蜻蛉日記 中卷 (96) 2016.2.4
「九、十月もおなじさまにて過ぐすめり。世には大嘗会の御禊とてさわぐ。われも人も物みる桟敷とてわたり見れば、御輿のつら近く、つらしとは思へど目眩れておぼゆるに、これかれ『や、いで、なほ人にすぐれ給へりかし。あなあたらし』なども言ふめり。聞くにもいとど物のみすべなし。」
◆◆九月、十月もあの人の訪れは同じような状態で過ごしたようでした。世間では大嘗会の御禊だと騒いでいます。私も家の者も(妹か)観覧の席があるというので、行ってみると、御輿のそば近くにあの人(兼家)が、供奉していて、恨めしい人だとおもうけれど、威風堂々たる大将ぶりに、目も眩む思いでいると、周囲のだれかれが、「ほんとうにまあ、なんといっても、まあ、人にずばぬけていられますね。なんとご立派なこと」などと言っているようだ。それを耳にするにつけ、どうしようもなく切ない気持ちになるのでした。◆◆
■大嘗会の御禊(だいじょうえのごけい)=円融天皇即位の大嘗会。この年は十月二十六日。
御禊は、天皇の即位後、大嘗会 (だいじょうえ) の前月 に賀茂川の河原などで行うみそぎの儀式。
「九、十月もおなじさまにて過ぐすめり。世には大嘗会の御禊とてさわぐ。われも人も物みる桟敷とてわたり見れば、御輿のつら近く、つらしとは思へど目眩れておぼゆるに、これかれ『や、いで、なほ人にすぐれ給へりかし。あなあたらし』なども言ふめり。聞くにもいとど物のみすべなし。」
◆◆九月、十月もあの人の訪れは同じような状態で過ごしたようでした。世間では大嘗会の御禊だと騒いでいます。私も家の者も(妹か)観覧の席があるというので、行ってみると、御輿のそば近くにあの人(兼家)が、供奉していて、恨めしい人だとおもうけれど、威風堂々たる大将ぶりに、目も眩む思いでいると、周囲のだれかれが、「ほんとうにまあ、なんといっても、まあ、人にずばぬけていられますね。なんとご立派なこと」などと言っているようだ。それを耳にするにつけ、どうしようもなく切ない気持ちになるのでした。◆◆
■大嘗会の御禊(だいじょうえのごけい)=円融天皇即位の大嘗会。この年は十月二十六日。
御禊は、天皇の即位後、大嘗会 (だいじょうえ) の前月 に賀茂川の河原などで行うみそぎの儀式。