永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(178)

2017年03月22日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (178) 2017.3.22

「さて廿よ日にこの月もなりぬれど、あと絶えたり。あさましさは、『これして』とて冬のものあり。『御文ありつるは、はや落ちにけり』といへば、『おろかなるやうになり、返りごとせぬにてあらん』とて、なにごとともえ知らでやみぬ。ありしものどもはして、文もなくてものしつ。そののち、夢の通ひ路たえて、年暮れ果てぬ。」

◆◆さて、二十日過ぎにこの月もなってしまったけれど、あの人からの訪れも絶えてしまったのでした。あきれたことには「これを仕立ててほしい」などといって冬の着物をよこしてきました。使いの者が「御文があったのですが、落としてしまいました」というので、「随分ぞんざいに扱ったせいで、落としたのでしょう。こちらからも返事を添えないでおこう」ということで、結局はどういう内容だったのか分らずに終わってしまったのでした。寄こした着物は仕立てて、手紙も添えず届けました。その後は、夢の中でもあの人と会うこともなく、その年も暮れてしまったのでした。◆◆



「つごもりにまた『<これして>となん』とて、はては文だにもなうてぞ下襲ある。いかにせましと思ひやすらひて、これかれに言ひあはすれば、『なほこのたびばかり心みにせよ、。いと忌みたるやうにのみあれば』など、さだむることありて、留めて、きたなげなくして、ついたちの日、大夫に持たせてものしたれば、『<いときよらなり>となんありつる』とてやみぬ。あさましといへばおろかなり」

◆◆(九月の)下旬になってまた、使いの者が「これを仕立ててください」との仰せですといって、今度は手紙さえも無くて装束の下襲ねをよこしてきました。いったいどうしたものかと思案して、何人かに相談しますと、「やはり、今度だけは、殿のご様子をみながら、なさいませ。お断りしては、本当に忌み嫌っているみたいですから」などと言うことになって、受け取って、こぎれいに仕立てて、十月の一日に、大夫に持たせて届けたところ、「大層きれいにできた、との仰せでした」とのことでしたが、そのままそれっきりになってしまいました。あきれてしまったというくらいでは、胸が収まらない。◆◆


■御文ありつるは、はや落ちにけり=使いが主人の手紙をぞんざいに扱ったため落としてしまった。兼家の手紙を見ていないので作者は返事のしようがない。大事な手紙なら、「これは大切な手紙だから」というべきで、落すことはなかったであろう。しかし勘ぐれば、最初から手紙は無かったのかもしれない。作者は兼家の愛情につながるものを感じなかったので、返事をする気にもならなかったのではないか。


【解説】蜻蛉日記 下巻  上村悦子著から

 作者が広幡中川に移居してから兼家の訪れはもちろん、やさしい便りさえない。一説にはこの移転を「床離れ」と見る。そうとも考えられるが、いずれにせよ、兼家はまったく無沙汰を続けてわれ関せずの有様であるにかかわらず、相変わらず仕立物を次から次へと頼んでくる。しかも依頼状やねぎらいの手紙さえもないので、(中略)このように夫らしい義務や責任にはそっぽを向いて権利のみ行使するする相変わらずの身勝手者の兼家である。