三 正月一日は その3 (10) 2018.1.4
三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花は今咲きはじむる。柳などいとをかしくこそさらなれ。それもまた、まゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたる後は、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる梅を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそ、わざとまことの花かめふさなどしたるよりもをかしけれ。梅の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。鳥虫の額つきいとうつくしうて飛びありく、いとをかし。
◆◆三月三日の節供の日は、うららかにのんびりと日が照っているのがいい。桃の花は今咲きはじめたのがいい。柳などがたいへん明るくこころよいのは言うまでもない。その柳もまた、まゆにこもっているのこそ、おもしろい。ひろがっているのはにくらしい。花も散ってしまった後は、不愉快にみえる。明るく晴れやかに咲いている梅を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのこそ、わざわざ本当の花カメフサなどしてあるのよりもおもしろい。梅の直衣を着て出袿(いだしうちき)をして、それが客であるにせよ、兄弟の君達であるにもせよ、その花の近くに座って、ものなどちょっと言っているのは、とてもいいものである。鳥や虫が、額のかっこうがたいへんかわいらしい様子で飛び回るのはとてもおもしろい。◆◆
祭のころは、いみじうをかしき。木々の木の葉まだいとしげうはなくて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何となくそぞろにをかしきに、すこし曇りたる夕つかた夜など、しのびたる郭公の遠う空耳かとおぼゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、なに心地かはせむ。
◆◆賀茂の祭のころは、たいへん趣深い。木々の葉がまだ多く茂っているほどではなく、若々しく青々としていて、霞とも霧とも分かちがたい空の様子の何とも言えない快い感じがするのに、少し曇っている夕方や夜などに、声を忍ばせているほととぎすが遠くの方で聞き違いかと思うほどおぼつかない声で鳴いているのを聞きつけたような時は、まったくどんなにすばらしい気持ちがすることだろう。◆◆
祭近くなりて、青朽葉、二藍などの物どもを押し巻きつつ細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひ持てありくこそをかしけれ。裾濃、むら濃、巻染など、常よりもをかしう見ゆ。童べの頭ばかりを洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるが、屐子、沓などの緒すげさせて、さわぎ、いつしかその日にならなむといそぎ走りありくもをかし。あやしくをどりてありく者どもの、装束きたてつれば、いみじく定者といふ法師などのやうに、練りさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどにつけて、おほやうは、女、姉などの、供人してつくろひありくもをかし。
◆◆祭の日が近くなって、青朽葉、二藍などの布地を巻き巻き、細櫃の蓋に入れて、紙などにほんの体裁だけ包んであちこち行きちがい持って回るのこそおもしろい。裾濃、むら濃、巻染などで染めたものも、いつもよりおもしろく見える。女の童の、頭だけぐらいを洗って手入れして、身なりの方はすっかりほころびて糸目が切れ、乱れて下がっているといった格好のが、足駄や沓などの鼻緒をすげさせて、はしゃいで、早くお祭りの日になってほしいと、大急ぎではしゃぎまわるのもおもしろい。おかしなかっこうをして踊って歩きまわる童女たちが、祭の日になって衣装を立派に飾り着けていますと、ご大層に、法会の時の定者(じょうざ)という坊さんのように、もったいぶって練り歩く、それはどんなに不安なことであろう。身分に応じて、だいたいは、親族の女性、姉などが、供人となって世話をしながら歩くのもおもしろい。◆◆
■三月三日=上巳(じょうし)の節供。水辺でお祓いをし、曲水宴などが行われた。
■まゆ=柳の葉を糸と形容する縁でまゆという。
■うたて=物事が移り進んで一段とひどくなってゆくさまを表す副詞。
■おもしろし=明るく晴れやかで心楽しい意。音楽・月・花・紅葉・水(雪)・邸宅・絵・詩歌・催しなどに限定して用いられた。
■祭のころ=四月中の酉の日に行われる賀茂祭。勅使の奉幣がある。
■青朽葉(あをくちば)=青みがかった朽葉色。朽葉は赤みを帯びた黄色。
■二藍(ふたあゐ)=藍と紅の間の色
■屐子(けいし)=足駄
■定者(ぢやうざ)といふ法師=法会の時行道に香炉を持って前行する役僧。
三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花は今咲きはじむる。柳などいとをかしくこそさらなれ。それもまた、まゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたる後は、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる梅を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそ、わざとまことの花かめふさなどしたるよりもをかしけれ。梅の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。鳥虫の額つきいとうつくしうて飛びありく、いとをかし。
◆◆三月三日の節供の日は、うららかにのんびりと日が照っているのがいい。桃の花は今咲きはじめたのがいい。柳などがたいへん明るくこころよいのは言うまでもない。その柳もまた、まゆにこもっているのこそ、おもしろい。ひろがっているのはにくらしい。花も散ってしまった後は、不愉快にみえる。明るく晴れやかに咲いている梅を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのこそ、わざわざ本当の花カメフサなどしてあるのよりもおもしろい。梅の直衣を着て出袿(いだしうちき)をして、それが客であるにせよ、兄弟の君達であるにもせよ、その花の近くに座って、ものなどちょっと言っているのは、とてもいいものである。鳥や虫が、額のかっこうがたいへんかわいらしい様子で飛び回るのはとてもおもしろい。◆◆
祭のころは、いみじうをかしき。木々の木の葉まだいとしげうはなくて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何となくそぞろにをかしきに、すこし曇りたる夕つかた夜など、しのびたる郭公の遠う空耳かとおぼゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、なに心地かはせむ。
◆◆賀茂の祭のころは、たいへん趣深い。木々の葉がまだ多く茂っているほどではなく、若々しく青々としていて、霞とも霧とも分かちがたい空の様子の何とも言えない快い感じがするのに、少し曇っている夕方や夜などに、声を忍ばせているほととぎすが遠くの方で聞き違いかと思うほどおぼつかない声で鳴いているのを聞きつけたような時は、まったくどんなにすばらしい気持ちがすることだろう。◆◆
祭近くなりて、青朽葉、二藍などの物どもを押し巻きつつ細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひ持てありくこそをかしけれ。裾濃、むら濃、巻染など、常よりもをかしう見ゆ。童べの頭ばかりを洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるが、屐子、沓などの緒すげさせて、さわぎ、いつしかその日にならなむといそぎ走りありくもをかし。あやしくをどりてありく者どもの、装束きたてつれば、いみじく定者といふ法師などのやうに、練りさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどにつけて、おほやうは、女、姉などの、供人してつくろひありくもをかし。
◆◆祭の日が近くなって、青朽葉、二藍などの布地を巻き巻き、細櫃の蓋に入れて、紙などにほんの体裁だけ包んであちこち行きちがい持って回るのこそおもしろい。裾濃、むら濃、巻染などで染めたものも、いつもよりおもしろく見える。女の童の、頭だけぐらいを洗って手入れして、身なりの方はすっかりほころびて糸目が切れ、乱れて下がっているといった格好のが、足駄や沓などの鼻緒をすげさせて、はしゃいで、早くお祭りの日になってほしいと、大急ぎではしゃぎまわるのもおもしろい。おかしなかっこうをして踊って歩きまわる童女たちが、祭の日になって衣装を立派に飾り着けていますと、ご大層に、法会の時の定者(じょうざ)という坊さんのように、もったいぶって練り歩く、それはどんなに不安なことであろう。身分に応じて、だいたいは、親族の女性、姉などが、供人となって世話をしながら歩くのもおもしろい。◆◆
■三月三日=上巳(じょうし)の節供。水辺でお祓いをし、曲水宴などが行われた。
■まゆ=柳の葉を糸と形容する縁でまゆという。
■うたて=物事が移り進んで一段とひどくなってゆくさまを表す副詞。
■おもしろし=明るく晴れやかで心楽しい意。音楽・月・花・紅葉・水(雪)・邸宅・絵・詩歌・催しなどに限定して用いられた。
■祭のころ=四月中の酉の日に行われる賀茂祭。勅使の奉幣がある。
■青朽葉(あをくちば)=青みがかった朽葉色。朽葉は赤みを帯びた黄色。
■二藍(ふたあゐ)=藍と紅の間の色
■屐子(けいし)=足駄
■定者(ぢやうざ)といふ法師=法会の時行道に香炉を持って前行する役僧。