ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

自分に正直になるには “言語化”

2017-02-24 07:05:17 | 言語化
 今回は、“言語化” を “自分に正直になる” という切り口から考え
てみようと思います。

 自助会AAの著作物『アルコホーリック・アノニマス』には次のように述べた部分があります。


「・・・ 自分に正直になることがどうしても不可能な人はまれにいる。・・・
 きびしい正直さが必要な生き方をとらえ、その生き方を伸ばし育てていく
 ことができない、回復する率が平均までいかない人たちである。・・・」

                               (下線部、筆者)

“自分に正直になる” この言葉にずーっとモヤモヤしていました。上の文章を素直に読めば、自分に正直になれなければ回復できないことになるからです。

 これまでは “自分に正直” という言葉に、「(分相応)身の丈に合った」とか「等身大の」といった、変に虚勢を張ったり、背伸びしたりしない高潔な生き方を思い浮かべていました。上で引用した章を改めて読み返してみると、真意は自分の過ちを素直に認め、性格上の欠点をはっきり自覚することにあって、必ずしも小難しい倫理的・哲学的な生き方を意味しているのではないとわかりました。

 自分の過ちや性格上の欠点を継続的かつ確実に自覚する目的での正直なら、書くことで内省を深める “言語化” こそがふさわしいと益々思うようになりました。(もちろん、アルコール依存症の回復目標に倫理的・哲学的に正直な生き方を設定するのは正しいことと思います。)

 何か(新しく)ものを書くとき、自分に正直になって書くのは容易いことと思うかもしれません。ところが実際にやってみると、自分の思うところを正直に書こうとしても、なかなか思い通りに書けないのが普通だと思います。まして私は想起障害を抱えているので、書いていてピッタリな言葉が思い出せず、言葉の選択や表現に迷ったり、違和感を覚えたりすることがしょっちゅうです。実に可笑しなことですが、実際に書き始めてみてやっと、自分が本当は何を考えようとしているのかが初めてハッキリする場合も時としてあります。

 その場合のキッカケは違和感です。違和感は、言葉を選び間違えたか、文法を誤ったかの場合に多いのですが、無意識の内に何かが抵抗して思い出せなくしている場合も希にあります。(違和感が湧くのは何か本能的な反応のような気がしています。)違和感を催す原因が何なのか、その正体を突き止めない限りしこりは心につかえたまま残るものです。

 この違和感を払拭するために行うのが推敲です。自分に正直であったからこそ書いたものに違和感をもったはずですし、それを推敲して手直ししようとするのも自分の正直な思いを伝えたいからだと私は考えています。ものを書くときは、知らず知らず自分に正直になっているようなのです。

 推敲は、ものを書くときに誰でもすることで、特別なことではありません。が、推敲するときには自分でも無意識でやっているあることに気づきました。書いたものに違和感があったら、書き手の目から一旦離れて読み手の目で読み返し、さらに別の読み手を意識しながら書き直していることです。つまり、推敲するには第三者が校正するような目になり切ること、言い換えれば客観的に見ること・書くことが欠かせないのです。

 さらに重要なことは、第三者の立場で客観的に見ようとすると、“自分に正直に” ならざるを得ないことです。客観的観点だからこそ違和感を催した原因が何かを冷静に突き止められ、その結果、心のしこりの氷解とカタルシスとが一挙両得の大団円となれるのだと思います。

 つまり、第三者の立場で客観的に推敲するからこそ内省が深まり、一層 “自分に正直になれる” のです。“自分に正直になる” は生き方の目標であるばかりでなく、自分を離れた第三者の立場で客観的にもの事を見るためにも不可欠なもの、と思い知らされました。

 言うまでもなく、ものを書くときは記憶機能をフル回転させ、記憶のネットワークを最大限刺激しなければできるものではありません。話すこともこの点では同じですが、書くことと決定的に異なるのは推敲ができないことです。何度も読み返し・書き直しができるのは書くこと以外にありません。

 今さらながら、ものを書く行為がつくづく客観的なものの見方・考え方の鍛錬の場と思えてきます。“言語化” がものを書くことに特化され、認知行動療法の一つとされる所以が納得できました。

 アルコールで障害された記憶機能の回復にこれ以上のリハビリ療法があるでしょうか。私はこれらのことが “言語化” の効用の神髄だと考えています。
 「回復には書くのが一番!」専門クリニックの院長が語ったこの言葉がすべてを言い尽くしています。


 余計なことながら、最後に一言。文章を推敲するには何が書いてあるのか認知する能力と最低限の国語力が必要となります。とすれば痴呆状態のアルコール性認知症まで進行した人にはできない相談です。それが「・・・どうしても不可能な人はまれにいる」という意味かもしれません。ブラックアウトを経験している人は、手遅れにならないうちに是非とも酒とは縁を切りましょう。


“言語化” については次の記事もご参照ください。
自助会AA - 認知行動療法“言語化”の実践道場(下)
回復へ - アル中の前頭葉を醒まさせる


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