11/25今朝4時から「明日へことば」9/28収録「天野祐吉の隠居大学」ゲスト徳光和夫アナとのトークを聞いた。
今年10月に亡くなったので、その声を注意して聞いたが、いつもと変わりなくお話が進行していた。まず、ゲスト徳光さんを呼び、徳光さんを毒光という言葉で毒舌を表現してから始まり、お互いに相手のいいところを突いていた。
徳光さんは高校2年で8号HRを放った長嶋さんにあこがれてキリスト系とも知らず立教に進み、長嶋さんの実況中継を夢見てアナウンサーの道へ茅ヶ崎からの電車の中で、景観の実況放送の練習をしたりしたが、プロレスの実況はしても野球の仕事は来なかったという。
一方、天野さんは、報道で、新聞は結果を、テレビは現在進行の形で放送している。その原稿を書くときはアナに合う表現がより個性が出て面白いという。しかし、誰が放送原稿を読んでもいい表現では個性がなく面白くないという。徳光アナも、インタビューで10の予定した内容では成功せず、一つに絞って、相手のいい言葉から派生する内容で進行すると成功するという。
天野祐吉氏は1933年東京生まれ、松山育ちで明治大中退、雑誌「広告批評」を創刊、マスターはかま滿緒「日曜喫茶」でコラムニストとしてゲスト出演していて知った。晩年2002年から2007年まで松山子規記念館長、2013年10/20東京の病院で間質性肺炎で亡くなった。
徳光和夫アナは、1941.3.3生まれのタレント、司会で特にテレビでは江川さんとの巨人談議で知った。福島県三春町の法蔵時に疎開、落語家志望であり、熱烈な長嶋フアンでもある。
今年10月に亡くなったので、その声を注意して聞いたが、いつもと変わりなくお話が進行していた。まず、ゲスト徳光さんを呼び、徳光さんを毒光という言葉で毒舌を表現してから始まり、お互いに相手のいいところを突いていた。
徳光さんは高校2年で8号HRを放った長嶋さんにあこがれてキリスト系とも知らず立教に進み、長嶋さんの実況中継を夢見てアナウンサーの道へ茅ヶ崎からの電車の中で、景観の実況放送の練習をしたりしたが、プロレスの実況はしても野球の仕事は来なかったという。
一方、天野さんは、報道で、新聞は結果を、テレビは現在進行の形で放送している。その原稿を書くときはアナに合う表現がより個性が出て面白いという。しかし、誰が放送原稿を読んでもいい表現では個性がなく面白くないという。徳光アナも、インタビューで10の予定した内容では成功せず、一つに絞って、相手のいい言葉から派生する内容で進行すると成功するという。
天野祐吉氏は1933年東京生まれ、松山育ちで明治大中退、雑誌「広告批評」を創刊、マスターはかま滿緒「日曜喫茶」でコラムニストとしてゲスト出演していて知った。晩年2002年から2007年まで松山子規記念館長、2013年10/20東京の病院で間質性肺炎で亡くなった。
徳光和夫アナは、1941.3.3生まれのタレント、司会で特にテレビでは江川さんとの巨人談議で知った。福島県三春町の法蔵時に疎開、落語家志望であり、熱烈な長嶋フアンでもある。