2011. 7/23 976
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(37)
「かくて後、二条の院に、え心やすく渡り給はず。軽らかなる御身ならねば、おぼすままに、昼の程などもえ出で給はねば、やがて、おなじ南の町に、年ごろありしやうに、おはしまして、暮るればまたえ引きよぎても渡り給はずなどして、待ち遠なる折々あるを、かからむとすることとは思ひしかど」
――(匂宮は)こうして六の君と御結婚の後は、二条院の中の君のところへは気軽にお出でになれないのでした。軽い御身分ではもとよりありませんので、思い通りに昼間などにはお出かけになれませんので、昼は夕霧と同じ六条の院の南の御殿に昔ながらにお過ごしになって、さて日が暮れたからといって、ここに居る六の君を打ち捨てたまま二条の院の中の君のところへお出かけになるわけにもいかない。そんな次第で、中の君は待ち遠しくお思いになる日々も多く、こういうことにいずれはなろうかとは思っていらっしゃったけれど――
「さしあたりては、いとかくやは名残りなかるべき、げに心あらむ人は、数ならぬ身を知らで、まじらふべき世にもあらざりけり、とかへすがへしも、山路わけ出でけむ程、うつつともおぼえずくやしく悲しければ」
――いざこうなってみれば、人の心はこんなにまでうって変るものなのか。なるほど思慮ある人は、つまらない身もかえりみず、高貴な人々の中に交わるものではない、とつくづくと思い知らされて、宇治の山荘を出られた時のことが正気の沙汰とも思われず、悔まれて悲しくて――
「なほいかで忍びてわたりなむ、むげにそむくさまにはあらずとも、しばし心をもなぐさめばや、にくげにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ、など、心ひとつに思ひあまりて、はづかしけれど、中納言殿に文たてまつれ給ふ」
――何とかしてそっと宇治に帰ってしまおう。無理に匂宮に背く風ではなくても、しばらく心を休めたい。面当てがましく振る舞っては具合がわるいでしょうが……などと、心ひとつには決め難く、今更恥ずかしいことながら、薫に御文を差し上げられます――
御文には、
「一日の御事は、阿闇梨の伝えたりしに、くはしく聞き侍りにき。かかる御心の名残りなからましかば、いかにいとほしく、と思ひ給へらるるにも、おろかならずのみなむ。さりぬべくはみづからも」
――先日の事は(薫が八の宮の追善供養を営んだ事を指す)、阿闇梨が知らせてくれましたので、詳しく承知いたしておりました。こうした昔を忘れぬ貴方の御好意が、もしもありませんでしたら、故人に対してどんなにか心苦しかったかと存じられますにつけましても、並一通りの感謝ではございません。直々に御礼申し上げたいのでございますが――
としたためてあります。薫は、
「陸奥紙に、ひきつくろはず、まめだち書き給へるしも、いとをかしげなり」
――陸奥紙(思わせぶりでない、実用的な紙)に、何の気取りもなく、真面目にお書きになっているのが、かえってまことに趣き深い――
と、ご覧になるのでした。
では7/25に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(37)
「かくて後、二条の院に、え心やすく渡り給はず。軽らかなる御身ならねば、おぼすままに、昼の程などもえ出で給はねば、やがて、おなじ南の町に、年ごろありしやうに、おはしまして、暮るればまたえ引きよぎても渡り給はずなどして、待ち遠なる折々あるを、かからむとすることとは思ひしかど」
――(匂宮は)こうして六の君と御結婚の後は、二条院の中の君のところへは気軽にお出でになれないのでした。軽い御身分ではもとよりありませんので、思い通りに昼間などにはお出かけになれませんので、昼は夕霧と同じ六条の院の南の御殿に昔ながらにお過ごしになって、さて日が暮れたからといって、ここに居る六の君を打ち捨てたまま二条の院の中の君のところへお出かけになるわけにもいかない。そんな次第で、中の君は待ち遠しくお思いになる日々も多く、こういうことにいずれはなろうかとは思っていらっしゃったけれど――
「さしあたりては、いとかくやは名残りなかるべき、げに心あらむ人は、数ならぬ身を知らで、まじらふべき世にもあらざりけり、とかへすがへしも、山路わけ出でけむ程、うつつともおぼえずくやしく悲しければ」
――いざこうなってみれば、人の心はこんなにまでうって変るものなのか。なるほど思慮ある人は、つまらない身もかえりみず、高貴な人々の中に交わるものではない、とつくづくと思い知らされて、宇治の山荘を出られた時のことが正気の沙汰とも思われず、悔まれて悲しくて――
「なほいかで忍びてわたりなむ、むげにそむくさまにはあらずとも、しばし心をもなぐさめばや、にくげにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ、など、心ひとつに思ひあまりて、はづかしけれど、中納言殿に文たてまつれ給ふ」
――何とかしてそっと宇治に帰ってしまおう。無理に匂宮に背く風ではなくても、しばらく心を休めたい。面当てがましく振る舞っては具合がわるいでしょうが……などと、心ひとつには決め難く、今更恥ずかしいことながら、薫に御文を差し上げられます――
御文には、
「一日の御事は、阿闇梨の伝えたりしに、くはしく聞き侍りにき。かかる御心の名残りなからましかば、いかにいとほしく、と思ひ給へらるるにも、おろかならずのみなむ。さりぬべくはみづからも」
――先日の事は(薫が八の宮の追善供養を営んだ事を指す)、阿闇梨が知らせてくれましたので、詳しく承知いたしておりました。こうした昔を忘れぬ貴方の御好意が、もしもありませんでしたら、故人に対してどんなにか心苦しかったかと存じられますにつけましても、並一通りの感謝ではございません。直々に御礼申し上げたいのでございますが――
としたためてあります。薫は、
「陸奥紙に、ひきつくろはず、まめだち書き給へるしも、いとをかしげなり」
――陸奥紙(思わせぶりでない、実用的な紙)に、何の気取りもなく、真面目にお書きになっているのが、かえってまことに趣き深い――
と、ご覧になるのでした。
では7/25に。