2012. 8/25 1148
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その56
さらに、右近が、
「『宮も御志まさりて、まめやかにだに聞こえさせ給はば、そなたざまにも靡かせ給ひて、ものないたく歎かせ給ひそ。痩せおとろへさせ給ふもいとやくなし。さばかり上の思ひいたづききこえさせ給ふものを、ままがこの御いそぎに心を入れて、まどひ居て侍るにつけても、それよりこなたに、と聞こえさせ給ふ御ことこそ、いと苦しくいとほしけれ』といふに」
――「匂宮もご愛情が増してこられて本気におっしゃってさえくださるならば、そちらの言う通りになられて、あまりひどくお悩みなさいますな。くよくよして痩せ衰えなさってもつまらないことですもの。あれほど母上様が貴女さまを大事にしていらっしゃいますのに、乳母が(薫への)お引越しの準備に熱中して騒いでおりますにつけましても、それよりも先に匂宮が御自分の方へ引き取ろうと申しておられることが、実に御痛わしくお気の毒ですもの」といいますのに――
「いま一人、『うたておそろしきまでな聞えさせ給ひそ。なにごとも御宿世にこそあらめ。ただ御心のうちに、すこし思し靡たむ方を、さるべきに思しならせ給へ。いでや、いとかたじけなく、いみじき御けしきなりしかば、人のかく思しいそぐめりし方にも御心もよらず。しばしは隠ろへても、御おもひのまさらせ給はむによらせ給ひね、とぞ思ひえ侍る』と、宮をいみじくめできこゆる心なれば、ひたみちに言ふ」
――もう一人の侍従が「まあ、いやな、そんな恐ろしい程の申し上げ方はおやめなさいませ。何ごとも前からの御縁によるのではないでしょうか。ただ姫君がお考えになって、少しでも心の魅かれるほうへ、そうなる御縁だとお思いなされませ。それにしましても、まあ匂宮のご態度があまりにもご立派ぢしたので、皆さんがああして引越しの準備をしておられる薫の君の方には、お心が向かないのです。当分は身を隠してでも、ご愛情の深いお方ににお定めになったらと存じます」と、匂宮を一方ならず素晴らしいと思っていますので、熱心におすすめするのでした――
「『いさや、右近は、とてもかくても、事無くすぐさせ給へ、と、初瀬石山などに願をなむ立て侍る』」
――(右近は)「いえね。私はとにかくどちらでもようございますから、無事にここをお乗り切りになりますようにと、初瀬や石山の観音にも願をかけております」
そして、薫の荘園の人々がひどく乱暴者たちで、上に立つ者達はそう思わなくても、落ち度のないようにと張り切って宿直人になっていますから、とつづけて、
「『ありし夜の御ありきは、いとこそむくつけく思う給へられしか。宮はわりなくつませ給ふとて、御供の人も率ておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さる者の見付けたてまつりたらむは、いといみじくなむ』と、言ひ続くるを」
――「いつぞやの夜、匂宮が川向うの家においでになりました時は、まことに危ないことと恐ろしく存じました。宮はただもう人目を憚ろうと、御供もお連れにならず、お姿までおやつしになってお出かけになりましたが、そういう乱暴者がみつけましたら、それこそ一大事でございますよ」と言い続けているのを――
では8/27に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その56
さらに、右近が、
「『宮も御志まさりて、まめやかにだに聞こえさせ給はば、そなたざまにも靡かせ給ひて、ものないたく歎かせ給ひそ。痩せおとろへさせ給ふもいとやくなし。さばかり上の思ひいたづききこえさせ給ふものを、ままがこの御いそぎに心を入れて、まどひ居て侍るにつけても、それよりこなたに、と聞こえさせ給ふ御ことこそ、いと苦しくいとほしけれ』といふに」
――「匂宮もご愛情が増してこられて本気におっしゃってさえくださるならば、そちらの言う通りになられて、あまりひどくお悩みなさいますな。くよくよして痩せ衰えなさってもつまらないことですもの。あれほど母上様が貴女さまを大事にしていらっしゃいますのに、乳母が(薫への)お引越しの準備に熱中して騒いでおりますにつけましても、それよりも先に匂宮が御自分の方へ引き取ろうと申しておられることが、実に御痛わしくお気の毒ですもの」といいますのに――
「いま一人、『うたておそろしきまでな聞えさせ給ひそ。なにごとも御宿世にこそあらめ。ただ御心のうちに、すこし思し靡たむ方を、さるべきに思しならせ給へ。いでや、いとかたじけなく、いみじき御けしきなりしかば、人のかく思しいそぐめりし方にも御心もよらず。しばしは隠ろへても、御おもひのまさらせ給はむによらせ給ひね、とぞ思ひえ侍る』と、宮をいみじくめできこゆる心なれば、ひたみちに言ふ」
――もう一人の侍従が「まあ、いやな、そんな恐ろしい程の申し上げ方はおやめなさいませ。何ごとも前からの御縁によるのではないでしょうか。ただ姫君がお考えになって、少しでも心の魅かれるほうへ、そうなる御縁だとお思いなされませ。それにしましても、まあ匂宮のご態度があまりにもご立派ぢしたので、皆さんがああして引越しの準備をしておられる薫の君の方には、お心が向かないのです。当分は身を隠してでも、ご愛情の深いお方ににお定めになったらと存じます」と、匂宮を一方ならず素晴らしいと思っていますので、熱心におすすめするのでした――
「『いさや、右近は、とてもかくても、事無くすぐさせ給へ、と、初瀬石山などに願をなむ立て侍る』」
――(右近は)「いえね。私はとにかくどちらでもようございますから、無事にここをお乗り切りになりますようにと、初瀬や石山の観音にも願をかけております」
そして、薫の荘園の人々がひどく乱暴者たちで、上に立つ者達はそう思わなくても、落ち度のないようにと張り切って宿直人になっていますから、とつづけて、
「『ありし夜の御ありきは、いとこそむくつけく思う給へられしか。宮はわりなくつませ給ふとて、御供の人も率ておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さる者の見付けたてまつりたらむは、いといみじくなむ』と、言ひ続くるを」
――「いつぞやの夜、匂宮が川向うの家においでになりました時は、まことに危ないことと恐ろしく存じました。宮はただもう人目を憚ろうと、御供もお連れにならず、お姿までおやつしになってお出かけになりましたが、そういう乱暴者がみつけましたら、それこそ一大事でございますよ」と言い続けているのを――
では8/27に。