永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(101)

2016年02月26日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (101) 2016.2.26

「二月も十よ日になりぬ。『きく所に三夜なん通へる』と、千種に人はいふ。つれづれとあるほどに彼岸に入りぬれば、なほあるよりは精進せんとて、表筵、ただの筵のきよきに敷き替へさすれば、塵はらひなどするを見るにも、かやうのことは思ひかけざりし物を、など思へばいみじうて、
<うち払ふ塵のみ積もる狭筵をなげく数にはしかしとぞ思ふ>」
◆◆二月も十日すぎになりました。「(兼家様が)うわさの女の所へ三夜(結婚の成立)通ったそうな」と人々はさまざまに言っています。なんとはなしに日を送っているうちに、彼岸に入ったので、何をせぬよりは精進しようと思いついて、表筵(うわむしろ)を普通のこざっぱりとし他筵に敷き替えさせて、侍女が塵をはらったりしているのを見るにつけ、こんなに塵が積もるほど夫が訪れなくなるとは思いもかけなかったと思うと、切なくなって、
(道綱母の歌)「払い捨てるほどの塵が積もりに積もったこの上筵を、嘆き尽きせぬ私はもう敷くまい」◆◆



「これよりやがて長精進して山寺にこもりなんに、さてもありぬべくは、いかでなほ世の人のたはやすく背く方にもやなりなましと思ひ立つを、人々『精進は秋のほどよりするこそ、いとかしこかなれ』と言へば、えさらず思ふべき産屋のこともあるを、これ過ごすべしと思ひて、立たむ月をぞ待つ。」
◆◆今から早速長精進して山寺に籠ろう、そしてできるなら、世間の人が尋ねて来にくく、自分の方も俗世間と縁を切って尼にでもなろうかしらと、そんな気になったのに、侍女たちが、「精進は秋ごろからするのが当たり前のことで、時期が悪うございます」などと言いますし、捨てては置けない出産(妹の)のこともあるので、これを済ませてからにしようと思って、翌月になるのを待つことにしました。◆◆


■■きく所=噂のところ。近江の女をさす。

■■表筵(うはむしろ)=帳台の中の敷物で、綿入りの高級品。