2011.1/21 884
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(61)
「かう忍び忍びにかよひ給ふ、と、ほの聞きたるもあるべし。心知らぬもまじりて、大方に、とやかくやと、人の御上は、かかる山がくれなれど、おのづからきこゆるものなれば、人々『いとをかしげにこそものし給ふなれ。筝の琴上手にて、故宮の明け暮れ遊びならはし給ひければ』など、口々にいふ」
――(匂宮が山荘に)こう度々忍んで通われることを何となく耳にしている者もあるようですが、事情を全く知らない者も交じっていて、いったいに何やかやと人の噂は、このような山奥であっても自然に流れていくものらしく、世の人々は「姫君たちはたいそうお美しくていらっしゃるそうだ。筝の琴がお上手で、故八の宮が始終お稽古をおさせになられたそうで」などと、口々に言っています。
宰相の中将(元蔵人の少将・夕霧の子息)が歌を作られます。
(歌)「いつぞやも花のさかりにひとめ見し木の本さへや秋はさびしき」
――いつかも花の盛りに人目拝見した姫君たちまでも、父宮が亡くなられたこの秋は、寂しくお暮らしでしょうか――(木に子をかける)
と、薫を姫君方のゆかりの人と見て言いますと、薫は、
(歌)「桜こそおもひ知らすれさきにほふ花ももみぢもつねならぬ世を」
――咲きにおう花も紅葉もやがては散る無情な世の習いを、桜こそは思い知らせてくれます――
次いで衛門の督(宰相中将の兄・夕霧の子息)が、
(歌)「いづこよりあきはゆきけむ山里の紅葉のかげは過ぎ憂きものを」
――どこから秋は立ち去ったのでしょう、この山里の紅葉のかげは過ぎにくいほど美しいものを――
宮の大夫は、
(歌)「見し人もなき山里のいはがきにこころながくも這えるくずかな」
――かつて、これをご覧になった八の宮も既に亡く、この山荘の岩垣に気長にも葛だけは這いまわっていることよ――
と、中でも老いぼれているこの人は、泣いています。八の宮のお若い頃の世の中の事などを思い出しているのでしょう。
では1/23に。
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(61)
「かう忍び忍びにかよひ給ふ、と、ほの聞きたるもあるべし。心知らぬもまじりて、大方に、とやかくやと、人の御上は、かかる山がくれなれど、おのづからきこゆるものなれば、人々『いとをかしげにこそものし給ふなれ。筝の琴上手にて、故宮の明け暮れ遊びならはし給ひければ』など、口々にいふ」
――(匂宮が山荘に)こう度々忍んで通われることを何となく耳にしている者もあるようですが、事情を全く知らない者も交じっていて、いったいに何やかやと人の噂は、このような山奥であっても自然に流れていくものらしく、世の人々は「姫君たちはたいそうお美しくていらっしゃるそうだ。筝の琴がお上手で、故八の宮が始終お稽古をおさせになられたそうで」などと、口々に言っています。
宰相の中将(元蔵人の少将・夕霧の子息)が歌を作られます。
(歌)「いつぞやも花のさかりにひとめ見し木の本さへや秋はさびしき」
――いつかも花の盛りに人目拝見した姫君たちまでも、父宮が亡くなられたこの秋は、寂しくお暮らしでしょうか――(木に子をかける)
と、薫を姫君方のゆかりの人と見て言いますと、薫は、
(歌)「桜こそおもひ知らすれさきにほふ花ももみぢもつねならぬ世を」
――咲きにおう花も紅葉もやがては散る無情な世の習いを、桜こそは思い知らせてくれます――
次いで衛門の督(宰相中将の兄・夕霧の子息)が、
(歌)「いづこよりあきはゆきけむ山里の紅葉のかげは過ぎ憂きものを」
――どこから秋は立ち去ったのでしょう、この山里の紅葉のかげは過ぎにくいほど美しいものを――
宮の大夫は、
(歌)「見し人もなき山里のいはがきにこころながくも這えるくずかな」
――かつて、これをご覧になった八の宮も既に亡く、この山荘の岩垣に気長にも葛だけは這いまわっていることよ――
と、中でも老いぼれているこの人は、泣いています。八の宮のお若い頃の世の中の事などを思い出しているのでしょう。
では1/23に。