蜻蛉日記 下巻 (176)その1 2017.3.13
「六七月、おなじほどにありつつ果てぬ。つごもり廿八日に、『相撲のことにより内裏にさぶらひつれど、こちものせんとてなむ、いそぎ出でぬる』などて見えたりし人、そのままに八月廿よ日まで見えず。聞けば、例のところ繁くなんと聞く。移りにけりと思へばうつし心もなくてのみあるに、住むところはいよいよ荒れゆくを、人少なにありしかば、人にものして我が住むところにあらせんといふことを、我がたのむ人さだめて、今日あす広幡中川のほどに渡りぬべし。」
◆◆六月七月は、あの人の訪れはおなじような間隔で過ぎてしまった。七月の月末の二十七日に、あの人が「相撲のことで内裏に伺候していたけれど、こちらに来ようと思って、急いで退出してきた」などと言って見えたけれど、そのままに八月二十日過ぎまで訪れがない。聞くところによると、例の女のところに足しげく通っているとのことです。心が私から移ってしまったと思うと、正気もなくただぼんやり過ごしているうちに、この住居はますます荒れていくし、人も少なでもあったので、これを人に譲って、自分の家(父の家)に住まわせようということを、我が頼みにする父親が取り決めて、今日明日にも広幡中川のあたりに引っ越すことにまったのでした。◆◆
「さべしとはさきざきほのめかしたれど、『今日』などもなくてやはとて、『きこえさすべきこと』とものしたれど、『慎むことありてなん』とて、つれもなければ、『何かは』とて、音もせで渡りぬ。」
◆◆そうする予定だと、以前からほのめかしていたけれど、「今日引っ越すことを知らせなくてはならないと」などというので、「申し上げたいことがございまして」と使いの者に言わせましたが、「慎むことがあって、そちらへ行けない」と、つれない返事でしたので、「何、それなら」と黙って引っ越してしまいました。◆◆
■例のところ=近江の女
■広幡中川=現在の京都御所東方の地域。
「六七月、おなじほどにありつつ果てぬ。つごもり廿八日に、『相撲のことにより内裏にさぶらひつれど、こちものせんとてなむ、いそぎ出でぬる』などて見えたりし人、そのままに八月廿よ日まで見えず。聞けば、例のところ繁くなんと聞く。移りにけりと思へばうつし心もなくてのみあるに、住むところはいよいよ荒れゆくを、人少なにありしかば、人にものして我が住むところにあらせんといふことを、我がたのむ人さだめて、今日あす広幡中川のほどに渡りぬべし。」
◆◆六月七月は、あの人の訪れはおなじような間隔で過ぎてしまった。七月の月末の二十七日に、あの人が「相撲のことで内裏に伺候していたけれど、こちらに来ようと思って、急いで退出してきた」などと言って見えたけれど、そのままに八月二十日過ぎまで訪れがない。聞くところによると、例の女のところに足しげく通っているとのことです。心が私から移ってしまったと思うと、正気もなくただぼんやり過ごしているうちに、この住居はますます荒れていくし、人も少なでもあったので、これを人に譲って、自分の家(父の家)に住まわせようということを、我が頼みにする父親が取り決めて、今日明日にも広幡中川のあたりに引っ越すことにまったのでした。◆◆
「さべしとはさきざきほのめかしたれど、『今日』などもなくてやはとて、『きこえさすべきこと』とものしたれど、『慎むことありてなん』とて、つれもなければ、『何かは』とて、音もせで渡りぬ。」
◆◆そうする予定だと、以前からほのめかしていたけれど、「今日引っ越すことを知らせなくてはならないと」などというので、「申し上げたいことがございまして」と使いの者に言わせましたが、「慎むことがあって、そちらへ行けない」と、つれない返事でしたので、「何、それなら」と黙って引っ越してしまいました。◆◆
■例のところ=近江の女
■広幡中川=現在の京都御所東方の地域。