2012. 7/11 1130
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その38
「姫宮にこれを奉りたらば、いみじきものにし給ひてむかし、いとやむごとなき際の人多かれど、かばかりのさましたるは難くや、と見給ふ」
――(匂宮は)女一の宮(匂宮の姉)の元に浮舟を指し出したならば、どんなにか大事になさるだろう。姉宮のお側には非常に身分の高い女が大勢いるけれど、浮舟程の美しい人はめったにいないだろうから、と、お心のうちで思っていらっしゃる――
「かたはなるまで遊びたはぶれつつ暮らし給ふ。忍びて率て隠してむことを、かへすがへすのたまふ。その程、かの人に見えたらば、と、いみじきことどもを誓はせ給へば、いとわりなきことと思ひて、いらへもやらず、涙さへおつるけしき、さらに目の前にだに思ひうつらぬなめり、と胸痛う思さる」
――見ぐるしいまでに遊び戯れて、その日はお過ごしになりました。匂宮は、そっと京へ連れて帰って隠してしまいたい、ということをしきりに仰せになります。「その間に、あの薫大将に逢ったら承知しない」と難しい約束を強いられますので、浮舟はとてもそれは無理な事と思ってご返事もできず、涙ばかりの浮舟を御覧になって、こうして自分の前にいてさえ、あの人から心が移らないのだと、情けなく口惜しくお思いになるのでした――
「うらみても泣きても、よろづのたまひあかして、夜ふかく率て帰り給ふ。例の抱き給ふ。
『いみじく思すめる人は、かうはよもあらじよ。見知り給ひたりや』とのたまへば、げにと思ひて、うなづき居たる、いとらうたげなり。右近妻戸放ちて入れたてまつる。やがてこれより別れて出で給ふも、飽かずいみじ、と思さる」
――恨んだり泣いたりして、さまざまに言葉をつくして語りあかして、まだ夜深いうちに川向いのお邸に連れてお帰りになります。今度もまた抱いておやりになります。「貴女が心から大事に思っているらしい人(薫)は、こんなにまでは親切にはなさいますまい。私の気持ちがお分かりになったでしょうね」とおっしゃいますと、そのとおりと頷いているのが、まことに可愛らしい。右近が妻戸を開け放してお入れします。匂宮はそのまま別れてここからお立ちになるのも、名残り惜しくて辛いとお思いです――
「かやうの帰さは、なほ二条にぞおはします。いとなやましうし給ひて、ものなど、たえて聞こし召さず、日を経て青みやせ給ひ、御けしきもかはるを、内裏にもいづくにも思ほし嘆くに、いとどものさわがしくて、御文だにこまかには書き給はず」
――(匂宮の)こうした忍び歩きのお帰りは、やはり二条院でいらっしゃいます。ひどく苦しそうなご様子で、お食事など全く召しあがりません。日が経つにつれて青ざめやつれておしまいになり、お気色なども変わっていくのを、帝をはじめどなたも思い歎くものですから、いっそう世間がやかましくなって、浮舟へのお手紙にも細々とはお書きになれません――
「かしこにも、かのさかしき乳母、女の子産むところに出でたりける、帰り来にければ、心やすくもえ見ず」
――宇治の方でも、あのしっかり者の乳母が、娘のお産のため出掛けていましたのが戻って来ましたので、浮舟は気軽に匂宮の御文を読むこともできません――
では7/13に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その38
「姫宮にこれを奉りたらば、いみじきものにし給ひてむかし、いとやむごとなき際の人多かれど、かばかりのさましたるは難くや、と見給ふ」
――(匂宮は)女一の宮(匂宮の姉)の元に浮舟を指し出したならば、どんなにか大事になさるだろう。姉宮のお側には非常に身分の高い女が大勢いるけれど、浮舟程の美しい人はめったにいないだろうから、と、お心のうちで思っていらっしゃる――
「かたはなるまで遊びたはぶれつつ暮らし給ふ。忍びて率て隠してむことを、かへすがへすのたまふ。その程、かの人に見えたらば、と、いみじきことどもを誓はせ給へば、いとわりなきことと思ひて、いらへもやらず、涙さへおつるけしき、さらに目の前にだに思ひうつらぬなめり、と胸痛う思さる」
――見ぐるしいまでに遊び戯れて、その日はお過ごしになりました。匂宮は、そっと京へ連れて帰って隠してしまいたい、ということをしきりに仰せになります。「その間に、あの薫大将に逢ったら承知しない」と難しい約束を強いられますので、浮舟はとてもそれは無理な事と思ってご返事もできず、涙ばかりの浮舟を御覧になって、こうして自分の前にいてさえ、あの人から心が移らないのだと、情けなく口惜しくお思いになるのでした――
「うらみても泣きても、よろづのたまひあかして、夜ふかく率て帰り給ふ。例の抱き給ふ。
『いみじく思すめる人は、かうはよもあらじよ。見知り給ひたりや』とのたまへば、げにと思ひて、うなづき居たる、いとらうたげなり。右近妻戸放ちて入れたてまつる。やがてこれより別れて出で給ふも、飽かずいみじ、と思さる」
――恨んだり泣いたりして、さまざまに言葉をつくして語りあかして、まだ夜深いうちに川向いのお邸に連れてお帰りになります。今度もまた抱いておやりになります。「貴女が心から大事に思っているらしい人(薫)は、こんなにまでは親切にはなさいますまい。私の気持ちがお分かりになったでしょうね」とおっしゃいますと、そのとおりと頷いているのが、まことに可愛らしい。右近が妻戸を開け放してお入れします。匂宮はそのまま別れてここからお立ちになるのも、名残り惜しくて辛いとお思いです――
「かやうの帰さは、なほ二条にぞおはします。いとなやましうし給ひて、ものなど、たえて聞こし召さず、日を経て青みやせ給ひ、御けしきもかはるを、内裏にもいづくにも思ほし嘆くに、いとどものさわがしくて、御文だにこまかには書き給はず」
――(匂宮の)こうした忍び歩きのお帰りは、やはり二条院でいらっしゃいます。ひどく苦しそうなご様子で、お食事など全く召しあがりません。日が経つにつれて青ざめやつれておしまいになり、お気色なども変わっていくのを、帝をはじめどなたも思い歎くものですから、いっそう世間がやかましくなって、浮舟へのお手紙にも細々とはお書きになれません――
「かしこにも、かのさかしき乳母、女の子産むところに出でたりける、帰り来にければ、心やすくもえ見ず」
――宇治の方でも、あのしっかり者の乳母が、娘のお産のため出掛けていましたのが戻って来ましたので、浮舟は気軽に匂宮の御文を読むこともできません――
では7/13に。