ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

再び “生き残る” について

2017-03-24 07:23:00 | 自分史
 「生き残らねば・・・」と意識すると途端にプレッシャーを感じるのは私だけでしょうか。何としてでも “生き残る”、これは生き物に共通して課せられた厳粛な宿命です。恐らく、全ての生き物の遺伝子に組み込まれている共通した本能だと思います。今回は、この言葉に込められている因縁について考えてみます。

 ただ生きられればいいのであれば、最低限の衣・食・住がありさえすれば事足れりのはずです。極端な話、そこそこの水と食べ物があれば済むはずなのです。ところが “生き残る” となると、
「これでは足りない。もっともっと余分に欲しい」と考えてしまうのが世の常です。そこで考えるのが、
「人より優位に立てれば、もっと楽にいけるだろう」なのです。これが人生最大の柵(しがらみ)ということに気付きました。

 人より優位に立てた方が好都合とは思いますが、何をもって優位とするのか、本来その正解はないはずです。人それぞれが求めた解は各人の持つ価値観次第です。その価値観は認知の仕方如何によります。各人の認知がどのような生い立ちで形成されたのかが、ここで問われるのだと思います。

 思春期は多感な時期のはずでした。私は、そんな時期の16歳から19歳までを受験勉強一辺倒で馬車馬のように過ごしていました。だからでしょう、私は学業成績の善し悪しだけで人の優劣を決めつけがちでしたし、社会人になってからもこの性行を引き摺ったままでした。どこの大学のどの学部の出身なのか、入学試験の学力偏差値ランクキングを物差しに人物評価をしていたのです。この物差しは明治以来社会通念として大方の人が備えているもので、私のような青二才は決して珍しくはなかったのです。むしろごくありふれたケースだったろうと思います。

 会社員時代、社歴で5年、年齢で2歳しか違わない先輩社員とそりが合わず、疎ましく思っていました。その原因も突き詰めればこの物差しでした。とんとん拍子で昇進・昇格していく姿に、知らず知らず嫉妬していたのです。「あいつにできたことなら、学歴が上の俺にできないはずがない」これが私の本音でした。独りよがりで高慢ちきさが鼻につく先輩でしたが、何を隠そう私の正体そのものでもありました。当然、人間関係がギクシャクし、周囲にも悪影響が及びました。

 ― 勉強して成績がよければよい大学に入れる
 ― よい大学に入れば偉くなれる
 ― 偉くなれれば楽に暮らせて生き残れる

幼い頃から知らず知らず私に刷り込まれた三段論法の思い込みです。

 学歴など、人としての資質のごく一部分でしかないはずです。学歴だけを後生大事に人物評価をするなどは、明らかに “認知のゆがみ” そのものです。それほどに、「生き残らねば・・・」という宿命の首枷が首根っこにガッチリ嵌められていたのだと思います。

 “生き残る” という宿命が首枷なら、「人より優位に・・・」は軛に当たるでしょうか。飽くなき上昇志向とその裏表の劣等感とが軛となって、私につきまとって離れませんでした。

 なかなか受け容れにくいのですが、自分の得手・不得手いずれの場面でも、自分より上と察するや、その途端劣等感に狂わされ人に嫉妬していたようなのです。私が今でも難儀しているプライドは、この「人より優位に・・・」の虜だったことがその正体の一部と思います。

 首枷にせよ軛にせよ、がんじがらめにされるのは何とも厄介なものです。どうにも抗えない難儀な首枷と軛とは、どうにか折り合いをつけながら、生きている限り向き合っていくしかありません。


“生き残る” ― この言葉に想うこと(隠居の雑感)」(2016.4.1投稿)もご参照ください。


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