永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて (55)その2

2018年04月24日 | 枕草子を読んできて
四二  小白川といふ所は   (55)その2  2018.4.24

 すこし日たけるほどに、三位中将とは関白殿をぞ聞こえし、からの薄物の二藍の直衣、同じ指貫、濃き蘇芳の御袴に、はえたる白き単衣のいと鮮やかなるを着たまひて、歩み入りたまへる、さばかりかろび涼しげなる中に、暑かはしげなるべけれど、いみじうめでたしとぞ見えたまふ。細塗骨など、骨はかはれど、ただ赤き紙を、同じなみにうち使ひ持ちたまへるは、なでしこのいみじう咲きたるにぞ、いとよう似たる。
◆◆少し日が高くなっているころに、三位の中将とは今の関白殿を当時そう申しあげたのだが、その三位の中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、同じ色の指貫、濃い蘇芳色の御下袴を召して、映えている白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって、こちらに歩いて入っていらっしゃるのは、あれほど軽快で涼しそうな装いの一座の方々の中で、暑苦しそうな感じがするはずなのに、とてもすばらしいとお見えになる。細塗骨(ほそぬりぼね)など、扇の骨は、他の人のとは違うけれど、ひたすら赤い地紙の扇を、人と同じように使ってお持ちになっていらっしゃるのは、なでしこが見事に咲いているのに、たいへんよく似ている。◆◆


■三位中将=関白道隆。中宮定子の父。当時従三位右中将で34歳。関白就任は正暦4年(993)4月。この段はそれ以降の執筆。


 まだ講師ものぼらぬほどに、懸盤どもして、何にかあらむ、物まゐるべし、義懐の中納言の御ありさまの常よりもまさりて清げにおはするさまぞ限りなき。上達部の御名などは書くべきにもあらぬを、たれなりけむと、すこしほど経れば、なるによりなむ。色合ひはなばなと、いみじくにほひあざやかなるに、いづれともなきなかの帷子を、これはまことにすべてただ直衣一つを着たるにて、常に車の方を見おこせつつ、物など言ひおこせたまふ。をかしと見ぬ人はなかりけむを。
◆◆まだ講師も講座にのぼらないうちに、懸盤(かけばん)をいくつか出しで、何であろうか、きっと物を召しあがるのであろう、義懐(よしちか)の中納言のご様子の、いつもよりもまさって、見る目にも美しく清らかでいらっしゃるご様子はこの上もない。高貴な上達部のお名前を書き記するべきでもないのだけれど、いったいだれっだのかしらと、少し時間が経つと、なるので、記しておく。誰もが色合いが華やかで、たいへん色艶うつくしく、鮮やかなので、どれがどうと優劣がつけがたいその中での帷子を、この方は、ほんとうにただ直衣ひとつを着ているといった様子であって、絶えず女車の方に視線を送り、使いをやってはそちらに言っておよこしになる。そのご様子をおもしろいと見ない人はいなかったであろうよ。◆◆


■懸盤(かけばん)=四脚の台の上に、折敷を載せかけるようにした膳。
■義懐(よしちか)=伊尹五男。当時権中納言。30歳。妹懐子は花山帝母。花山帝のもとで権勢があったが、帝の退位出家によって出家。この小白河の八講の五、六日後のことだった。