永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(97)

2016年02月07日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (97) 2016.2.7

「十一月になりて大嘗会とてののしるべき。その中には、すこし間近く見ゆる心地す。冠ゆへに人もまだあいなしと思ふ思ふのわざも習へて、とかくすれば、いと心あわただし。こと果つる日、夜ふけぬほどにものして、『行幸に候はで悪しかりぬべかりつれど、夜のふけぬべかりつれば、そら胸やみてなんまかでぬる。いかに人言ふらん。あすはこれが衣着かへさせて出でん』などあれば、いささか昔の心ちしたり。」
◆◆十一月に入って大嘗会ということで、あの人はたいそう忙しそうでした。その最中にありながら、結構たびたびこちらへ姿をみせるようでした。叙爵のことがあるので、あの人も私も、道綱にはまだ無理かと思う御礼言上の作法も、よく練習するようにと言って、あれこれ面倒をみてくれるので、ひどくあわただしい。大嘗会の終わった日、あの人が真夜中にならないうちに訪れてきて、「行幸に最後までお供しないで、本当に悪かったけれど、夜がすっかり更けてしまいそうだったから、胸が苦しいと仮病を装って退出してきたのだ。人はどんな噂をしているだろう。明日はこの子(道綱)の衣装を五位の官服に着替えさせて出かけよう」などと言うので、すこしばかり、昔に返ったような気がしたのでした。◆◆



「つとめて、『供にありかすべき男どもなどまゐらざめるを、かしこに物してととのへん。装束して来よ』とて出でられぬ。よろこびにありきなどすれば、いとあはれにうれしき心地す。それよりしも、例の慎むべきことあり。二日も『かしこになん』と聞くにも、たよりにもあるを、さもやと思ふほどに夜いたくふけ行く。ゆゆしと思ふ人もただひとり出でたり。胸うちつぶれてぞあさましき。『ただいまなん、帰りたまへる』など語れば、夜ふけぬるに、昔ながらの心地ならましかばかからましやは、と思ふ心ぞいみじき。それより後も音なし。」
◆◆翌朝、あの人は、「道綱の供人に連れて行くはずの従者達がまだ参らぬようだから、邸へ帰って勢ぞろいしよう。道綱は装束をつけて本邸へくるように」と言って出ていかれました。叙爵の御礼回りなどするので、たいそう晴れがましい気がする。その後は例によって、物忌みがあるからとのことでした。二十二日にも、子どもが「本邸に参ります」とのことで、よいついで(道綱を送りがてら)として、ひょっとしてこちらに見えるかしらと思って待っている間に、夜はすっかり更けてしまったのでした。それに心配していた道綱はたった一人で帰ってきました。胸もつぶれるほど、あきれてしまった。「お父上はたった今あちらへお帰りになりました」などと道綱が語るので、真夜中なのに一人で帰宅させるなんて、昔に変わらぬ気持ちがあるならば、こんなつれないことはしないだろうに、と思うと、やはり切ない気持ちになるのでした。それから後も音沙汰無しでした。◆◆


■行幸(みゆき・ぎょうこう)=天皇が大嘗会のため八省院(17日)、豊楽院(18~20日)に御幸すること。

■衣=従五位に叙せられたので、道綱に五位の緋色の袍をきせる。
従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。

■写真:緋色の袍