四〇 蔵人おりたる人、昔は (53)その2 2018.4.14
さはあらで、講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしあはしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりもかげろなる直衣、指貫、生絹の単衣など着たるも、狩衣姿にても、さやうにては若くほそやかなる三四人ばかり、侍の者、また、さばかりして入れば、もとゐたりつる人も、すこしうち身じろぎくつろぎて、高座のもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがに数珠押しもみ、きうに伏し拝みて聞きゐたるを、講師もはえばえしく思ふなるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたり。
◆◆そんな蔵人の五位のような者ではなくて、講師が座ってしばらくいるうちに、控えめに前駆を追わせる声を申し訳ばかりにかけさせる牛車をとめておりて来る人々、それは蝉の羽よりも軽そうな直衣や、指貫、生絹(すずし)の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も、そんなふうで若くほっそりしている三、四人くらい、それにお供の者がまたそのくらいの人数で入って来るので、もともと座っていた人も、少し体を動かして、席にゆとりを作って、高座のそば近くの柱のもとなどに座らせると、ついでにちょっと立ち寄ったとはいえ、数珠を押しもみ、あわただしく伏し拝んで説経を聞いて拝んでいるのを、講師もきっと面目あることのように思うのだろう、どうかして世間に後々までにも語りつたえられるほどに、と一心に説きだしている。◆◆
聴聞すると立ちさわぎ額づくほどにもなく、よきほどにて立ち出づとて、車どもの方見おこせて、われどちうち言ふも、何事ならむとおぼゆ。見知りたる人をばをかしと思ひ、見知らぬはたれたらむ、それにや、かれにやなど、目をつけて思ひやらるるこそ、をかしけれ。「説教し、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではあらむ。あやしき女だにいみじく聞くめるものをば。されど、この草子など出で来はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などばかりして、なまめき化粧してこそありしか、それも物詣でをぞせし。説経などは、ことにおほくも聞かざりき。このごろ、その書き出でたる人の、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。
◆◆ところが、それらの貴公子たちは、説経を聴聞するとて忙しく行動して礼拝するのに似合わず、良いかげんのところで立ち出でて行くというときに、女車の方に視線を流して、自分たち同士で話をしているのも、一体何を話しているのだろうかと思われる。こちらで見知っている人の場合はおもしろいと思うし、見知らない人の場合は、だれだろう、あの人かしらこの人かしらなどと、推量をめぐらすようになるのこそ、おもしろい。「だらだれが説教し、八講をした」などと、人が伝えるときに、「だれそれはいたか」「どうしていない筈があろうか」などと、決まって言われてる人は、それは、あまり度がすぎている。どうして、説経の場所に全く顔を出さないでいようか。顔を出すのは結構なことだ。いやしい
女でさえ大層熱心に聞くようであるものを。だけれど、この草子ができ始めた頃は、(女は車で出かけて)徒歩で歩く人はいなかった。たまには壺装束などくらいをして、優雅にお化粧をしていたものだが、それにしてもそれは物詣をしたのだ。説経などは、ことに大勢出かけるようにも聞かなかった。この時点で、草子の中で私が書き記してある昔の人が、長生きをして、今の有様を仮に見たとしたら、どれほどか悪口を言い、非難することであろうのに。◆◆
■壺装束(つぼさうぞく)=身分のある女性の徒歩の外出姿。後ろの垂髪を袿(うちぎ)の中に入れ、袿を腰で紐で結び、両褄を折り前に挟み、市女笠をかぶる。
さはあらで、講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしあはしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりもかげろなる直衣、指貫、生絹の単衣など着たるも、狩衣姿にても、さやうにては若くほそやかなる三四人ばかり、侍の者、また、さばかりして入れば、もとゐたりつる人も、すこしうち身じろぎくつろぎて、高座のもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがに数珠押しもみ、きうに伏し拝みて聞きゐたるを、講師もはえばえしく思ふなるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたり。
◆◆そんな蔵人の五位のような者ではなくて、講師が座ってしばらくいるうちに、控えめに前駆を追わせる声を申し訳ばかりにかけさせる牛車をとめておりて来る人々、それは蝉の羽よりも軽そうな直衣や、指貫、生絹(すずし)の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も、そんなふうで若くほっそりしている三、四人くらい、それにお供の者がまたそのくらいの人数で入って来るので、もともと座っていた人も、少し体を動かして、席にゆとりを作って、高座のそば近くの柱のもとなどに座らせると、ついでにちょっと立ち寄ったとはいえ、数珠を押しもみ、あわただしく伏し拝んで説経を聞いて拝んでいるのを、講師もきっと面目あることのように思うのだろう、どうかして世間に後々までにも語りつたえられるほどに、と一心に説きだしている。◆◆
聴聞すると立ちさわぎ額づくほどにもなく、よきほどにて立ち出づとて、車どもの方見おこせて、われどちうち言ふも、何事ならむとおぼゆ。見知りたる人をばをかしと思ひ、見知らぬはたれたらむ、それにや、かれにやなど、目をつけて思ひやらるるこそ、をかしけれ。「説教し、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではあらむ。あやしき女だにいみじく聞くめるものをば。されど、この草子など出で来はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などばかりして、なまめき化粧してこそありしか、それも物詣でをぞせし。説経などは、ことにおほくも聞かざりき。このごろ、その書き出でたる人の、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。
◆◆ところが、それらの貴公子たちは、説経を聴聞するとて忙しく行動して礼拝するのに似合わず、良いかげんのところで立ち出でて行くというときに、女車の方に視線を流して、自分たち同士で話をしているのも、一体何を話しているのだろうかと思われる。こちらで見知っている人の場合はおもしろいと思うし、見知らない人の場合は、だれだろう、あの人かしらこの人かしらなどと、推量をめぐらすようになるのこそ、おもしろい。「だらだれが説教し、八講をした」などと、人が伝えるときに、「だれそれはいたか」「どうしていない筈があろうか」などと、決まって言われてる人は、それは、あまり度がすぎている。どうして、説経の場所に全く顔を出さないでいようか。顔を出すのは結構なことだ。いやしい
女でさえ大層熱心に聞くようであるものを。だけれど、この草子ができ始めた頃は、(女は車で出かけて)徒歩で歩く人はいなかった。たまには壺装束などくらいをして、優雅にお化粧をしていたものだが、それにしてもそれは物詣をしたのだ。説経などは、ことに大勢出かけるようにも聞かなかった。この時点で、草子の中で私が書き記してある昔の人が、長生きをして、今の有様を仮に見たとしたら、どれほどか悪口を言い、非難することであろうのに。◆◆
■壺装束(つぼさうぞく)=身分のある女性の徒歩の外出姿。後ろの垂髪を袿(うちぎ)の中に入れ、袿を腰で紐で結び、両褄を折り前に挟み、市女笠をかぶる。