2012. 8/23 1147
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その55
「文見つらむと思はねば、異ざまにて、かの御けしき見る人の語りたるにこそは、と思ふに、『誰かさ言ふぞ』などもえ問ひ給はず。この人々の見思ふらむことも、いみじくはづかし。わが心もてありそめしことならねども、心憂き宿世かな、と思ひ入りて寝たるに、侍従と二人して」
――(浮舟は)返事を遣るときに、右近が途中で御文を見たであろうとは思ってもみないので、他の方面で薫のご様子を知る人が告げたのであろうと思いますものの、「誰がそんなことを言って聞かせたのか」などともお訊ねになれません。こちらの右近やその他の侍女たちが、どのような目で見ているのか、何と思っているのかと、それも恥かしい。匂宮との関係は、浮舟自身から進んでしたことではないけれども、それにしても嘆かわしいわが宿世であると、思い沈んで横たわっていますと、右近と侍従とが二人で――
こんなことを話しています。右近が、
「『右近が姉の、常陸にても人二人見侍りしを、程々につけては、ただかくぞかし、これもかれもおとらぬ志にて、思ひ惑ひて侍りし程に、女は、今の方にいますこし心よせまさりてぞ侍りける。それに妬みて、つひに今のをば殺してぞかし。さてわれも住み侍らずなりにき。国にもいみじき兵士一人失ひつ…』」
――「私の姉が常陸で二人の男を持っていたのですが、身分の上下にかかわらず、こういうことがあるものですね。二人ともどちらも負けず劣らず尽すものですから、姉は迷っていますうちに、新しい男に心が傾くようになりました。前の男がそれを嫉妬して、とうとう後の男を殺してしまったのです。そうしておいて自分も通って来なくなりました。常陸の国府としても、立派な武士を一人失くした訳です」――
つづけて
「『またこの過ちたるも、よき郎等なれど、かかる過ちしたるものを、いかでかはつかはむ、とて、国のうちをも追ひ払はれ、すべて女のたいだいしきぞ、とて、館のうちにも置い給へざりしかば、東の人になりて、ままも今に恋ひ泣き侍るは。罪深くこそ見給ふれ。…』」
――「また過まちを犯した男もよい家来でしたが、こんな間違いをした者をどうして使用できようかというので、国を追いだされてしまいました。すべて女が軽はずみだったからだと、国司の邸内にも置いて下さらなくなりましたので、東国の人のなり果てましたので、今でも母は恋しがって泣いております。これは本当に罪深いことだと、私には思われます」――
さらに、右近がつづけます。
「『ゆゆしきついでのやうに侍れど、上も下も、かかる筋のことは、思し乱るるはいとあしきわざなり。御命までにはあらずとも、人の御程々につけて侍ることなり。死ぬるにまさる恥なることも、よき人の御身には、なかなか侍るなり。一方に思し定めてよ…』」
――「このような折に不吉なことを申し上げるようですが、身分の尊い方も卑しい人も、この道で思いわずらうのは一番良くないことなのです。お命までは関わりませんでも、それぞれのご身分に応じての不仕合せは起こってくるものです。死ぬにもまさる恥かしい事も、ご身分の高い方には却ってあるものです。どちらかお一方にお決めくださいませ」――
◆ままも今に恋ひ泣き侍るは=「まま」は浮舟の乳母で右近の母。
では8/25に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その55
「文見つらむと思はねば、異ざまにて、かの御けしき見る人の語りたるにこそは、と思ふに、『誰かさ言ふぞ』などもえ問ひ給はず。この人々の見思ふらむことも、いみじくはづかし。わが心もてありそめしことならねども、心憂き宿世かな、と思ひ入りて寝たるに、侍従と二人して」
――(浮舟は)返事を遣るときに、右近が途中で御文を見たであろうとは思ってもみないので、他の方面で薫のご様子を知る人が告げたのであろうと思いますものの、「誰がそんなことを言って聞かせたのか」などともお訊ねになれません。こちらの右近やその他の侍女たちが、どのような目で見ているのか、何と思っているのかと、それも恥かしい。匂宮との関係は、浮舟自身から進んでしたことではないけれども、それにしても嘆かわしいわが宿世であると、思い沈んで横たわっていますと、右近と侍従とが二人で――
こんなことを話しています。右近が、
「『右近が姉の、常陸にても人二人見侍りしを、程々につけては、ただかくぞかし、これもかれもおとらぬ志にて、思ひ惑ひて侍りし程に、女は、今の方にいますこし心よせまさりてぞ侍りける。それに妬みて、つひに今のをば殺してぞかし。さてわれも住み侍らずなりにき。国にもいみじき兵士一人失ひつ…』」
――「私の姉が常陸で二人の男を持っていたのですが、身分の上下にかかわらず、こういうことがあるものですね。二人ともどちらも負けず劣らず尽すものですから、姉は迷っていますうちに、新しい男に心が傾くようになりました。前の男がそれを嫉妬して、とうとう後の男を殺してしまったのです。そうしておいて自分も通って来なくなりました。常陸の国府としても、立派な武士を一人失くした訳です」――
つづけて
「『またこの過ちたるも、よき郎等なれど、かかる過ちしたるものを、いかでかはつかはむ、とて、国のうちをも追ひ払はれ、すべて女のたいだいしきぞ、とて、館のうちにも置い給へざりしかば、東の人になりて、ままも今に恋ひ泣き侍るは。罪深くこそ見給ふれ。…』」
――「また過まちを犯した男もよい家来でしたが、こんな間違いをした者をどうして使用できようかというので、国を追いだされてしまいました。すべて女が軽はずみだったからだと、国司の邸内にも置いて下さらなくなりましたので、東国の人のなり果てましたので、今でも母は恋しがって泣いております。これは本当に罪深いことだと、私には思われます」――
さらに、右近がつづけます。
「『ゆゆしきついでのやうに侍れど、上も下も、かかる筋のことは、思し乱るるはいとあしきわざなり。御命までにはあらずとも、人の御程々につけて侍ることなり。死ぬるにまさる恥なることも、よき人の御身には、なかなか侍るなり。一方に思し定めてよ…』」
――「このような折に不吉なことを申し上げるようですが、身分の尊い方も卑しい人も、この道で思いわずらうのは一番良くないことなのです。お命までは関わりませんでも、それぞれのご身分に応じての不仕合せは起こってくるものです。死ぬにもまさる恥かしい事も、ご身分の高い方には却ってあるものです。どちらかお一方にお決めくださいませ」――
◆ままも今に恋ひ泣き侍るは=「まま」は浮舟の乳母で右近の母。
では8/25に。