永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1145)

2012年08月19日 | Weblog
2012. 8/19    1145

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その53

「われすさまじく思ひなりて棄て置きたらば、かならずかの宮の呼び取り給ひてむ、人のため、のちのいとほしさをも、ことにたどり給ふまじ、さやうに思す人こそ、一品の宮の御方に人二三人参らせ給ひたなれ、さて出で立ちたらむを見聞かむ、いとほしく、など、なほ棄てがたく、けしき見まほしくて、御文つかはす」
――ここで自分が浮舟を見限って棄て置いたなら、必ず匂宮が呼び寄せて仕舞われるだろう。宮はこの女の将来のためなどとは別に深く考えておやりにもなるまい。そういうふうな愛しかたをされた女を、御姉宮(匂宮の姉)の許に侍女として二、三人上げられたと聞いたが、あの浮舟がそんな女房になって宮仕えに出るのを見聞きするのも可哀そうだ、などとお思いになりますと、やはりそのままにはして置けないので、様子も知りたいとお思いになって文をおやりになります――

「例の随身召して御手づから人間に召し寄せたり。『道定の朝臣は、なほ仲信が家にや通ふ』『さなむ侍る』と申す。『宇治へは、常にやこのありけむ男は遣るらむ。かすかにて居たる人なれば、道定も思ひ懸くらむかし』とうちうめき給ひて、『人に見えでをまかれ。をこなり』とのたまふ」
――(薫は)例の御随身を人の居ない折にご自分でお召し寄せになって、「道定(大内記)の朝臣は、今もやはり仲信の家に通っているのか。(仲信は大内記の舅)」とお聞きになりますと、「そのようでございます」と申し上げます。薫が「宇治へは、いつもあの先日の男を使いにやるのだろうか。浮舟はひっそりと暮らしている女だから、大内記も私の物とは知らずに懸想するのだろうよ」と溜息をおつきになって、「人にみつからないようにして行け。見られては愚かしいからな」と仰せになります――

「かしこまりて、少補が常にこの殿の御こと案内し、かしこのこと問ひしも思ひ合はすれど、もの慣れてもえ申し出でず。君も下衆にくはしくは知らせじ、と思せば、問はせ給はず」
――御随身は畏まって、あの大内記がいつもこちらの殿のことを探り、宇治のことを尋ねたことも、そうだったかと思い合わせますが、馴ら馴れしく薫大将に申し上げる事も出来ず、また薫も下人の者に詳しい事情は知らせたくないとお思いになりますので、お訊ねにもなりません――

「かしこには、御使ひの例より繁きにつけても、もの思ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。『波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな。人に笑はせ給ふな。』とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ」
――浮舟のところでは、薫の使者がいつもよりしげしげとやって来るにつけても、あれこれと物おもうことが多いのでした。この御文には、ただこう書かれております。「あなたが心変わりする時分とも知らずに、私を待っていてくれるものとばかり思っていましたよ」私を人の笑いものにして下さるな」とありますのを、浮舟は、これはおかしなことを、と思いますにつけ、胸が塞がる思いです――

◆手づから人間に=手ずから人間(ひとま)に=人のいない折に

では8/21に。