永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1057)

2012年01月21日 | Weblog
2012. 1/21     1057

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(28)

 中の君は、お心の中で、

「さしもいかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ、なほ浅からず言ひそめてし事の筋なれば、名残りなからじ、とにや、など見なし給へど、人の御けしきはしるきものなれば、見もて行くままに、あはれなる御心ざまを、岩木ならねば、思ほし知る」
――それほどいつまでも姉君を忘れられずにいらっしゃるのかしら。やはりその昔、並々ならず思い寄られた手前、今になってすっかり忘れた風に思われはしまいか、との意味合いもおありか、とも思いますものの、薫の悲嘆さは傍目にもはっきりとしていますし、と、この薫を御覧になっているうちに、真っ直ぐなお心が、岩木ではない自分の身にも、しみじみと通ってくるのでした――

「うらみきこえ給ふことも多かれば、いとわりなくうち歎きて、かかる御こころをやむる御禊ぎをせさせたてまつらまほしく思すにやあらむ、かの人形のたまひ出でて、『いと忍びてこのわたりになむ』と、ほのめかしきこえ給ふを、かれもなべての心地はせず、ゆかしくなりにたれど、うちつけにふと移らむ心地はたせず」
――しかしまた、薫が中の君への募る想いを、それとなく仄めかして、恨み言をおっしゃるので、ほとほと当惑なさって、このような不条理な恋心を鎮める禊ぎのおつもりでありましょうか、あの人形(ひとがた=浮舟)のことをお話になります。「ただ今、忍んでこちらに泊まっておりますが」と、ちらっとお知らせになりますと、薫は浮舟に対してお心がさわぎ立ってこられましたが、急に軽々しく、中の君から浮舟に気持ちを移す気にもなれないのでした――

「『いでや、その本尊、願ひ満て給ふべくはこそ尊からめ、時々心やましくば、なかなか山水も濁りぬべく』とのたまへば、はてはては、『うたての御聖心や』と、ほのかに笑ひ給ふも、をかしう聞こゆ」
――(薫は)「さあ、そのご本尊が、ほんとうに私の願いを満たしてくださるようでしたら、有難いでしょうが、なまじご利益もなく、時折りあなたに対して心を悩ますようでは、折角の御本尊も、かえって煩悩の種になるばかりでしょう」とおっしゃるので、中の君は、「さても困ったご道心ですこと」と、ほのかにお笑いになるのを、几帳越しの北の方は面白く聞くのでした――

「いでさらば伝へはてさせ給へかし。この御のがれ言葉こそ、思ひ出づればゆゆしく」
――それでは、ともかくも、私の気持ちをそのままその人形にお伝えください。しかしあなたへの私の気持ちを、浮舟に譲ろうとの、逃げ口上は、大君があなたに譲られた事を思い出させますので、不吉な気がします――

 と、おっしゃりながらも、涙ぐんでいらっしゃる。

では1/23に。