蜻蛉日記 下巻 (179) 2017.3.26
「さてこの霜月に、県ありきのところに産屋のことありしを、えとはで過ぐしてしを、五十日になりにけん、これにだにと思ひしかど、ことごとしきわざはえものせず、ことほきをぞさまざまにしたる、例のごとなり。白う調じたる籠、梅の枝につけたるに、
<冬篭り雪にまどひし折すぎてけふぞ垣根の梅をたづぬる>
とて、帯刀の長なにがしなどいふ人、使ひにて、夜に入りてものしけり。使ひつとめてぞかへりたる。薄色の袿ひとかさねかづきたり。
<枝若み雪間に咲ける初花はいかにととふににほひますかな>
など言ふほどに、行ひのほどもすぎぬ。」
◆◆さて、この十一月に、地方官歴任の父の所でお産のことがありましたが、お祝いもできずに過ごしてしまったので、五十日(いか)のお祝いの時になったかしら、せめてこの機会にでもお祝いをとおもいましたが、大仰なことはようせずに、心をこめてお祝いをしました。しきたりどおりの事として。白い色で作った籠を、梅の枝につけたのに、
(道綱の母)「冬の間、雪で外出もままなりませんでしたが、春になって今日、若君のお祝いを申し上げます」
と言う歌を添えて、帯刀の長(たちはきのおさ)なにがしという人を使いにして、夜になってから届けました。使いは翌朝帰ってきました。薄紫色の袿ひとかさねを祝儀をしてもらってきました。
(父倫寧の歌)「若枝に雪間から顔を出して咲く梅の初花のような子は五十日をお祝いを頂いただいて、一段と光輝いています」
などと返歌が届くうちに正月のお勤めの時期も過ぎました。◆◆
【解説】 蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より
出産の祝いのあったのは「父のところ」と考えられるが、理能(まさとう)が作者より四歳ほど年長とすると天延元年四十一、二歳となるので、倫寧は六十一、二歳となる。清少納言は清原元輔五十九歳の時の子であるから、子どもが生まれてもおかしくはない。(中略)
倫寧が若い女性を妻にして出来た子であろうか。
ところで、「冬こもり」の歌は出産のお祝い、あるいは五十日の時のお祝いの歌としてはあまりにも祝意があふれていない感じがする。子宝を種々の寺社に祈願した作者であったが、ついに道綱以外には授からなかった作者の寂しい心情の反映でもあろうか。
「さてこの霜月に、県ありきのところに産屋のことありしを、えとはで過ぐしてしを、五十日になりにけん、これにだにと思ひしかど、ことごとしきわざはえものせず、ことほきをぞさまざまにしたる、例のごとなり。白う調じたる籠、梅の枝につけたるに、
<冬篭り雪にまどひし折すぎてけふぞ垣根の梅をたづぬる>
とて、帯刀の長なにがしなどいふ人、使ひにて、夜に入りてものしけり。使ひつとめてぞかへりたる。薄色の袿ひとかさねかづきたり。
<枝若み雪間に咲ける初花はいかにととふににほひますかな>
など言ふほどに、行ひのほどもすぎぬ。」
◆◆さて、この十一月に、地方官歴任の父の所でお産のことがありましたが、お祝いもできずに過ごしてしまったので、五十日(いか)のお祝いの時になったかしら、せめてこの機会にでもお祝いをとおもいましたが、大仰なことはようせずに、心をこめてお祝いをしました。しきたりどおりの事として。白い色で作った籠を、梅の枝につけたのに、
(道綱の母)「冬の間、雪で外出もままなりませんでしたが、春になって今日、若君のお祝いを申し上げます」
と言う歌を添えて、帯刀の長(たちはきのおさ)なにがしという人を使いにして、夜になってから届けました。使いは翌朝帰ってきました。薄紫色の袿ひとかさねを祝儀をしてもらってきました。
(父倫寧の歌)「若枝に雪間から顔を出して咲く梅の初花のような子は五十日をお祝いを頂いただいて、一段と光輝いています」
などと返歌が届くうちに正月のお勤めの時期も過ぎました。◆◆
【解説】 蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より
出産の祝いのあったのは「父のところ」と考えられるが、理能(まさとう)が作者より四歳ほど年長とすると天延元年四十一、二歳となるので、倫寧は六十一、二歳となる。清少納言は清原元輔五十九歳の時の子であるから、子どもが生まれてもおかしくはない。(中略)
倫寧が若い女性を妻にして出来た子であろうか。
ところで、「冬こもり」の歌は出産のお祝い、あるいは五十日の時のお祝いの歌としてはあまりにも祝意があふれていない感じがする。子宝を種々の寺社に祈願した作者であったが、ついに道綱以外には授からなかった作者の寂しい心情の反映でもあろうか。