永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(16)

2018年01月27日 | 枕草子を読んできて
七    うへに候ふ御猫は   その1  (16) 2018.1.27

 うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、「あな正無や。入りたまへ」と呼ぶに、聞かで、日のさしあたりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁まろ、いづら。命婦のおとど食へ」と意ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへはおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」と仰せさあるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、「乳母かへたむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。
◆◆主上のおそばに伺候している御猫は、五位をいただいて、名を「命婦のおとど」いって、たいそうかわいいので、たいせつに養っておいであそばす、その猫が、縁先に出ていらっしゃるのを、お守役の命婦が、「まあ、お行儀の悪いこと。お入りなさいまし」と呼ぶのだけれど、聞かないで、日のあたって
居るところで、眠ってじっとしているのを、おどかすために、「翁まろ、どうしたの。命婦のおとどに噛みつけ」というと、本当かと思って、おろか者の翁まろは走って向かっていったので、ねこのおとどは怖がってうろたえて、御簾の中に入ってしまった。朝餉の間に、主上はおいでになっていて、ご覧になって、ひどくびっくりあそばされる。猫はご自分の懐にお入れあそばされ、殿上の男の人たちをお呼び寄せあそばすと、蔵人の忠隆が参上したので、「この翁まろを打ちこらしめて、流して犬島に追いやれ、今すぐ」とお命じあそばすので、集まって大騒ぎして追いたてる。主上はこの馬命婦をも責めて、「守役を変えてしまおう。ひどく気がかりだ」と仰せになるので、恐縮して御前にも出ない。犬は狩り立て見つけて、滝口の武士などに命じて追放なさってしまう。◆◆



 「あはれ、いみじくゆるぎありきつるものを、三月三日に、頭弁、柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、梅腰にささせなどして、ありかせたまひし。かかる目見むとは思ひかけけむや」と、あはれがる。「おもののをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそああれ」など言ひて、三四日になりぬ。
◆◆「ああ、これまでたいへん得意げに身体をゆすって歩き回っていたのに、三月三日に、頭弁が、柳のかずらを頭にのせさせ、桃の花をかんざしとして挿させ、梅の枝を腰に差させなどしてお歩かせになりましたよ。こんな目にあおうとは思ってみただろうか」とみんなで気の毒がる。「皇后様のお食事の時は、必ず御前の正面に向かった伺候していたのに、いないのは物足りなくさびしいことだ」などと言って、三、四日になってしまった。◆◆



 昼つかた、犬のいみじく鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しく鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬ども走りさわぎ、とぶらひに行く。御厠人なる者走り来て、「犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。ながさせたまひけるが、帰りまゐりたるとて、てうじたまふ」と言ふ。心憂の事や。翁まろなンなり。
◆◆お昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、いったいどういう犬がこんなに長く鳴いているのであろうかと思って聞いていると、たくさんの犬どもが走りさわいで、見にたずねて行く。御厠人なる者が走ってきて、「犬を蔵人二人でお打ちになります。死んでしまうでしょう。お流しになったのが帰ってきたとて、お懲らしめになるのです」と言う。可哀そうなことよ。翁まろであるようだ。◆◆


■うへ=一条天皇。以下の事件は定子が内裏におられた長保二年(1000)三月中旬のことと推測される。
 定子は皇后になられたころ。

■命婦のおとど=猫の呼名。命婦はもと五位以上の女官の称。延喜以降は中臈女房をもいう。「おとど」は婦人の敬称。

■乳母の馬命婦(めのとのむまのみょうぶ)=猫の養育係。

■翁(おきな)まろ=宮中で飼われている犬の名。

■犬島=犬の流刑地。萩谷氏は淀の湿地帯の中州の島を当てる。

■滝口(たきぐち)=(清涼殿の東北隅の御溝水の落ちる所)に詰めている禁中警護の武士。蔵人所に属する。

■頭弁(とうのべん)=弁官で蔵人頭を兼ねている者。ここでは藤原行成。書家として高名。

■御厠人(みかわようど)=便器の掃除をする最下級女官。