永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1054)

2012年01月15日 | Weblog
2012. 1/15     1054

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(25)

「ねびにたる様なれど、よしなからぬ様してきよげなり。いたく肥え過ぎにたるなむ、常陸殿とは見えける」
――(この北の方は)少し年とった様子ではありますが、風情がないというほどではなく、小綺麗な人で、ただひどく太り過ぎているところが、品が良いとは言えず、いかにも常陸殿(ひたちどの)と呼ばれるのにふさわしく見えます――
 
 その北の方が、

「故宮のつらうなさけなく思し放ちたりしに、いとど人げなく、人にもあなづられ給ふ、と見給ふれど、かうきこえさせ御らんぜらるるにつけてなむ、いにしへの憂さもなぐさみ侍る」
――亡くなられた宮様(八の宮)が、つれなく娘をお見棄てになられましたので、いよいよ人も相手にせず、世間からも蔑まされるのだと、恨めしく存じておりましたが、こうしてあなた様にお話し申し上げ、お目にかからせていただいたりいたしますと、昔の憂さもなぐさめられます――

 と、この長い年月の物語や、陸奥の守であったころの、あの浮島のあはれ深かった景色などもお話するのでした。

 そして、さらに、
「わが身ひとつの、とのみ言ひ合する人もなき、筑波山のありさまも、かくあきらめきこえさせて、いつもいつも、いとかくて侍らはまほしく思ひ給へなり侍りぬれど、かしこにはよからぬあやしのものども、いかに立ち騒ぎもとめ侍らむ。さすがに心あはただしく思ひ給へらるる。かかる程のありさまに身をやつすは、口をしきものになむ侍りける、と、身にも思ひ知らるるを、この君はただまかせきこえさせて、知り侍らじ」
――わが身ひとつの、とも物思いを打ち明ける人とてもなく、筑波山在住の事もこのようにはっきり申し上げまして、これからいつも、こうしてお側にお仕えしたい気持ちになりましたが、私の家ではろくでもない子供たちが、どんなに大騒ぎして私を探しておりましょう。やはりそのことが心配になりまして落ち着きません。こんな受領程度の妻に身を落とすのは残念なことであったと、わが身につけましても思い知らされました。どうかこの浮舟のことは、いっさいお任せして、私はもう係わり合わぬ事にいたしたいと思いますが――

 などと、身の不運をかこってお願い申しますので、中の君は、北の君の心中をお察しになって、ほんとうにそのとおり、浮舟を見苦しくないように過ごさせてやりたいとお思いになります。

◆わが身ひとつの=古今集「世の中はむかしよりやはうかりけむわが身ひとつのためになれるか」。拾遺集「大方の我が身ひとつのうきからになべての世をも恨みつるかな」

では1/17に。