永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(176)その2

2017年03月17日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (176)その2   2017.3.16

「山近う川原かたかけなるところに、水は心のほしきに入りたれば、いとあはれなる住まひとおぼゆ。二三日になりぬれど、知りげもなし。五六日ばかり、『さりけるを告げざりける』とばかりあり。返りごとに、『さなんとは告げきこゆとなん思ひし。いと便なきところに、はた難うおぼえしかなん、見たまひなれにしところにて、いまひとたびきこゆべくは思ひし』など、絶えたるさまにものしつ。『さもこそはあらめ。便なかなればなん』とて、あとを絶ちたり。」

◆◆東山が近く、鴨川の川原に接するところで、川の水を思う存分邸内に引き入れてあるので、とても風情のある住まいに思われます。二、三日になるけれど、あの人は気がついた様子もない。五、六日ほどして、あの人から、「引っ越したのを知らさなかったね」とだけ言ってきました。返事に、「引っ越しましたと申し上げねばと思っていました。大層不便なところで、きっとお出でいただけまいと存じましたので。親しみ下さったあの家で、もう一度ゆっくりお話申し上げたいと思っておりましたのに。」などと、もうすっかり縁が切れてしまったかの様なふうに書いて送りました。あの人からは、「そうであろうな。まったく不便なところだそうだから」と言ってよこしたきり、ぱったり音信不通となったのでした。◆◆



「九月になりて、まだしきに格子をあげて見いだしたれば、内なるにも外なるにも川霧たちわたりて、ふもとも見えぬ山のみ見やられたるも、いとものがなしうて、
<ながれての床とたのみて来しかどもわが中川はあせにけらしも>
どぞ言はれける。」

◆◆九月になって、朝、まだ早い時刻に格子をあげて外を眺めると、邸内の流れにも外の川にも川霧が一面に立ち込め、麓も見えない山だけが空にながめやられるのも、とてももの悲しくて、
(道綱母の歌)「辺鄙なところですが(あなたの訪れを)頼みにしていましたが、中川の水が涸れるように私どもの仲も疎遠になってしまったようです」
と口ずさまれたのでした。◆◆


【解説】 『蜻蛉日記』下巻 上村悦子著より

兼家が兵部大輔の時、「世の中をいとうとましげにて、ここかしこ通ふよりほかのありきなどなければ」とあったと同様、兄兼通の専横下、政治的に不遇であった彼は近江のもとへ足しげく通って、作者の所へは足を向けなかったので、とうとう兼家に顧みられなくなったかと思い、荒れ放題の一条西洞院を思い切って人に譲り(道綱の将来を考え貸したのかもしれない)、父倫寧のすすめに従い京の郊外、広幡中川に移転することを決心した、その前後の作者と兼家のやりとりを記した。兼家は作者の移転に対してけわめて冷淡なようである。一夫多妻下本邸に同居しない北の方のあり方とくに年がたけてからの生き方について種々問題を提供している。