前週に続いて、AAの回復のプログラム『12のステップ』を改めて取り上げてみようと思います。今回はステップ11~12について述べてみます。(『12のステップ』についてはこちらをご参照ください。)
AAの本質は、飲まないで生きる生き方を共通の目標とした同志が集い、言いっ放し・聞きっ放しのルールでミーティングを開催することにあります。ミーティングこそがハイヤー・パワーそのものという考え方もあるようです。
ステップ11~12は、そのミーティングでの心懸けを述べた部分と私は解釈しています。やたら宗教臭がプンプンする部分ですが、各ステップを踏んだ後の最終ステージと考えるよりもAAに繋がったときから心懸けるべき留意点と考えた方が良さそうなのです。
ステップ11にはこうあります。
「祈りと冥想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。」
このステップのキー・ワードは瞑想 (黙想)にあると考えています。ミーティングでは目を瞑り黙想しながら耳を傾けるべき、とまで私には読めてしまいます。
AAのミーティングでよく経験することですが、目を瞑り黙想したまま聞くでもなしに話を聞いていると、耳に入って来る言葉から思わぬ “気づき” が得られることがよくあります。悟りにも似たこの “気づき” を私はカタルシスと呼んでいますが、言うに言われぬ癒やされた気分に浸ることができます。発言者の顔を見ながらでは到底味わえない心境なのです。ステップ11はこのことを述べているに過ぎないのでは(?)と思っています。
次のステップ12の記述はこうです。
「これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。」
一見してここでも宗教臭がプンプンしています。このステップは見返りを求めず喜んで奉仕する生き方がキー・ワードと解説にありますが、私は単にミーティングを継続し、それを広めることの大切さを説いたものと解釈しています。
AAのベテランメンバーの中には、このステップ12こそ科学的と考えている人もいます。再現性が確認されていて、誰にでも有効という意味でのようです。アルコール依存症者同士がミーティングを通じて繋がりを保ってさえいれば、慢心から酒害体験を忘れる恐れも互いに少なくなるという解釈のようです。断酒歴の長い人ほど、フレッシュマンが相手だとその効果が大きいと言います。
お互いの体験談を聞き、自分でも体験談を語ることで初心に戻れ、分け隔てのない仲間意識を高めてくれるのがミーティングです。一緒に会場設営や後片付けをするのも仲間意識を高めてくれます。こういう意味でミーティングが居場所というのも頷けます。
当たり前ですが、ミーティングは一人ではできません。1時間のミーティングなら、代わり代わりに体験を語るのに少なくとも7~8人のメンバーが揃っていることが望ましいようです。酒を止めたい一心から思い切って会場を訪ねてみても、会場に一人しかいなかったのでは脱力もので、その反動から再飲酒(?)もしかねません。これでは滑稽を通り越して悲劇そのものです。たとえ聞き役に徹するだけでもいいのです。“枯れ木も山の賑わい” もAAでは大歓迎されること間違いありません。
かくいう私は、ステップ12の解説にある “two-stepping” (二段目?)段階にあるのでしょうか? たとえばステップ1とステップ12の2つだけなど、少ないステップで満足してしまい、それで12のステップすべてを会得したとしたり顔でいる未熟な人のことをこう言うのだそうです。
ステップ12の解説では、その最後に祈りの言葉がありますが、私はその祈りの言葉をもじり、次の言葉を自分なりの達成目標としています。
“自分にできることと
自分にはどうにもならないこと
この二つを見分けられれば平常心”
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AAの本質は、飲まないで生きる生き方を共通の目標とした同志が集い、言いっ放し・聞きっ放しのルールでミーティングを開催することにあります。ミーティングこそがハイヤー・パワーそのものという考え方もあるようです。
ステップ11~12は、そのミーティングでの心懸けを述べた部分と私は解釈しています。やたら宗教臭がプンプンする部分ですが、各ステップを踏んだ後の最終ステージと考えるよりもAAに繋がったときから心懸けるべき留意点と考えた方が良さそうなのです。
ステップ11にはこうあります。
「祈りと冥想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。」
このステップのキー・ワードは瞑想 (黙想)にあると考えています。ミーティングでは目を瞑り黙想しながら耳を傾けるべき、とまで私には読めてしまいます。
AAのミーティングでよく経験することですが、目を瞑り黙想したまま聞くでもなしに話を聞いていると、耳に入って来る言葉から思わぬ “気づき” が得られることがよくあります。悟りにも似たこの “気づき” を私はカタルシスと呼んでいますが、言うに言われぬ癒やされた気分に浸ることができます。発言者の顔を見ながらでは到底味わえない心境なのです。ステップ11はこのことを述べているに過ぎないのでは(?)と思っています。
次のステップ12の記述はこうです。
「これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。」
一見してここでも宗教臭がプンプンしています。このステップは見返りを求めず喜んで奉仕する生き方がキー・ワードと解説にありますが、私は単にミーティングを継続し、それを広めることの大切さを説いたものと解釈しています。
AAのベテランメンバーの中には、このステップ12こそ科学的と考えている人もいます。再現性が確認されていて、誰にでも有効という意味でのようです。アルコール依存症者同士がミーティングを通じて繋がりを保ってさえいれば、慢心から酒害体験を忘れる恐れも互いに少なくなるという解釈のようです。断酒歴の長い人ほど、フレッシュマンが相手だとその効果が大きいと言います。
お互いの体験談を聞き、自分でも体験談を語ることで初心に戻れ、分け隔てのない仲間意識を高めてくれるのがミーティングです。一緒に会場設営や後片付けをするのも仲間意識を高めてくれます。こういう意味でミーティングが居場所というのも頷けます。
当たり前ですが、ミーティングは一人ではできません。1時間のミーティングなら、代わり代わりに体験を語るのに少なくとも7~8人のメンバーが揃っていることが望ましいようです。酒を止めたい一心から思い切って会場を訪ねてみても、会場に一人しかいなかったのでは脱力もので、その反動から再飲酒(?)もしかねません。これでは滑稽を通り越して悲劇そのものです。たとえ聞き役に徹するだけでもいいのです。“枯れ木も山の賑わい” もAAでは大歓迎されること間違いありません。
かくいう私は、ステップ12の解説にある “two-stepping” (二段目?)段階にあるのでしょうか? たとえばステップ1とステップ12の2つだけなど、少ないステップで満足してしまい、それで12のステップすべてを会得したとしたり顔でいる未熟な人のことをこう言うのだそうです。
ステップ12の解説では、その最後に祈りの言葉がありますが、私はその祈りの言葉をもじり、次の言葉を自分なりの達成目標としています。
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自分にはどうにもならないこと
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