたですが――

 お歌が添えてあって、

「さよ衣きてなれきとはいはずともかごとばかりはかけずしもあらじ」
――あなた方は私と馴れ親しんだことを否定なさるとしても、私の方では口実として言い触らさないとはかぎりませんよ――

 と、脅しじみた恨み事がしたためてあります。

 大君は、

「こなたかなたゆかしげなき御事を、はづかしくいとど見給ひて、御かへりもいかがはきこえむ、とおぼしわづらふほど、御使ひかたへは逃げかくれにけり。あやしき下人をひかへてぞ、御かへり給ふ」
――こちらもあちらも(ご自分も中の君も)薫に見られてしまい、奥ゆかしさのなくなってしまわれたことを、たいそう恥ずかしく思われて、大君はお返事をどうしたものかと、途方に暮れていらっしゃいます。そのうちにお使いの何人かは逃げ帰ってしまいました。賤しい下人を呼びとめて、やっとのことで、お返事を御言付けになります――

(大君の返歌)
「へだてなき心ばかりはかよふともなれし袖とはかけじとぞおもふ」
――あなたと親しく心だけは通わしましても、逢った仲だとはおっしゃっていただきたくありません――

 心も落ち着かず、思い乱れていらっしゃったからでしょうか、大君の返歌はまったく平凡で、待ちかねておいでになった薫は、急いで手にとってご覧になります。確かに大君のお心のごとくであったよと、薫もお気持をお受け取りになったのでした。

一方、

「宮はその夜内裏に参り給ひて、えまかで給ふまじけるを、人知れず御心もそらにておぼし歎きたるに」
――匂宮は、(今宵が中の君への三日目の夜になる)内裏に参内なさったのですが、すぐには退出もできそうになく、人知れず、心も空に気が気でなく、恨めしがっていらっしゃいます――

では12/15に。

源氏物語を読んできて(餅・餅鏡)

2010年12月13日 | Weblog
・餅の由来

「モチ」は民俗学でいうハレの日(非日常、とくに神祭など祝いの日)の食べ物で、稲作農耕の食文化の一つとして伝えられました。
 古い日本では「モチヒ」と言い、モチは糯もちごめ(粘りの強いコメ)や黐もち(ヒエなどをねって粘りをだしたもの)、「ヒ=飯」は穀物を煮たり蒸かしたりした食べ物のことで、その二つの単語を合わせた言葉です。また、「モチ」という言葉の由来は、モチヒを省略したものや、搗いたモチを満月(望もち月づき)のように形づくった(現在の鏡餅)からともいわれます。漢語の「餅へい」は小麦粉をこねて丸く平たく焼いた食品のことですが、日本では独自に「もち米などを蒸して搗いた食品」に限定しています。

餅鏡(もちひかがみ)
 平安時代には「もちひかがみ(餅鏡)」もしくは単に「鏡」といった。正月、餅を丸く平たく作り、二重、または三重に重ねて、飾り置く。歯固(はがため)の餅は食するが、餅鏡は食さずに見て安寧を祈るものであった。
 鎌倉・室町時代になってからは「鏡もち」という現在の名前になった。古くから鏡は霊力を供えたものとして扱われていて、餅は神聖な力がやどる食べ物とされていた。その餅を神の宿る鏡にみたてて形作ったのが鏡もちだといわれています。
お正月に飾る「鏡餅」は、訪れた年神が宿るとされ、「お供え餅」や「お雑煮」の習慣とともに現代に生きています。