ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

天野祐吉の隠居大学最期の放送を聞く

2013-11-25 05:47:54 | 日記
11/25今朝4時から「明日へことば」9/28収録「天野祐吉の隠居大学」ゲスト徳光和夫アナとのトークを聞いた。

今年10月に亡くなったので、その声を注意して聞いたが、いつもと変わりなくお話が進行していた。まず、ゲスト徳光さんを呼び、徳光さんを毒光という言葉で毒舌を表現してから始まり、お互いに相手のいいところを突いていた。
徳光さんは高校2年で8号HRを放った長嶋さんにあこがれてキリスト系とも知らず立教に進み、長嶋さんの実況中継を夢見てアナウンサーの道へ茅ヶ崎からの電車の中で、景観の実況放送の練習をしたりしたが、プロレスの実況はしても野球の仕事は来なかったという。

一方、天野さんは、報道で、新聞は結果を、テレビは現在進行の形で放送している。その原稿を書くときはアナに合う表現がより個性が出て面白いという。しかし、誰が放送原稿を読んでもいい表現では個性がなく面白くないという。徳光アナも、インタビューで10の予定した内容では成功せず、一つに絞って、相手のいい言葉から派生する内容で進行すると成功するという。

天野祐吉氏は1933年東京生まれ、松山育ちで明治大中退、雑誌「広告批評」を創刊、マスターはかま滿緒「日曜喫茶」でコラムニストとしてゲスト出演していて知った。晩年2002年から2007年まで松山子規記念館長、2013年10/20東京の病院で間質性肺炎で亡くなった。

徳光和夫アナは、1941.3.3生まれのタレント、司会で特にテレビでは江川さんとの巨人談議で知った。福島県三春町の法蔵時に疎開、落語家志望であり、熱烈な長嶋フアンでもある。

除菌生活は不安症を助長する

2013-11-24 09:18:23 | 日記
意志薄弱なウヌボレ屋の脳を支配するのは腸で、「脳はバカ、腸はかしこい」の作者藤田紘一郎氏は東京医科歯科大の脳外科で自宅で転倒頭を強打し穿頭手術を受けた。主治医から脳がバカなんて言うから罰が当たったんじゃないかと。

チンパンジーは未来を思い悩んで絶望することはなく、今この空間に生きているが、人間は原発の不安から風評が蔓延したり、インフルエンザから身を守るためワクチンを接種したりして不安を解消している。また、人の未来を予測したりと想像力で希望も生まれる。

カナダのハミルトン市のマックマスター大のフォスター博士は腸内細菌が学習、記憶に与える影響は正常マウスより無菌マウスの方がより不安を感じるという。腸の声を無視して暴走する脳のために不安になり、病気の不安解消で悪玉細菌から身を守るため除菌して善玉まで殺菌してしまい、除菌製品販売のCMにも載せられて、アトピーやアレルギーをも増加させている現実がある。不安症の代表スギ花粉症はその典型的なもの。

手洗い、うがいをしても風邪を引いてしまったら、疲労などから体力が弱り撃退細菌が働かなかったためで、風邪薬に頼らず、その風邪と仲良しになりネギ味噌湯をたっぷり頂いてぐっすり休むことであり、酒で不安解消することはいけないことである。

飯館村災害公営住宅安全祈願祭

2013-11-23 14:12:20 | 日記
原発事故で全村避難している飯館村が福島市飯野町で、菅野村長らが11/22災害公営住宅建設の安全祈願祭で鍬入れをした。

川俣町と福島市の間にある飯野町は福島市と合併した町で、線量の高い山木屋地区を持つ川俣町の隣りで一番近くに建設している。南相馬市の西に位置する飯館村は線量の高い浪江の赤宇木地区の北にあり、長泥(赤宇木の隣)地区が飯館村内で一番高線量である。

双葉郡内の町村特に、6号線から海岸間での原発周辺を国有地にという。中間貯蔵施設早期建設の苦肉の策と思われるが。
国有地への話は大熊、双葉町だけの問題ではないから、各町村で話し合わねばいけないが、借りの町の場所も決まっていない。こんな時に、飯館村は一早く災害公営住宅の建設に踏み切った。

双葉、大熊、浪江はいつまでも仮設では疲労がたまり、一日も早い災害公営住宅の建設が待たれる。自然浄化を考えても、子ども被ばく線量を考慮して久之浜、広野、楢葉にまたがり建設してはどうかと思う。

震災と原発事故で絆婚という言葉が

2013-11-22 08:55:54 | 日記
今日11月22日は数字のごろ合わせで「いい夫婦の日」という。今朝のラジオでは夫に先立たれたが、心の中ではいつまでも深い絆で結ばれているとか、今日が結婚記念日という方が多く、親に感謝しているというお便りが満載であった。

リクルートブライダル総研の調査では、全国2000人の既婚者の6割が「今の人が結婚相手でよかった」と答えたという。
また、震災に続く原発事故で、自由気ままな独身生活よりも一人でないという安心感で結婚に踏み切った人が増えたという。震災前より夫婦間の絆が強くなり相手を大切に思うようになった。
この結婚のありようは、曽野綾子さんが言う本当の絆であり、見ず知らずで、ボランテイアなどの支援で交流ができたことを絆が強まったと簡単に使うものでないと戒めている。長い結びつき即ち継続して初めて絆ということであろう。

そして、絆は本来、犬や馬を通りすがりの立木につなぐ綱のことで、しがらみや束縛などの意味でつかわれていたが、人と人との結びつきを絆と使うのは最近のことであり、絆創膏(ばんそうこう)の絆(ばん)に使われている。本来の意味からちょっとした交流を絆と言わないないだろうということか。

今でしょ、アベノミクス、じぇじぇじぇなど新語が発表されたが、人生過去現在未来があるが大切なものは現在で、過去は変わらないが未来は腹の据え方で変わるもの今が大切でしょ。

八重の桜もいよいよ大詰め

2013-11-21 08:44:49 | 日記
NHK大河ドラマ「八重の桜」も、新島襄は病弱で八重との結婚生活は子にも恵まれず14年という短いもの、同志社英学校を大学にすべく奔走して帰国したところまで、次回が楽しみ。

一方八重は明治19年日本で2番目にできた看護学校「京都看病婦学校」には、米国看護教育の先駆者リンダ・リチャーズの教えの下で直接、近代看護を学んだと、エッセイスト大石邦子さんが書いている。
また、大石さんも最近訪問看護という言葉を知ったが、もうすでに、この時代に訪問看護を実践に移しているという。因みに、一番早くできた看護学校は「有志共立東京病院看護婦教育所」で後の「慈恵看護専門学校」であると。

明治20年、博愛社は創設10年を経て「日本赤十字社」と変え、翌年の21年に磐梯山噴火で、奇しくも、日赤が最初の福島救援出動となった。悲惨な故郷へいてもたってもおられず出動したこ八重は日赤より赤十字記章を受けている。
明治23年襄の死後、日本赤十字社の正社員となった八重は日清、日露の大戦で篤志看護婦として名ばかりのものでなく、男の使い走りとされた看護婦の地位の確立を願っての奔走であった。日本女性初の勲六等宝冠章が授与され、昭和天皇即位の大礼で天盃を受け、悲しみ連続の人生を愛に変えて生き切った八重の生涯は美しいものであったと。