六 大進生昌が家に その3 (15) 2018.1.23
姫宮の御方の童べの装束せさすべきよし仰せらるるに、「童の衵のうはおそひは何色にかつかまつらすべき」と申すをまた笑ふ、ことわりなり。
また「姫宮の御前の物は、例のやうにてはにくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏にてこそよくさぶらはめ」と申すを、「さてこそはうはおそひ着たる童べもまゐりよらめ」と言ふを、「なほ例の人のつらに、これな笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」と制せさせたまふもをかし。
◆◆(中宮様が)姫宮のお付きの童女たちの装束をつくらせるようにということをお言いつけになるのに、生昌が、「童の衵(あこめ)の上覆いは何色にしてさしあげさせたらよろしゅうございましょう」と申し上げるのを、また女房たちが笑うのは、もっともである。
また、「姫宮様の御食膳は、普通のものではにくらしく見えることでございましょう。ちうせい折敷やちうせい高坏であるのが、よろしゅうございましょう」と申し上げるのを、わたくしが「そうしてこそ、上覆を着ている童女もお近くにお伺いすることでしょう」というのを、中宮様は「やはり世間の人と同じ並みに扱って、これを笑わないでおくれ。とても真面目なのだから。気の毒に見えること」とお止めあそばされるのも、おもしろい。◆◆
中間なるをり、「大進、物聞こえむとあり」と、人の告ぐるを聞しめして、「またなでふこと言ひて笑はれむとならむ」と仰せらるる、いとをかし。「行きて聞け」と仰せさるれば、わざと出でたれば、「一夜の門の事を中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに対面してもうしうけたまはらむ』となむ申されつる」とて、またこともなし。
◆◆ちょっと用事が途絶えている時、「大進が、お話し申し上げたいと言ってします」と人がわたしに告げるのをお聞きあそばして、「また、どんなことを言って笑われようというのだろう」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。「行って話を聞け」と仰せになるので、わざわざ出たところ、生昌は、「先夜の門のことを中納言に話しましたら、たいへん感心申し上げなさって、『どうかして、適当な機会にお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておられました。」というのであって、他には何のこともない。◆◆
一夜の事や言はむと、心ときめきしつれど、「今静かに御局に候はむ」とていぬれば、帰りまゐりたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにぞあらぬや。おのづから静かに局などにあらむにも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたるを、うれしとや思ふとて、告げ知らするならむ」とのたまはする御けしきも、いとをかし。
◆◆先夜の部屋へ来た時のことを言うのだろうかと、胸がどきっとしたけれども、「そのうちゆっくりとお部屋に伺いましょう」と言って立ち去るので、帰って御前に伺ったところ、「それで、何だったの」と仰せあそばすので、生昌が言ったことを、あれこれとそのままそっくり申し上げて、仲間の女房たちに、「わざわざ申し入れをして、呼び出さなければならないことではないわね。自然な感じで静かに部屋などにゐそうな時にでも言えば良いのに」と言って笑うと、中宮様は、「自分の気持ちの中で優れている人だと思うその人がほめているのを、そなたも多分うれしいと思うだろうというつもりで、報告するのであろう」と仰せあそばすご様子も、たいへんすばらしい。◆◆
■姫宮の御方=一条天皇第一皇女脩子(しゅうし)内親王。母は中宮定子。長徳二年(996)十二月二十六日誕生。当時四歳。
■衵(あこめ)のうはおそひ=上の衣と下の単衣どの間に着るもの。「上襲(うはおそひ)」は表着。衵の上に着るのは童女の場合は汗衫(かざみ)だから、そういえば良いのに、「衵のうわ着」と言ったから笑ったのである。
■ちうせい=「ちひさき」の訛りであろう。
■中間(ちゅうげん)なるをり=中途半端な時。
■中納言=生昌の兄、平惟仲。
■心ときめき=胸がある期待でどきどきすることであるが、好ましいことに限らない。ここでは、あの時生昌に間の悪い思いをさせたので、恨み言を言われるかと、さすがにどきっとした、の意か。
■まねび=「まねぶ」は、そのまま、まねをして言うこと。
姫宮の御方の童べの装束せさすべきよし仰せらるるに、「童の衵のうはおそひは何色にかつかまつらすべき」と申すをまた笑ふ、ことわりなり。
また「姫宮の御前の物は、例のやうにてはにくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏にてこそよくさぶらはめ」と申すを、「さてこそはうはおそひ着たる童べもまゐりよらめ」と言ふを、「なほ例の人のつらに、これな笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」と制せさせたまふもをかし。
◆◆(中宮様が)姫宮のお付きの童女たちの装束をつくらせるようにということをお言いつけになるのに、生昌が、「童の衵(あこめ)の上覆いは何色にしてさしあげさせたらよろしゅうございましょう」と申し上げるのを、また女房たちが笑うのは、もっともである。
また、「姫宮様の御食膳は、普通のものではにくらしく見えることでございましょう。ちうせい折敷やちうせい高坏であるのが、よろしゅうございましょう」と申し上げるのを、わたくしが「そうしてこそ、上覆を着ている童女もお近くにお伺いすることでしょう」というのを、中宮様は「やはり世間の人と同じ並みに扱って、これを笑わないでおくれ。とても真面目なのだから。気の毒に見えること」とお止めあそばされるのも、おもしろい。◆◆
中間なるをり、「大進、物聞こえむとあり」と、人の告ぐるを聞しめして、「またなでふこと言ひて笑はれむとならむ」と仰せらるる、いとをかし。「行きて聞け」と仰せさるれば、わざと出でたれば、「一夜の門の事を中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに対面してもうしうけたまはらむ』となむ申されつる」とて、またこともなし。
◆◆ちょっと用事が途絶えている時、「大進が、お話し申し上げたいと言ってします」と人がわたしに告げるのをお聞きあそばして、「また、どんなことを言って笑われようというのだろう」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。「行って話を聞け」と仰せになるので、わざわざ出たところ、生昌は、「先夜の門のことを中納言に話しましたら、たいへん感心申し上げなさって、『どうかして、適当な機会にお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておられました。」というのであって、他には何のこともない。◆◆
一夜の事や言はむと、心ときめきしつれど、「今静かに御局に候はむ」とていぬれば、帰りまゐりたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにぞあらぬや。おのづから静かに局などにあらむにも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたるを、うれしとや思ふとて、告げ知らするならむ」とのたまはする御けしきも、いとをかし。
◆◆先夜の部屋へ来た時のことを言うのだろうかと、胸がどきっとしたけれども、「そのうちゆっくりとお部屋に伺いましょう」と言って立ち去るので、帰って御前に伺ったところ、「それで、何だったの」と仰せあそばすので、生昌が言ったことを、あれこれとそのままそっくり申し上げて、仲間の女房たちに、「わざわざ申し入れをして、呼び出さなければならないことではないわね。自然な感じで静かに部屋などにゐそうな時にでも言えば良いのに」と言って笑うと、中宮様は、「自分の気持ちの中で優れている人だと思うその人がほめているのを、そなたも多分うれしいと思うだろうというつもりで、報告するのであろう」と仰せあそばすご様子も、たいへんすばらしい。◆◆
■姫宮の御方=一条天皇第一皇女脩子(しゅうし)内親王。母は中宮定子。長徳二年(996)十二月二十六日誕生。当時四歳。
■衵(あこめ)のうはおそひ=上の衣と下の単衣どの間に着るもの。「上襲(うはおそひ)」は表着。衵の上に着るのは童女の場合は汗衫(かざみ)だから、そういえば良いのに、「衵のうわ着」と言ったから笑ったのである。
■ちうせい=「ちひさき」の訛りであろう。
■中間(ちゅうげん)なるをり=中途半端な時。
■中納言=生昌の兄、平惟仲。
■心ときめき=胸がある期待でどきどきすることであるが、好ましいことに限らない。ここでは、あの時生昌に間の悪い思いをさせたので、恨み言を言われるかと、さすがにどきっとした、の意か。
■まねび=「まねぶ」は、そのまま、まねをして言うこと。